囚われのルカ、覚醒する力

邪心母の野望


 淀んだ暗闇の中で、無数の何かが蠢いていた。

 それらは自然界において、ありえない形をしていた。

 虫の関節。爬虫類の皮膚。人工的な武装──本来ならば分離されて然るべき異なる部位や道具がひとつに混ざり、一匹の生き物として活動していた。

 まるで幼子の発想力で組み立てられた粘土細工のような不定形の塊。

 百は優に越える異形の群れが、地下水のトンネルの中でひしめきあっている。


 その深奥。

 貯水槽として作られた広い空間で、ひとりの美女が、あたかも群れの女王のごとく鎮座している。

 水坂牧乃……と、かつて名乗っていた霊能力者。

 怪異の主【常闇の女王】を崇拝する集団のひとり──邪心母である。


「あらあら、おもしろいことしてるじゃない」


 邪心母は一際巨大な異形の背に腰掛け、愛しそうに撫でながら、盆のような道具に視線を注いでいた。

 盆の中には液体が注がれていたが、そこに映るのは黒い水面ではなく、こことは異なる景色であった。


 紅色の鎌を持った銀髪赤眼の少女と巨大な十字を握ったシスター。

 二人組の少女が樹木の怪異と戦っている。

 途中から黒い籠手を装着した少年も加わり、戦闘の激しさが増す。


「彼、相変わらず霊力も無しで凄い戦闘力ね。ああ、やっぱりいいわ、この子……どうにかして私のモノにできないかしら」


 生身の体で樹木の怪異に健闘する黒髪の少年をうっとりと見つめていた邪心母だったが……。


「……え?」


 関心の矛先が銀髪赤眼の少女……白鐘しろがね瑠華ルカへと向く。

 邪心母は見た。

 空間を歪ませるほどの膨大な霊力が、ルカから生じるのを。

 何かリミッターのような術式が施されていたのか。封じられた霊力が解放された途端、ルカはまるで別人のように驚異的な力を見せつける。

 瞬く間に樹木の怪異を追い詰め……そして、最後の悪あがきとばかりに襲い来る霊体に対しても、ルカは猛威を振るった。


 霊体すらも凍結させる霊術……。

 ありえない。

 ルカが使用する霊術は『言霊』だ。

 例外はあるものの、霊能力者が使える霊術は一種類だけ。

 なぜ言霊使いであるルカが、あのような霊術が使えたのか。


 ……その理由を、邪心母は察する。

 邪心母は見逃さなかった。

 ルカが氷結の霊術を発動する瞬間、その背後に映った幻影を。


「そう……そういうことだったのね」


 邪心母の口元が邪悪に歪む。

 それは歓喜の笑みであった。


「どこを探しても見つからないわけだわ。彼らは姿を消したわけじゃない……宿!」


 邪心母は両腕を広げて高らかに笑う。

 ようやくお目当てのものが見つかったときのように、さも嬉しそうに。


「随分とご機嫌のようだな、邪心母」


 薄闇の中から、男の声が上がる。

 明かりに乏しい暗黒の世界で、さらに濃い黒色の影が浮き上がる。

 影は人の形を取り、コツコツと足音を立てる。

 その者は全身を黒いローブで覆っていた。

 顔は隠されて見えない。

 ローブを深々と被っているせいでもあるが、それでも顔の輪郭すら窺えないほどに影が濃かった。

 まるで墨を塗りたくったような漆黒の切れ目から、茫々と光る二つ目が邪心母を見上げる。


「あら、影浸えいしん。ええ、今日は良い日だわ。私が求めていたものの在処がようやくわかったんだもの」


 黒衣の男──影浸の来訪を歓迎しながら、邪心母はクツクツと笑う。


「素晴らしい巡り合わせって続くものね。黒野大輝くんのような逸材を見つけただけでも奇跡的だと思っていたのに」

「黒野大輝……霊力も抜きに生身で肉啜りを撃破した男だったか……確かに、人間にしておくには惜しい逸材だな」

「あなたもそう思うでしょ影浸? きっと他の皆も興味を持つと思うわ。特に『死擦しずり』や『妖円丸ようえんまる』のおじいちゃんが知ったら放っておかないでしょうね。彼が私たちの仲間になれば、途轍もない闇を生み出す存在になるはずよ」

「……随分と入れ込んでいるようだな」

「あら、嫉妬しているの? ふふ、安心して。どれだけ新しい侵徒が増えても、私が頼るのはあなただけよ? それに……いまはもっと優先すべき獲物を見つけたことだしね」


 盆の水に映るルカの顔を見て、邪心母は舌なめずりをする。


「……その娘が新しい獲物か?」


 一瞬にして邪心母の横に移動した影浸も、ルカの人相を確認する。

 影浸の問いに、邪心母はこくりと頷き、


「ええ。私──この子を『喰らう』わ」


 妖艶に笑いながら、下腹部を撫でる。


「そういうわけだから、いつものように協力してくれる影浸?」

「お前が俺の力を求めるなら、いくらでも貸そう。そういう誓約だ」

「ふふ、相変わらず律儀なのね」

「主体がないだけだ。俺は……『影』だからな。他者の望みを代行する、ただそれだけの存在だ」


 だから礼は不要だ、と無感情に影浸は語った。

 そんないつもどおりの影浸を、邪心母は頼もしそうに見つめた。


「ふふ、嬉しいわ。また新しい家族が増えるのね。あなたたちも、嬉しいでしょ?」


 邪心母の喜びに合わせるように、有象無象の異形たちがギィギィと奇声を上げた。


「お前は相変わらず家族というものに固執しているな」

「ええ、だってそのほうが賑やかで楽しいでしょ? 私、女王様の『この世すべての存在は家族』ってお考え、好きよ」

「家族……俺にとっては忌まわしいものでしかない。そこばかりは、たとえ女王様のお考えでも賛同できん」


 滅多に感情を見せない影浸が珍しく物憂げに呟く。

 長らく影浸とコンビを組んでいる邪心母だが、いまだに彼の過去を知らない。当人が語ろうとしないからだ。

 ただ影浸にとって「家族」という言葉は、彼の神経を逆撫でするものらしい。


「そう言うわりには、いつも私に協力してくれるのね、あなたは」

「俺の考えとお前の望みはまた別だからな。お前が家族を増やしたいというのなら、好きにすればいい。俺は『影』としてお前の野望に力を貸す。それだけだ」

「ふふ、あなたのそういうところ好きよ? 相手の夢に賛同できなくても、尊重はするところ」


 さて、と邪心母は立ち上がり、衣服に手をかける。

 横に影浸がいるのも気にせず、上半身だけ裸となり、下腹部に手を添える。


 腹部に埋め込まれた円盤のような物体が光を発する。

 これこそが邪心母の専用霊装。

 喰らった怪異を合成させ、複数の能力を持った『合成怪異』を生み出す、裏の世界においても禁忌に等しい力の結晶である。


「今後のためにも新しい仔を生まないとね。この間はあの藍神の娘に不覚を取ったけど……もう同じ手は通用しないわ」


 守護霊を憑依させ、神域クラスの力を発揮する藍神キリカ。

 あのときは、守護霊に対応できる怪異が存在しなかった。

 だが、いまはもう違う。

 新たに喰らった怪異の名を、邪心母は口ずさむ。


『狂信坊』

『鎮魂の石』

『赤い法衣』


 邪心母の言葉と同時に出現した光る玉が三つ、円盤の空洞に埋め込まれる。

 円盤からおぞましい声が上がり、中央の丸い玉が歪んだ光を放つ。


「産声を上げなさい。闇の仔よ!」

『魔道超合』


 禍々しい産声を上げて、円盤から一体の異形が生誕する。


「念のため、もう一体生んでおきましょうか。特にこのやらしいシスターちゃんに有効な仔をね」


 攻守と共に優れた霊術をふるうアイシャ・エバーグリーン。

 戦闘力だけでなく、強靱な精神力を持つシスターの少女の戦いを見て、邪心母はそれに対応できるであろう怪異の名を呟く。


『めぐる駅』

『餓夢遮羅』

『吸霊蟲』


『魔道超合』


 信心深い霊能力者……特にエクソシストに対して効果を発揮する怪異を結集させ、新たな合成怪異が生まれる。


「おはよう、私のかわいい仔たち。あなたたちも今日から家族よ。そして……ルカちゃん? あなたもすぐに私の家族に加えてあげるわ。くくく」


 生誕したばかりの異形二体の頭を撫でながら、邪心母は邪悪な欲望を滾らせる。

 それは食欲であり、肉欲でもあり、底なしの所有欲であった。


「他の侵徒に渡すものですか。必ず私が手に入れるわ──『百鬼夜行』の力を」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る