ミニミニパニック【後編】

 タヌキは旧校舎を抜けると、そのまま本校舎に入っていく。


「おわっ!」


 生徒が多いため、危うく踏み潰されそうになる。

 タヌキはうまいこと人混みの間隙を縫いながら、徐々に俺と距離を離していく。

 くそっ、負けてたまるか! こちとらガキの頃から紫波家で命懸けの修行をしてきたんじゃい!

 タヌキの動きに倣うように、俺も人の隙間をうまいこと抜けていく。


「……っ!」


 切り離せないことに慌てたのか、タヌキは方向を変え、ちょうど扉が開いたどこぞやの部屋に入っていく。

 隠れるつもりか! そうはさせない!

 扉が閉められる寸前、俺もタヌキと同じ部屋に侵入する。

 さあ、どこに隠れやがった!

 ……ん? 何だ、やたらといい匂いがするな、この部屋。

 それに女子の声しかしないような……。


「ぶーーー!?」


 視界いっぱいに広がる肌色の光景。

 色とりどりのブラジャーとパンツ。

 身動きするだけで、ぷるんと揺れる大きな乳房。

 制服を脱ぎ、下着姿になった女の子たちが楽しそうに談笑していた。

 もしかして、ここ……女子更衣室~!?


「昼休みの後に体育ってキツいよね~」

「ね~? 着替えと移動のために貴重な休み時間使いたくないよね~」

「えーと、スポブラどこだっけ……あったあった。マジさ~、いつも男子の目が露骨で嫌だよね~。走るたびにおっぱいガン見してきてさ~」

「それな~。おかげで体育があるたびに胸抑えつけるスポブラ用意しなくちゃいけないんだから面倒だよね~」


 女子生徒たちは運動用のスポブラを身につけるためにブラジャーのホックを外す。

 あちこちで、豊満に育った若々しい乳房がたゆんと弾む。

 女の子たちはそのまま、ブラジャーをスルスルと下ろしていって……。


 ……って、いかーん!

 これじゃ覗き魔じゃねえか!

 くそっ! タヌキはどこだ!?

 なるべく女子生徒たちを見ないようにしながら、タヌキを探す。

 タヌキは更衣室の窓際にいた。

 その顔は心なしか「ニヤリ」と笑っているように見えた。

 ま、まさかあのタヌキ。俺が動揺するとわかって女子更衣室に忍び込んだのか!?

 おのれ! 純情な男心を利用しおって! とっ捕まえてやる!


「わぷっ!?」


 タヌキのもとへ直進しようとすると、何かが落ちてきて顔を覆われる。

 何だ、この生暖かくて、ちょっと良い香りがするのは。

 手に取ってみると、それは……ブラジャー!? ブラジャーです!


「あれ? 私のブラどこ行っちゃったんだろ?」

「私のもな~い! さっきまで手に持ってたのに~」

「やだ、下着泥棒!?」


 ブラジャーの消失で女子生徒たちが騒ぎ出す。

 ヒラヒラと真上からは白色やら薄桃色やらミントグリーンやら大胆な黒色やら、大量のブラジャーが降ってくる!

 そのすべてのブラジャーが俺の顔に纏わり付き、視界を奪った。


「もがもが! あ、あのタヌキ! 何て最高な……いや! 最低なことを! ちょ、ブラ多過ぎ! うぷぷ!」


 もはや顔だけでなく、全身がブラジャーの山に埋もれてしまう。


「あ、ああ~……」


 甘ったるい女の子の香りに包まれて頭がぼーっとしていく。

 このブラジャーがすべて現役JKの脱ぎたて……そんなものに全身が包まれる俺は世の男の憎しみを集める至高の贅沢を味わっているに違いない。

 ……って、こんなことしてる場合じゃない!

 何とかブラジャーの山から抜け出し、タヌキを追う。

 すでにタヌキは更衣室から出て、外に向かっていた。


「あっ! ダイキ見つけた!」

「ダイくん、無事!?」

「お怪我が無くて良かったです!」

「もう! そんな体でひとりで突っ走るんじゃないわよ!」


 廊下でルカたちと合流する。心配して追いかけてくれたらしい。


「ルカ! ちょうど良かった! タヌキはあっちに逃げた!」


 タヌキはすでに校庭に出ている。

 広々と拓けた場所なら、皆の目でもあの小さい影を追えるはずだ。


「待て~タヌキ!」

「むむむ。私のミカン返せ~」


 俺が先頭に立って皆でタヌキを追跡する。

 ……よし、あと少しで追いつける!


「『瞬影』!」

「っ!?」


 紫波家の技を使ってタヌキの前方に回り込む。

 後ろにはルカたちが控えている。

 挟み撃ち成功だ。


「くくく。もう逃げられんぞ!」


 そのままタヌキをとっ捕まえようと飛びかかると……。


「あれ?」


 タヌキの体がどんどん巨大化して……いやこれは、元のサイズに戻りやがった!


「ダイキ! 危ない! 逃げて!」


 俺からすれば怪獣同然の巨大生物と化したタヌキ。

 タヌキは前足を振り上げて、思い切り地面に叩きつける!


「どわ~!?」


 凄まじい風圧が起こる。頼りないほどに体重が少ないミニマムボディは、それだけで宙に浮かび上がってしまった。


「ぎゃ~! 落ちる~!」

「ダイキ! こっちだよ! えい!」


 墜落する俺をルカが受け止める。

 ……オッパイで!

 ぼよんっ、と全身がオッパイによるクッションで埋もれていく!


「ふぅ、危なかった……」

「いやいやっ、何でよりによってそんな場所で受け止めてんのよあんた!?」

「だってクッション代わりになるのがココしか思いつかなくて」

「だからってね~! ていうかソイツ窒息しそうになってるわよ!?」

「え? ……あ、ダイキ! しっかりして!」


 キリカの指摘でルカは俺の状態をようやく把握する。


「むぐぐぐ! ぐ、ぐるじい!」


 胸で受け止めてくれたところまではいいが、ちょうどブラウスの隙間に入り込んでしまい、深い谷間の中にズルズルと埋没していく。

 あぶぶ。最高に素敵な心地だが……この乳圧はミニサイズの俺にはキツすぎる!

 ジタバタもがいても、ぽよんぽよんと柔らかい感触しか跳ね返ってこない!


「あっ♡ ダイキの息が♡ だ、だめだよぉダイキぃ♡ そんなにおっぱいの中で暴れないでぇ♡」

「感じ取る場合か~!? さっさと出さんかい!」

「んっ……もう、ダメ……ああ~ん♡」

「おわ~!?」


 ビクンとルカが全身を跳ねさせたことでスポンと爆乳の谷間から抜け出す俺。

 まるで黒ひげ危機一発のようにピューンと再び空中に放り出される。


「ダイくん危ない! とう!」


 今度はレンに受け止められる。

 ……太ももで!


「ふぅ、危なかった……」

「いやいや! レン、あんたまで何てところで受け止めてんのよ!?」

「だってクッション代わりになるのが咄嗟に思いつかなくて……」

「というか、またソイツ窒息しそうになってるから!」

「え!? あっ! ダイくん! しっかりして!」


 レンのむっちむちに太く柔らかい太ももは、まさにクッションとして最適だったが、またもや隙間に挟まってしまった。


「むぐぐぐ。太ももに潰されるぅぅぅ」


 レンのぶっとい太ももの圧に挟まれて、必死にもがく。


「んっ♡ あっ♡ ダイくん、やだ♡ 息吹きかけないで♡ ソコ♡ 変なところに当たっちゃうから~♡」

「あんたまで感じ取る場合か~! はよ出さんか~い!」

「……ああ~ん♡」


 ビクンと体が揺れるレン。

 その際、太もも隙間に空気が入ったのか、あたかもポンプのように俺は吹き飛んだ。

 またかよ~!


「ダイキさん! どうぞスズナの胸に飛び込んできてください!」

「うおおお! スズナちゃ~ん! 受け止めてくれ~!」


 そのまま次はスズナちゃんのおっぱいクッションに向けて飛んでいく。

 ぼよん! とスズナちゃんの爆乳に着地!

 ……しかし、弾力がありすぎるせいで跳ね返ってしまった!


「あ~れ~!」

「ああん! ダイキさ~ん!」


 今度はキリカに向かって体が飛んでいく!


「キリカ~! どこでもいいから受け止めてくれ~!」

「え!? ちょっ、急に言われても! あわわわ!」


 とつぜんのことでキリカは手をワタワタと動かしながら、俺をキャッチしようとするが……。


「あ……」


 もうちょっとのところですり抜けてしまった。

 下手くそ~!


「うおおおお! 死んでたまるか~!」


 落下しつつも俺は腕を伸ばし、平面の途中にある出っ張りを何とか掴む!


「……ふう~。ちょうどでっかい出っ張りがあって助かったぜ」

「だ~れのお尻がデカいですって~!!?」


 ん? ずいぶんとデカい隆起だなと思ったが……何だ、キリカのお尻だったのか~♪


「いや~ありがとうキリカ! お前のお尻が人よりも大きいおかげで一命を取り留めたぜ~!」

「ああ、そう、良かったわね……トドメはアタシが刺してやるわ~!」

「おぼぼぼ!? ちょっ、ギブ……出ちゃう、中身出ちゃう~」


 せっかく難を逃れたのに、危うく怒り狂ったキリカに握りつぶされるところだった。



   * * *



「……気配はこっちからする。裏庭だね」


 タヌキが元のサイズに戻ったおかげか、ルカもようやく気配を追えるようになったようだ。

 ルカに案内されて、裏庭にたどり着く。


「あれって……」


 タヌキは集めた食べ物を茂みの傍に置いた。

 すると茂みの中からたくさんの子どものタヌキが現れた。

 ……もしかして、あの子たちのために食べ物を集めていたのか?


「あのタヌキたち……たぶん、住んでた場所が無くなっちゃったんじゃないかな? この間、新聞で読んだ。新興住宅地を作ったせいで、野生のタヌキが行き場を無くして街に出回ってるって……」


 レンが切なげに言う。


「そっか……普通に食べ物を集めていたら、人間たちに捕まってしまうから見つかりにくいように体を小さくしていたのね。動物が霊力を身につけるのは珍しくないけれど……あのタヌキは子どもたちのために力を使っていたんだわ」


 事情を理解したキリカも、情を含んだ眼差しをタヌキの親子に向けた。

 俺も、先ほどまでいだいていたタヌキへの怒りは引っ込んでしまった。

 親であるタヌキは集めた食べ物に一切手を付けなかった。

 自分だって腹を空かせているだろうに、全部子どもたちに与えていた。


「……事情はわかった。でも、霊力を持っている動物を放置するわけにはいかない」


 ルカは極力感情を抑えた声で言う。


「どうする気だ、ルカ?」

「普通なら機関に報告して保護してもらうところだけど……」

「……そうなったら、あのタヌキたちはどうなる?」

「……たぶん、実験に使われたり、怪異退治のためにその力を利用されると思う」

「……」


 機関ならそうするだろうな。

 ヤツらは慈善活動家ではない。利用できるものは何だって利用するだろう。

 そして俺も、そしてきっとルカも……そんな結末は望んでいない。


「……要は、アイツらの面倒をちゃんと見れればいいんだよな?」

「ダイキ?」


 俺はゆっくりとタヌキの親子に向かっていく。


「ダイキ!」

「危ないよダイくん!」

「戻ってくださいダイキさん!」

「何考えてるのよアンタ!」


 皆の制止を振り切ってタヌキの前に立つ。

 タヌキは子どもたちを庇って俺を威嚇する。

 子どもを守る動物はとてつもない力を発揮する。

 いまの俺の体では、あっという間にヤラれてしまうだろう。

 でも目的は戦うことじゃない。


「……ごめんな。俺たち人間のせいで、お前たちに苦労かけて」


 手を差し出すと、タヌキは戸惑うように俺を見る。


「お前たちには、自由に生きてほしいって思う。でも……人に迷惑をかけるのはダメだ。その力も、乱用し続けたらきっとたくさんの敵を作る。だから……俺がお前たちが安心して暮らせる場所を探すよ」


 そっとタヌキに触れる。

 タヌキは黙って俺の手を受け入れた。


「紫波家っていう動物霊と一緒に生きている一族がいるんだ。ひょっとしたら……霊力を持った動物も受け入れてくれるかもしれない。ダメって言われても、俺が必死に頭を下げるよ。だから、頼む。その子たちのためにも、こんなことはもうやめるんだ」

「……」


 俺の言葉が通じたのかわからない。

 でも、感情は伝わったと信じたい。

 やがてタヌキは「くぅーん」と切なげな鳴き声を上げて、詫びるように俺の体を舐めてきた。


「ちょっ、おいおい、くすぐったいだろ! はは、このサイズじゃ体中ベトベトになっちまうって!」


 どうやら心を開いてくれたようだ。

 約束しよう。絶対にお前たちが安心して暮らせるようにするからな?


「すごいダイくん、タヌキとわかり合えちゃった……」

「さすがダイキさんです!」

「野生児かアイツは……」

「ダイキ、素敵♪」


 さて、口にした以上は頑張って師匠たちにお願いしないとな……。

 動物を尊重するあの家なら無下にはしないと信じたいが。


「……お?」


 視界がだんだんと高くなる。

 どうやら、俺にかかった霊術をタヌキが解いたようだ。

 やったぞ! 元に戻れる!


「あ、ダイキ待って。いま戻ったら……」

「え? ……あ」


 喜びも束の間。肝心なことを見落としていたことに気づく。

 ビリッと布が破れる音。

 膨張する体のサイズに耐えられず、衣服が無残に破けて散る。


「きゃっ♡」

「ほうほう……」

「あらあら~♪」

「あばばばばば!」


 ルカは目を輝かせながら。

 レンは興味深げにしながら。

 スズナちゃんは指の隙間からチラチラと目を覗かせながら。

 キリカは白目を剥きながら。

 各々、素っ裸になった俺をまじまじと見つめる。


 ハラリと、俺の頭に乗っかる布。

 ブラジャーであった。

 たぶん、さっきの女子更衣室で引っかけて持ってきてしまったのだろう。

 いまここに、ブラジャーを被った全裸の男が爆誕した。


「きゃ~!? へんた~い!!」


 偶然裏庭を通りがかった女子生徒の悲鳴が上がる。

 誤解だ~!!



   * * *



 その後……。


「ったく! 『物を小さくする霊術を使うタヌキ親子を預かってほしい』とか、面倒見るオレたちのことも考えろよなお前?」

「押忍! 誠に感謝いたしますツクヨ師匠!」


 何やかんや言って、俺の頼みを引き受けてくれた紫波家の皆さんはやはり心の広い人たちだ。ツクヨさんも「きっちり躾けてやる」と約束してくれたので、もうあのタヌキが霊術を使って人に迷惑をかけることはないだろう。


「お~い、お前たち~! 遊びに来たぞ~!」

「くぅーん!」


 俺が紫波家の屋敷に顔を見せると、タヌキの親子たちは嬉しそうに駆けつけてきて、無邪気にじゃれついてくるのだった。

 ……たまに、また小さくなって、一緒におやつを特大サイズで食べているのは内緒だ。

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