ルカの過ち




   * * *



 ダイキさえいれば、友達なんていらない。

 幼いルカは本気でそう思っていた。

 ダイキはそんなルカに苦笑いを浮かべてよく言った。


『きっと俺以外にも、ルカのことを理解してくれる人がいるさ』


 その頃のダイキは紫波家での修行を始めていて、家にいないことが多くなった。

 そのぶん、ルカを一人きりにしてしまうことを気にしていたようで、できることなら自分以外に友達を作ったほうがいいのではないか、と考えていたようだ。

 ルカの母である璃絵も同じことを思っていたようで「自分から壁を作ってはダメよ?」と娘に注意をしていた。


 そんなことを言われても困る。

 友達を作ろうにも、誰も彼もルカの力を恐れて近づこうとしないのだから。

 ダイキだけだ。自分を恐れず、味方でいてくれる存在は。

 だからずっと一緒にいてほしいのに、この頃は修行にかかりっきり。とても寂しい。

 ダイキがいない間、ルカは近所にあるお花畑で花冠などを作って時間を潰した。

 公園に行くといじめっ子たちが嫌がらせをしてくる。ここなら誰にも邪魔されずに済む。


『わ~素敵! それ、あなたが作ったの!?』


 いつものようにルカが花冠を作っていると、一人の少女が現れた。

 少女はルカが手に持っている作りかけの花冠を興味深く見ていた。


『……教えてあげようか? その、作り方……』


 ルカは何気なく言ってみた。すると少女は目を輝かして「いいの!?」と喜んだ。

 ルカは少女に花冠だけでなく、アクセサリーやペンダントも作ってみせた。

 少女はますます喜んで「明日も来ていい?」と聞いてきた。

 ルカは自然と頷いていた。そんな自分に驚いていた。


『また明日ね!』

『うん……また、明日……』


 また明日。

 ダイキ以外にそんな言葉を使うのは初めてだった。


 それから、ルカは少女と花畑で遊ぶことが多くなった。

 どうやら少女の友達はみんな習い事をしているようで、なかなか遊ぶ時間がないようだった。兄もほとんど野球のチームメイトと出かけるので、構ってくれる相手がいないらしい。


『でもルカちゃんと一緒なら、もう寂しくないわ!』


 少女は満面の笑みでそう言った。

 ルカは胸が弾んだような気持ちになった。

 ……もしかしたら、彼女なら自分の友達になってくれるかもしれない。ダイキのように、自分を受け入れてくれるかもしれない。


『あ、あのね……その、私と……』


 これからも仲良くしてくれる? そう言おうと思ったときだった。


『あれ? お兄ちゃん? どうしてここに?』


 とつぜん少女の兄らしき少年が複数の男子たちを引き連れてやってきた。

 ルカは震え上がった。

 それは、いつもルカを苛めてくる連中だったからだ。


『お前が化け物と遊んでるって言うから心配になって来たんだよ』


 少女の兄は冷ややかにそう言って、ルカを睨みつけた。

 少女は兄の言葉にキョトンとした。


『化け物って、ルカちゃんのこと? なんてヒドいことを言うのお兄ちゃん!』

『いいから来い。コイツに関わるな。コイツがいるところには、他の化け物が寄ってくるんだ』

『ルカちゃんは化け物じゃないわ! こんな素敵な花冠が作れる普通の女の子よ!』


 少女は作りたての花冠を見せて、ルカを庇ってくれた。

 こんなことを言ってくれる人がダイキ以外にいるなんて……ルカは胸が温かくなった。

 だが……。


『捨てちまえ、そんなもの』

『あ』


 せっかく作った花冠は、無慈悲にも地面に叩きつけられた。


『ほら、帰るぞ。コイツともう遊ぶんじゃねえぞ』

『痛い! 離してよ、お兄ちゃん!』


 兄は少女の腕を無理やり掴んでグイグイと引っ張る。

 ……やめて。連れて行かないで。せっかく、せっかく仲良くなれたのに!

 ルカが少女を助けようとした、その瞬間だった。



 ──じゃあ、ぼくと遊ぼうよ?



 真っ白な顔をした男の子がそこに立っていた。

 目は真っ黒に淀み、口は耳まで避けて、首がありえない方向に曲がっていた。

 グギギギと嫌な音を立てて、首が捻じ曲がり、だんだんと顔が肥大化していく。


 ──遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ……遊ベヨ?


 たちまち悲鳴が上がった。

 巨大な顔が大きく口を開けて、ここにいる子どもたちを丸呑みにしようとする。

 ルカは咄嗟に動いた。


【 《怪異》 よ 《此処》 から 《消滅》 せよ ! 】


 ルカの言霊が響く。

 異形は悲鳴を上げて、空間が消失していく。

 ……良かった。うまくいった。誰一人、怪我することなく救うことができた。

 安心からルカは笑顔を浮かべた。

 もう大丈夫、と少女たちに伝えようと振り向いたルカだったが……。


 向けられたのは感謝の言葉ではなく、石だった。


『……ほら見ろ。言ったとおりだったろ! コイツはさっきみたいに化け物を呼び寄せるんだよ!』


 少年たちの目には警戒の色が宿っていた。

 少女を守るように、ルカに石を投げつける。


『普通じゃないんだよコイツは! 気味の悪いこと口にして、さっきみたいに化け物を殺して笑ってるんだ! 化け物以上の化け物だ!』

『あっち行け化け物!』

『寄るな化け物!』


 化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。

 心のない罵声と石が向けられ、ルカは頭が真っ白になった。


 どうして? どうして、そんな酷いことを言うの? 私はただ、助けようとしただけなのに。

 ルカは縋るように少女に目線を投げる。少女はとつぜんのことで言葉を失っているようだった。

 そうだ。彼女なら、きっとわかってくれる。

 ダイキのように、自分を理解してくれるはずだ。

 だから……だから私と友達に……。

 手を差し伸べて、少女のもとへ歩むルカ。

 だが……。


『ひっ!』


 ルカを見る少女の目に宿っていたのは、恐怖だった。


『……こ、来ないで!』


 理解を超えたものに対して、少女は震え上がっていた。

 ルカの中で、何かが音を立てて弾けた。


(……どうして?)


 どうして誰も、わかってくれないのか。

 自分はただ、怪異から皆を守ろうとしただけなのに。

 どうして、いつも、誰も彼も、化け物と同じもののように、自分を遠ざけるのか。

『……どうして、どうして皆、私を怖がるの? どうしていつも、私ばっかり……』


 頬を涙が伝う。

 大粒の涙を流してルカは顔を覆う。

 それでも石は投げつけられた。

 あっちへ行け。どっかへ行け。徹底した冷たい拒絶がそこにあった。

 どうして、こんな思いをしなくてはならないのか?

 自分は、望んでこんな力を持って生まれたわけじゃないのに!


『……この、力のせいだ……全部……ぜんぶぜんぶぜんぶ! こんな力があるから!』


 力は正しいことに使いなさい。

 母はよくそう言った。

 ……でも、お母さん。どんなに正しいことに使っても、悲しいことしか起きないよ。

 誰も、私を理解してくれない!

 悲しみが臨界点を迎えたとき、ルカの中に黒い衝動が芽生えた。


(……もう、いい。どうでも、いい。こんなヤツら……。嫌いだ。私だって、お前たちなんか大嫌いだ!)


 降り積もったものが溢れ出た。

 それは、ただそれだけのこと。


『嫌い……キライキライキライ! ミンナ、キライ!』


 ずっと、ずっと我慢してきたものが限界に達してしまっただけ。

 悲しいすれ違い。それによって……惨劇は起きた。


『……うわあああああああ!!!』


 ルカの叫びと一緒に、膨大な霊力が放出される。

 ルカの感情を彩るように、ソレがドス黒い色をしていた。


『消えろ……なにもかも、消えてしまええええええ!!!』


 霊力の塊が、花々を薙ぎ払い、地面を抉り、周囲を破壊し尽くしていく。

 我を忘れたルカは、込み上がる負の感情のままに力をぶつけていった。


 子どもたちの悲鳴が上がる。

 霊力の塊が牙となって少年たちと少女に向けられようとした、そのときだった。


『皆! 逃げろ!』


 聞き馴染んだ声が花畑に響いた。


『ルカ! ダメだ! 


 ダイキだった。

 必死の形相で子どもたちを避難させ、暴走するルカのもとへ駆けていく。


 ……修行を終えて戻ってきたとき、ダイキは妙な胸騒ぎを感じていた。

 それは璃絵も同じだったようで、二人でルカが入り浸っているらしい花畑に向かった。

 予感は的中していた。

 自転車で一足先に花畑に着いたダイキは、現状を見て何があったのかすべてを察した。

 いけない。こんな悲しいことを、ルカに背負わせるわけにはいかない!

 ダイキはルカを正気に戻すべく、必死に語りかける。


『ダメだルカ! どんなに許せなくても、どんなに悲しくても! その力で人を傷つけることだけはしちゃダメだ!』

『アッ……グッ……』

『ルカ? おい! しっかりしろよ!』


 力に囚われたルカは、もはや自分が何をしているのかもわからない状態でいた。

 ダイキは暴れ狂う霊力の塊を躱しながら、ルカに近づく。


『ごめんよルカ……一人にして……でも、ダメだ、こんなことは! お願いだ、いつものルカに戻ってくれ!』

『……ダ、イキ?』

『そうだ俺だ! さあ、帰ろう! こんなことやめて、一緒に……ガッ!?』

『……エ?』


 ダイキは紫波家の修行で身につけた回避技で、うまいこと霊力の塊を躱していたが……所詮は付け焼き刃。荒れ狂う霊力は、ダイキの額に傷をつけた。

 ルカの眼前で血飛沫が上がる。

 それが、この世で最も大切な少年の血と気づいたとき、ルカは我に返った。


『……ダイ、キ? ワタシ、ナニヲ? 血……血が、いっぱい……』


 誰がそんなことをした?

 ……自分だ。

 この手で、この力で、自分はダイキを……。


『私が、ダイキを? ……いやっ……いやっ! イヤアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


 受け入れたくない現実を前に、ルカは再び絶叫した。


『……ルカ』


 顔の半分を血だらけにしながらも、ダイキは立ち上がった。

 伝えなくては。自分は無事だと。こんな傷、大したことないと。

 フラフラとした足取りで、ダイキはルカのもとにたどり着き、彼女を強く抱きしめる。


『……大丈夫、だ、ルカ。俺は、大丈夫だから……頼む。もう、これ以上、周りを傷つけちゃいけない』


 泣き喚いてパニック状態になっているルカを落ち着かせるべく、ダイキはずっと傍に寄り添った。

 間もなくして、璃絵が駆けつけてきた。


『ダイキくん!? これは……ルカ、やめなさい! 自分をしっかりもちなさい!』


 璃絵の言霊によって、ルカは意識を落とした。

 被害は、ダイキの負傷だけで済んだ。

 だがそれは……ルカの心に、一生消えない大きな傷を植え付けた。


 たった一度、犯してしまったルカの最大の過ち。

 この事件を機に、ルカは自分の力の一部を封じることを、母の璃絵に懇願したのだった。

 もう二度と、大切な少年を傷つけないために。


『……お母さん、お願い……私の力を封じて!』

『ルカ……』

『私、自分が怖い! またあんなことになったら……だから、お願い!』


 ルカが己の力を恐れる原因。

 すべては、この一件から始まったのだった。


 ──可哀想ニ。ナンテ辛イ過去ナンダ。


 懺悔樹の声が聞こえる。

 不気味なほどに甘ったるい、異様なほどに優しい声色が。


 ──苦シイネ。耐エラレナイネ。コンナ罪ヲ背負ッテ、生キテラレナイネ。ダカラ……ヤメテシマエ、ヒトヲ。ソウスレバ、解放サレルゾ?


 それは甘味なる誘い。

 思考力を失った少女には、あまりにも魅惑的に思える提案。

 それが怪異の罠だとわかっているのに……。


(……私は)


 奇しくも、忌々しい過去と再び直面したルカ。

 重く、苦しい罪の意識に、ルカは苛まれる。

 もしも本当に、すべてを捨てて楽になれるのであれば……。


 ──ソウダ! 捨テテシマエ! 罪ヲ背負ッテ生キテドウスル? 楽ニナレ! スベテヲ捨テテ、幸福ナ日々ヲ……。


 だがルカは首を横に振った。


「やっぱり嫌。だって、そこにダイキはいないんだもの」


 ──ア?


 すべてを捨てれば楽になる? 

 冗談ではない。それではダイキと離ればなれになってしまうではないか。

 そんなの、絶対に嫌だ。

 ダイキのいない場所に、幸福などない。


 ──ナ、ナゼダ? ソイツノセイデ、オ前ハ苦シンデイルハズナノニ!


「バカにしないで。ダイキがいたからこそ、私は幸せだったの。確かにあのときは辛かった……。もうダイキの傍にいる資格なんてないって思って、彼を遠ざけた。でもそれでも……ダイキは私を受け入れてくれた」


 事件の後、もうダイキに合わす顔がないと、ルカは自室に塞ぎ込んでいた。

 そんなルカに対しても、ダイキはいつも通りに接してくれた。

 こんなことで怖がったり、嫌ったりしないと、言ってくれたのだ。


『約束する。もしもルカが、また悪いことをしたら、そのときは俺が止める。璃絵さんの代わりに、思いきりルカのこと叱ってやる。だからルカ……一人になっちゃダメだ。俺も強くなるから。ルカのことを、助けられるくらいに。しでかしたことは消えない……だから、一緒に背負っていこう、ルカ』


 そうだ。

 忘れてはいけなかった。

 辛いことも、苦しみも、一緒に背負っていこうと、ダイキはそう言ってくれたじゃないか。

 一人では抱えきれないことも、二人でなら乗り越えられると、そう言ってくれたじゃないか。


「……バカだな私。一人で悩んでだって、しょうがなかったんだ。素直に、ダイキに頼れば良かったんだ」


 ダイキ。

 この世で一番大切な人。

 ……ああ、思いが抑えきれない。

 会いたい。いますぐ会いたい。

 だから、帰らなくちゃ。

 こんな過去に、いつまでも縛られてはいけない!


「ダイキ……ダイキ!」


 愛おしいその名を叫びながら、ルカは現実に帰還した。

 正気を奪う樹液の効果を、見事に撥ね除けた。


 ──バ、バカナ! 人間ガ、自力デ意識ヲ取リ戻シタダト!? コンナコト、一度モナカッタノニ!


 予想外の事態に懺悔樹は激しく動揺している。

 ルカはそんな懺悔樹に大鎌を向ける。


「舐めないで。人間を餌としか思っていないお前なんかに、人の心なんてわかるわけがない」


 罪の意識は人を苛む。押しつぶされそうになることもある。

 ……だが、人をそれを力に変えることができる。前進するためのエネルギーにすることができる。


「私はいまでも自分を許していない……でも、だからっていつまでも過去に囚われちゃいけないんだ。そうでないと、どこへも進めないから」


 そうだ。答えはとっくに出ていたのだ。

 ただ向き合う勇気が足りなかっただけ。

 いざ、こうして辛い過去と直面することで、ルカはハッキリと自覚した。

 自分が、本当に為すべきことを。進むべき道を。


「私は、ダイキと一緒に未来を生きるんだ! その未来を掴み取るためにも……懺悔樹! お前は絶対に倒す!」


 決意を胸に、ルカは人々の罪悪感につけ込む、おぞましき怪異と向き合う。


「さあ──悪夢を終わらせましょう」

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