聖女の姿か? これが。
* * *
そろそろ昼食の時間になってきたので、ルカは適当に目についたラーメン屋に入ることにした。
「な~んだ、住まいが壊れたからクロノ様のご自宅に厄介になっているだけでしたの? もう~ルカったら言葉が少なくてよ? 情報は正しくお伝えなさい? フーフー、ちゅるちゅる~♪」
そして当たり前のように同席しているアイシャ。
いつまで付いてくるつもりなのだろう。
……というか、仮にもシスターがラーメン屋に入店しているのは、いかがなものか? ルカは純粋に首を傾げた。
「ずずずずず……ぷはぁ~ですわ~♪ あっ、店主、替え玉お願いいたします♪」
しかも「替え玉」までする始末。もしかして常連か?
「はぁ~美味でしたわ~。あら、ルカ! あちらのコンビニに新作のスイーツが出てるみたいですわよ! やはりラーメンの後は甘い物ですわね~♪」
コンビニスイーツを購入し、ルンルンと食べ歩きをする修道服姿の少女。
ラーメン屋といい、何ともシュールな光景だ。
「あらいけない! 今週の『ステップ』を買い忘れていましたわ! ルカ、あちらの書店に向かいますわよ! 先週の『ゼロピース』が気になるところで終わってるんですの! ついでに新刊も買っちゃいますわ~」
少年漫画を求めて書店に向かうシスターの姿を、ルカは真顔で見つめる。
「うぅ~、今週も感動ですわ~。やはり漫画はいいものですわね~。あっ! ルカ、あのパンってレンさんが紹介していた商品ではなくて!? こうしちゃおられませんわ! 売れ切れる前に購入しますわよ!」
まあお土産にちょうどいいか、とルカもパンを買う。
「ギリギリで買えましたわ~♪ 今夜のディナーはこのパンですわ♪ そうなるとスープと紅茶も欲しいですわね~。あ、そういえば今日はちょうどあそこの百貨店が激安セールスをやっているはずですわね! ルカ! 協力してくださいまし!」
気づけばアイシャの買い物に付き合わされていた。
自分はいったい何をしているのだろう、と大量の買い物袋を抱えながらルカは思った。
というか……。
「あのさ、アイシャ」
「何ですの?」
「あなた、俗世に染まりすぎてない?」
「……」
「修行のために此処に残ったんだよね? シスターとして。エクソシストとして。いいの、それで? ねーねー?」
アイシャがこの国に滞在している理由は修行のためである。
だがこのシスター……どう見ても海外生活をエンジョイしているようにしか見えなかった。
長い沈黙の後、プルプルと震えながらアイシャは口を開いた。
「……この国のお料理がおいしすぎるのがいけないんですのよ!?」
うわっ、開き直ったよこの女。とルカはドン引きした。
「だって! だって! 知っちゃったんですもの! ラーメンの味を! あんな背徳的で美味なるものがこの世に存在するだなんて! 『替え玉』とか何て素晴らしい文化なんでしょう! コンビニスイーツだってそうですわ! あんなお手軽なお値段でパティシエが作ったものにも負けない甘味を味わえるなんて卑怯じゃないですの! 漫画だってちょっとチラ見しただけですのに……この国のエンタメ文化発展しすぎですわ! どれもこれも面白すぎるのがいけないんですのよ!? 気づいたら夢中で読み切って単行本を買い集めていましたわ! ああ~っ! この国に滞在してからどんどんわたくしの世界が変わっていくのですわ~! どこへ行ってもおいしいものばかり! 楽しいものばかり! いやですわ! もう帰国したくないですわ! 教会で質素な生活するとかもう無理~! わたくしもう永住しますわ~!」
堕落に堕落しきったシスターの姿がそこにはあった。
これが母国で『聖女』と謳われた少女の成れの果て……彼女に称号を贈った教会の人々が不憫に思えてきたルカだった。
「……でっ! もっ! 問題はありませんの!」
「うわっ、急に冷静にならないでよ」
「ルカ、あなたの目にはわたくしが堕落したシスターのようにしか見えないかもしれませんわね?」
「うん」
「ですが! この国に来たことで得られたものもあるのですわ! 事実、わたくしパワーアップしましたのよ! 『鏡面世界の悪魔』との一戦で、新たな霊術を身につけたのですわ~!」
「……っ」
パワーアップ。新たな霊術。
その言葉は、いまのルカにとって、胸に深く突き刺さる効力を秘めていた。
「ふふん! 鏡の中に活動する悪魔とか、いったいどう対処すればいいのかと思いましたけれど……ああ、主はやはりわたくしを見捨ててはいなかったのですわ! 恐るべき悪魔を滅するため、主はわたくしに新たな力を授けてくださったのですから!」
「……ふーん、そうなんだ。すごいね……」
ルカは震える右手を誤魔化すように抑えつける。
急に、まっすぐとアイシャの顔を見ることができなくなった。
「わたくしはまだまだ成長することができる……それが証明できましたわ! そういうわけですのでルカ! あなたもウカウカしてはいられませんわよ!? わたくしのライバルとして相応しい成長ぶりを、あなたも見せてくださいまし! 共に競い合い、お互いを高め合う! それこそが『好敵手』というものですわ!」
「……っ!?」
ルカはギリッと歯を鳴らした。
……何で? 何でよりによって気に食わない女に、そんなことを言われなくてはならないのか。
「ルカ? どうしましたの? 今日のあなた、何だか様子が変ですわよ?」
「……うるさい。放っておいてよ」
どうしようもない居づらさを感じて、ルカはアイシャに背を向ける。
この感情は何だろうか?
まさか自分は……嫉妬しているというのか?
自分よりも一段階進んだアイシャに対して。
……いやだ。いまの自分は凄くいやだ。
こんなことを考えてしまう自分なんて嫌いだ。
ダメだ。アイシャといると調子が崩れる。
「悪いけど、私もう帰るから。荷物は自分で持って」
そう言ってルカは押しつけるように買い物袋をアイシャに手渡した。
「ちょ、ちょっとルカ?」
「もう付いてこないで。お願いだからひとりにさせて」
「……お待ちなさい。今日のあなた、やはり変ですわよ」
逃げ去ろうとするルカの肩をアイシャは掴んだ。
「何かありましたの? わたくしに話してごらんなさい」
「……べつに。あなたには関係ないでしょ」
アイシャの手をルカは少し乱暴気味に振り払った。
「私にはあなたと遊んでる時間はないの。もっと、もっと……強くならなくちゃいけないんだ。ダイキのために……」
「クロノ様のため?」
「もう、これ以上、私は負けるわけにはいかない。どんな怪異や霊能力者が現れても、私がもっと強くなって、ダイキを守らなくちゃ……」
そうだ。こんなことをしている場合ではない。
大切な少年を失うかもしれない……その恐怖の前では、自分に選択肢などないはずだ。
強くなるしかないのだ。どんな方法を探してでも。いま以上に。……アイシャ以上に。
「……」
ルカのただならぬ様子に、アイシャは憂いげな顔で声をかけようとしたが、言葉を呑み込んだ。
いまのルカに必要な言葉は優しさではないと、直感的に思ったからだ。
「……いまのあなたには、正直負ける気がしませんわね。シロガネ・ルカ」
表情と声に厳しさを浮かべて、アイシャ・エバーグリーンはハッキリと言った。
「……なんですって?」
アイシャの発言は、いまのルカにとって聞き捨てならないことだった。
普段ならば、自信過剰な少女の戯れ言として聞き流せたのだろうが……無視を決め込むことができないほどに、現在のルカは余裕を失っていた。
そんなルカの反応を見て、アイシャはますます厳格な顔つきになった。そこにはどこか怒りすら滲んでいた。
「呆れましたわ。わたくしがライバルと認めた相手は、そんな迷い子のように情けない顔をする女ではなくってよ?」
「ライバル、ライバルって……あなたが勝手にそう言ってるだけでしょ!? 一方的に敵視されて、一方的に失望されて、こっちはいい迷惑だよ!」
「ええ、わたくしもあなたをライバルと認定した自分を少し恥じているところですわ」
「……っ!?」
ルカは衝動的にアイシャの胸倉を掴んだ。
しかしアイシャに動じる様子はない。冷やかかな目でルカを見ている。
「……やはり、らしくないですわね。こんなこと、あなたが一番嫌う人種の所業のはずでしょ? クロノ様が見たら、悲しみますわよ?」
「あ……」
アイシャに言われ、ルカは掴んでいた力を緩め、戸惑った顔で己の手を見つめる。
こんな暴力で訴えるような真似……これじゃ、自分を虐めていた連中と同じだ。
アイシャの言うとおり、ルカが最も嫌う所業だ。
「やはり、いまのあなたには負ける気がしませんわ。仮に戦ったとしても、新しい霊術を使うまでもなく、わたくしが勝つと確信を持って言えます」
今度はルカも反論できなかった。
ルカ自身もわかっているからだ。
いまのアイシャに挑んでも、きっと手も足も出ないだろうと。
霊力の差ではなく……精神面での差で。
「……わたくしは、この国に来て、己の矮小さを自覚しましたわ。成功に成功を重ねて、自分ならどんなことも解決できると舞い上がっていましたわ。……でも、気づいてしまった。わたくしはただ単に『失敗を経験してこなかっただけだ』と。世界は広いことを、いやでも学びましたわ。そう……ルカ、あなたがソレを気づかせてくれたんですのよ?」
「私が……」
「わたくしが所属していた教会には、わたくし以上に優れた霊力を持つ者はおりませんでした。だからこそ驚きましたわ。わたくしと同等……いえ、それ以上の霊力と素質を持つ少女がいることに。……『井の中の蛙』と言うそうですわね、この国では」
「アイシャ……」
「わたくしにとって、あなたとの出会いは、それほどまでに衝撃的だったということですわ。だからこそ、わたくしはあなたと一緒に高め合っていきたい。そう思っていましたのに……いったい、何を腑抜けていますの、あなたは!」
今度はアイシャがルカに掴みかかかった。
だがその手つきには荒々しさというよりも、消沈している情けない相手の目を覚まさせるための活気が宿っていた。
「強くなりたいですって? ならば、なぜあなたはほっつき歩いていたんですの? やるべきことはハッキリとしていますのに。まるで現実逃避をするように」
「それは……」
「教えてあげますわ。前々からずっと感じていたことです。ルカ、あなた口では『強くなりたい』とおっしゃっていますけれど……心のどこかでは、別の悲鳴を上げていますわね?」
「なにを……」
わかったかのように、と反論しようとするルカの口は止まった。
……否定しきれない真実を、アイシャが突きつけたからだ。
「ルカ。あなた……自分の持つ力を恐れていますわね?」
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