ルカの懊悩


   * * *



 俺の気を引くために、ルカが敢えて素っ気ない態度を取っているだと?

 正直、母さんのその予想は怪しく感じるが……だがルカの様子がいつも通りではないのは事実だ。このまま見過ごすワケにはいかない。

 早速、俺はルカが寝泊まりに使っている客間に入った。


「ルカ! 俺に至らぬところがあるなら正直に言ってくれ!」


 焦るあまり、ノックもせず開口一番に本題をぶちまける。

 やらかしてから「あ、しまった」と学習しない自分のうっかり加減を後悔する。

 やっちまった! こういう場面だと、だいたいはルカが着替え中だったりと、ラッキースケベイベントが……。


「あれ? いない?」


 客間にルカはいなかった。

 おかしいな、今朝まではいたはずなんだが。


「ん?」


 机の上に書き置きがある。


『ちょっと出かけてきます。心配しないでね』


「なん、だと?」


 あのルカが、ひとりでお出かけを?

 休日は必ずと言っていいほど俺と一緒にいたがり、出かけるときだって俺を誘うはずのルカが、たったひとりで外出だと?

 そんな……。

 ということは、やはり……。


「ルカァー! 本当に俺に愛想を尽かしてしまったのかぁ~!?」


 大粒の涙を流しながら俺は窓の外に向かって叫んだ。



   * * *



 ルカは街中にあるベンチに腰掛け、ぼうっと空を見上げていた。

 行くあてはない。いまはただ、ひとりきりになる時間が欲しかった。

 特に今日は、ダイキとはなるべく顔を合わせないよう努めることにした。

 ここ最近、ルカはダイキと一緒にいても、意識して彼と深いコミュニケーションを取ることを避けていた。

 もちろん、彼のことが嫌いになったわけではない。そんなことは天がひっくり返ったとしても、ありえない。

 むしろ、その逆だ。

 ……気を抜くと、ついつい彼に甘えたくなってしまう。

 弱音を打ち明けて、彼のどこまでも深い優しさに身を委ねてしまう。

 だが、それはいまの自分にとって良くないことだとルカは戒めをかけていた。


 自分はこれ以上、弱くなるわけにはいかない。

 大切な少年と友人たちを怪異の魔の手から守るためにも、自分はもっと強く成長しなければならないのだ。

 そうしなければ……今度また『常闇の侵徒』が現れたとき、生き残れるかどうかわからない。


『見せてあげる……あの御方に与えられた、私の特別なチカラを』


 水坂牧乃……否、『邪心母』との一戦を、ルカはまるで昨日のことのように思い出し、身を震わせた。

 喰らった怪異を合成させ、強力な怪異を生み出す『魔道超合』……ヤツの霊術に、ルカは手も足も出なかった。

 守護霊の力を引き出すキリカがいなければ、間違いなく殺されていただろう。


 怪異の長【常闇の女王】。

 母の仇敵かもしれない存在。

 そしてそんな存在を崇め、女王の力を授かった『常闇の侵徒』……。

 復讐の対象は、ルカが思う以上に強大だった。


 いったい、どれほどの規模かは想像もつかないが……恐らく『邪心母』のように【常闇の女王】の力を授かった強力な霊能力者たちによって構成された組織。

 ルカは戦慄した。『邪心母』ひとり相手ですら、手も足も出なかったというのに、もしも一斉に攻め込まれたら、自分たちは今度こそ……。


 嫌な想像を振り払った。

 違う。そんな結末にさせないために自分は強くならなければならないのだ。

 しかし……結局その方法を今日までルカは見つけられずにいた。


(私は、なんて無力なんだろう)


 ルカは自虐した。

 そもそも、自分には知らないことが多すぎるのだ。


 怪異の長である【常闇の女王】とは、いったい何者なのか?

 復活の儀式と称して怪異を意図的に増やしている『常闇の侵徒』……ということは、今現在【常闇の女王】は封印されているということなのか?

 情報を握っているであろう機関は、いまだにこの件に関してばかり沈黙を貫いている。

 わからない。

 何もわからない。

 このままでは、いけないはずなのに。


 わからないと言えば、自らの力に関してもそうだ。

 ルカは胸元に手を当てる。

 身の内に宿った霊装……『紅糸繰べにしぐれ』について思いを馳せる。


 ──汝が、白鐘璃絵の娘であるのなら。

 ──示せ。我らを宿すに値する器であるかを。

 ──示せ。力が欲しくば、我らに示せ。

 ──我らの力を、授けるに相応しき人間であるかを。


 病院の屋上で、ルカに向けて発せられた何者かの声。

 あれは、間違いなく紅糸繰を通して伝わってきた。


(あの日以来、『声』は聞こえない)


 母の璃絵から受け継いだ霊装……この紅糸繰には、何か秘密がある。

 娘の自分すら知らない、特殊なナニかが。


(そういえば、私は自分の家のこともよく知らないんだ)


 藍神家や紫波家のように、歴史の深い一族ではないことは知っている。『言霊使いの白鐘家』の名前が知れ渡るようになったのは、璃絵が各地で霊能力者として大いに活躍するようになってからだ。

 霊能力者の家系は基本的には秘匿主義であり、自家の秘術をわざわざ他家に見せびらかすような真似はしない。その中でも白鐘家は、裏の世界でも影に潜む一族だったそうだ。

 つまり母は掟破りな霊能力者だったということになる。


『力のある者は力の無い人たちのために、正しく力を使わないといけない』


 それを信条に、母の璃絵は全国各地に赴き、人々を怪異から救ってきた。

 そんな母をルカは誇らしく思っていたし、深く尊敬していた。ときどき寂しく思うことはあったけれど、母でなければ救えない命があるんだと言い聞かせて、いつも大人しく帰りを待っていた。

 それに霊能力者の子どもは、ある程度の年齢に達したら、実戦を学ぶために現場に連れていかれるという。いずれ自分も母と一緒に怪異と戦うことになるだろう。そう思えば、寂しくはない。

 来たるべき日に備えて、自分も力を使いこなせるように修行をしなければ。ルカはそう思っていた。だが……。

 璃絵がルカを怪異退治に連れていくことは、ついぞなかった。


(きっと、お母さんは私を後継者として育てるつもりはなかったんだ)


 璃絵がルカに教えたのは、基本的な力のコントロールと、力との向き合い方、そして自衛のために使えるいくつかの霊術だけ。

 それ以上のことは教えてくれなかった。

 恐らく、璃絵は自分の代で白鐘家を終わらすつもりだったのだろう。


『ルカ。あなたは自分の進みたい道を進みなさい』


 璃絵はそう言って霊術の修行をルカに強制させることはなかった。

 この事実を知れば、他家の霊能力者たちは璃絵を非難するだろう。霊能力者の秘術は子孫に受け継いでいくべきもの。璃絵はその使命を果たさなかった。

 霊能力者の『師』としてではなく、ルカの『母』であることを選んだのだ。


『大丈夫よルカ? 私が全部、終わらせてくるから』


 その言葉を最後に、母は帰らぬ人となった。

 戻ってきたのは母の霊装である紅糸繰だけ。

 母は何かを為そうとしていた。だがそれは恐らく果たせなかった。

 ルカは思う。

 母は決して、己の無念を晴らすために娘に霊装を託したわけではない。きっと最期まで己の考えを変えなかったはずだ。

 娘に進みたい道を進ませる。ただ……そのための選択肢のひとつを用意しただけ。


 自分には選ぶ権利がある。

 このまま何も知らず、仲間と共に平穏に生きる道。

 真実を求めて、過酷な戦いに身を投じる道。


 ……だがルカにはわかっている。

 本当に幸せな未来を掴みたいのなら、きっと自分たちには避けられない戦いがあることを。

 それを終わらせない限り、自分たちに安らかな日は訪れない。


 本当の意味で、自分の力と向き合うときがきた。

 ルカはそう確信している。

 自分は知らなければならない。

 自らの力の起源を。母の意思を。背負うべき使命を。

 それを知るためには……。


(あの書庫が、手がかりになるかもしれない)


 白鐘家の屋敷の地下には、大きな書庫がある。

 そこに入ることは幼い頃から禁じられていた。

 だがきっと、そこに白鐘家の歴史がある。

 鍵は婿養子である父が持っているはずだ。

 けれど、彼が鍵を渡すことはないだろう。


『もう裏の世界に関わるな。真っ当に生きろ』


 それだけを口にして、逃げるように仕事に没頭する父。

 もともと子どもに関心がない男だったが、璃絵が亡くなってからは、まるで娘など存在しないかのように振る舞い、屋敷にも滅多に帰ってこない。最後に顔を合わせたのも、いったいいつだったろうか。


 ルカは首を振った。あんな男のことなど、どうでもいい。書庫の扉を開けるだけなら、別の方法を探せばいいだけ。

 ただ……あの書庫に入ったら、自分はもう引き返すことはできないだろう。

 己の生家の真実を知ったとき、運命の歯車は一気に回り出す。

 何となく、そんな気がしていた。

 その予感が、ルカの決意を鈍らせていた。


 肉啜りの一件から、もう随分と時間が経った。

 そろそろ決断しなければならない。

 誰かに頼るのはいけない。

 自分ひとりで決める強さを持たなければ、この先、真実を受け入れられないだろう。


(私ひとりで、決めなくちゃ。ひとり、で……)


 ルカはまた空を見上げた。

 ……ひとりきりは静かだ。こんな時間はいつ以来だろう。

 でもヘタをしたら、自分はこんな風に、ずっとひとりぼっちの女の子だったかもしれない。

 誰もがこの力を恐れて、ルカから離れていった。

 ダイキがいつも傍にいてくれたから、ルカは孤独にはならなかった。

 そして気づけば、自分の周りにはたくさんの友人たちがいた。

 大切な、大切な人たち。彼と彼女たちを守るためにも、強くなりたい。

 そう思っているのに……。


(ダイキ……)


 ああ、ダメだ。

 甘えてはいけないと言い聞かせていたのに、いまどうしようもなく、幼馴染の少年に会いたい。

 このどうしようもない不安を打ち明けて、「大丈夫だよ」と言ってもらいながら、強く抱きしめてほしい。


 ……というか、そろそろ限界だった。

 滅茶苦茶ダイキとイチャイチャしたい。

 せっかく一時的にダイキと同じ屋根の下で暮らしているのに、ルカは辛抱強く己の衝動を抑えてきた。偉い。自分を褒めてあげたい。

 でも、もう無理。

 ダイキ分が不足している。

 供給しないと壊れてしまう。


 ダイキもダイキである。

 こっちは「我慢しなくちゃ!」と必死に禁欲を強いているのに、その決意を揺るがすような真似ばかりして。

 たとえば、そう……あんな無防備な部屋着で色っぽい鎖骨を見せつけるとか!


 そう、鎖骨である。

 ただの鎖骨ではない。

 ダイキの鎖骨なのだ。

 まったく、何てエッチな鎖骨なのだろう。

 あんなに毎日まいにち、見せつけて!

 誘ってるの? ねえ、私のこと誘ってるんでしょ? と問いつめたい。

 こっちはあの鎖骨のせいでムラムラしてしょうがないのだ。

 何度、夜な夜な忍び込んでその鎖骨に吸いついてやろうと思ったことか!

 ああ、ダイキのプチデビル! インキュバス! そんなに私に襲ってほしいの? もうバカ。こんなにも私を誘惑して。バカバカ。いま目の前にいたら、絶対に押し倒しちゃうんだから。もうやだ。やんやん。

 連日、言い知れぬ不安と禁欲でモヤモヤしていたルカは気の毒なことに、いろいろと壊れかけていた。


「あら~? そこにいるのはシロガネ・ルカではないですこと~?」

「げっ」


 ルカは不愉快げに顔を歪めた。

 できることなら会いたくない人物がそこにいた。

 今年、ルカはたくさんの少女と出会い、親しくなった。

 だが断じて、目の前の女はそんな存在ではない。

 周りは「なんだかんだで仲良いじゃん」と言うが、ルカは絶対に認めない。

 そう……この女に限っては!


「あなたったら何をしていますの? こんな公衆の場でハレンチな表情を浮かべてクネクネなんてして! 乙女として恥じらいを持ったらどうですの!?」

「……お前だけには言われたくない。淫乱シスター」


 ある意味でルカにとって最大の敵である少女、アイシャ・エバーグリーン。

 自分を棚に上げて注意をしてくるムッツリスケベな少女の言葉に、ルカは額に筋を立てた。

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