藍神の剣




 かつて『歴代最強』と謳われた巫女がいた。

 もしも彼女に千年の寿命があれば、この国に存在する怪異を殲滅できたのではないか?

 誇張抜きに、そう言えるほどに次元違いの強さを誇っていた退魔巫女……それが藍神家三代目当主、藍神凪紗である。

 彼女の偉大な剣技を継承すべく、多くの巫女が修練を積んだ。

 ……だが、ついぞ誰一人として彼女の剣技を使える巫女は現れなかった。

 凪紗の剣は、あまりにも人間離れしていた。


 結果、伝説の巫女の剣は、幻の秘技として歴史の闇に沈むかに思えた。

 ……数世紀を経て、子孫の身に守護霊として顕現するまでは。


 藍神家の現当主は歓喜した。

 落ちこぼれだと思っていた娘が、まさかの伝説の巫女を宿す器だったのだから。

 藍神家の歴史を変えかねない事態だった。


 だが……守護霊を自由に降ろすことはできなかった。

 顕現したのは、一度だけ。

 友人の少女を怪異から救ったときだけだった。


『やめろ……その子に手を出すなあああ!』


 大切な友人が怪異によって一生消えない傷を負わされたとき、キリカは覚醒した。

 それっきりだった。

 いったいどんな原理だったのか、いかなる方法を使っても、キリカが守護霊を降ろすことは、それ以降なかった。

 一度は期待に胸を弾ませた藍神家の面々は、再び落胆した。

 所詮は落ちこぼれは落ちこぼれだっということなのか。

 宝の持ち腐れもここに極まる。

 もしも守護霊の力を自由に引き出すことができれば、あるいはキリカこそが……。

 だが結局、キリカは裏の世界から遠ざけられる形となった。


 ……『最弱の巫女』に『最強の巫女』が宿る。

 何とも皮肉な話だった。

 だが、ひとたびキリカに守護霊が降りれば……いかなる怪異も、彼女の敵ではない。

 廃病院の怪異も。

 ルカですら敵わなかった、恐ろしい相手でさえも……。


 無論、水坂牧乃が生み出した合成怪異とて、例外ではない。


 ──剣舞一式・椿の舞『流閃一刀りゅうせんいっとう


 決着は一瞬だった。

 神速の勢いで繰り出された、踏み込みの斬撃。

 稲妻が過ぎ去ったような衝撃は、合成怪異を跡形もなく消滅させた。

 凄まじい斬撃の余波は、水坂牧乃にすらも影響を与えた。


「あああああああっ!!?」


 神気を帯びた霊力が、水坂牧乃の体を苦しめる。

 闇の眷属として恩恵を受けた体にとって、神の力はまさしく天敵である。


(じょ、冗談じゃないわ! 『守護霊』に対応できる怪異なんて取り込んでない!)


 水坂牧乃が生み出した合成怪異は、ルカとダイキの能力に対応するよう生み出したものだった。

 気絶しているフリをして、ずっと二人の戦いを見ていたのだ。対策は容易だった。

 そして……足手まといであった藍神キリカの対策など、当然していない。する必要もなかった。

 ……それが、あだとなった。

 だが、いったい誰が想像できよう?

 最弱と呼ぶにふさわしい弱小の霊能力者に、まさか……神に等しい力を持つ守護霊が宿っているなど!


 逃げなくては。

 いまは、とにかく撤退するしかない。

 水坂牧乃は身体能力を強化して、屋敷の柵を跳び越える。


 その直前……右腕を切り落とされた。


「っ!?」

「よお。状況はよくわかんねえけど……お前、敵でいいんだよな? 霊力がドス黒過ぎるしよ」


 手刀を構えた紫波ツクヨだった。

 彼女に続いて、三人の女傑が水坂牧乃に追撃をかける。


「あらあら~? ダイちゃんを虐めたのはあなたかしら~? ……ブチ殺されたいみたいねぇ?」

「どこの賊か知らんが……我が輩の愛弟子を傷物にするとはいい度胸じゃな?」

「……お前、ダイキ、傷つけた……殺ス」


 斬撃を伴った蹴りが繰り出される。

 扇で煽られた鉄球が弾丸の勢いで打ち出される。

 長槍が渦のように回転して突き出される。


 水坂牧乃を容赦なく串刺しにしようとした連撃は……黒い影によって防がれた。


「っ!?」


 紫波家の四人は驚愕する。

 とつじょ出現した影は、そのまま水坂牧乃の体を包み、水中に沈ませるように取り込んでいく。


「助かったわ『影浸えいしん』。さすがの私も紫波家四人を同時に相手にするのはキツイわ」


 影に取り込まれながら、水坂牧乃は切断された自分の手を呑み込んだ。


「んっ……あああっ!」


 すると、彼女の右手は何事も無かったかのように新しく生える。

 その様子に、ツクヨは息を呑んだ。

 コイツ、本当に人間か? と。


「今夜はこれまでね。……また会いましょう、黒野大輝君。私、あなたのこと諦めないから……」


 空間に溶けるように、姿を消していく水坂牧乃。

 最後に彼女は濡れた眼差しで、気絶したダイキを見ていた。



   * * *



 目が覚める。

 体中が悲鳴を上げている。

 とても動けそうにない。

 いま、どうなっている?

 ルカとキリカは……。


「黒野。動いちゃダメ。ジッとしてなさい」

「キリカ……」


 俺の傍にキリカがいた。


「凪紗様がまた助けてくれたわ。だから、もう大丈夫」

「そうか……ありがとう、キリカ」


 どうやら、またキリカのおかげで一命を取り留めたらしい。


「キリカ……ルカは?」

「安心して? いま紫波家の人たちが応急処置してくれてる。命に別状はないみたい」

「そうか……」


 師匠たちの姿が見える。なぜここにいるのかはわからないが……彼女たちがついてるなら、とりあえず安心だ。


「……」


 いろいろなことが、急に起きすぎて、いまだに整理が追いつかない。


 水坂牧乃が霊能力者だったこと。

 清香さんの仇敵だったこと。

 【常闇の女王】を信奉する『常闇の侵徒』という勢力が存在すること。

 そして……怪異同士を組み合わせて生み出された合成怪異。

 俺たちは、ソレに手も足も出なかった。

 死んでいた。

 キリカがいなければ、確実に。


「……少し、わかった気がする。キリカの気持ちが」

「え?」


 俺の両手に出現した鋼鉄の篭手はすでに無く、元の数珠に戻っていた。

 戦うための手段を得て、俺は肉啜りを倒した。

 べつに舞い上がっていたわけじゃない。

 ただ……どうしても勝てない相手がいる。

 そのことを、嫌でも痛感させられてしまった。


「辛いな……弱い自分って……悔しいよ……何も、できなかったことが……」


 涙がこぼれる。

 わかってはいる。

 人には人の役割がある。

 今回が特殊だっただけで、本来、あんなものと戦うのは俺の役割ではない。

 ……でも、それでも、考えてしまう。


「強くなりたい。もっと……いろんなものを、守れるように」


 ワガママを言っていることは承知だ。

 きっと、いつものようにキリカに『生意気なこと言ってるんじゃないわよ!』と厳しく叱咤されるかと思った。

 だが……。


「……泣かないでよ」


 キリカは、いつもよりも穏やかな声色で、そっと俺の頬を撫でた。


「あんたが、そうしたいなら……アタシも一緒に探すわ。強くなる方法を。だから……一人で背負い込まないでよ? アタシたちは……チームでしょ?」


 涙ぐんだ顔で、キリカがまっすぐ俺を見つめる。


「アタシも、もっと強くなるから。この力を、ちゃんと使えるように……あんたばかりに辛い思いをさせない。だから……」


 一緒に、戦っていこう。

 キリカは、そう言ってくれた。


「もう『追放する』なんて、バカなこと言わないから……あんたの覚悟も、苦しみも一緒に背負うから……だから、泣かないで」

「……ありがとう、キリカ」


 キリカの優しい手つきを感じながら、俺は星空を見上げた。

 天に昇っていた無数の魂……彼ら彼女らの無念を晴らすためにも、探していこう。

 この残酷過ぎる世界で、俺にできることを、頼もしい仲間たちと一緒に。

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