皆に愛されるダイキ




 * * *



 キリカの見事な拳に加えて、少女たちの艶姿を見て毎度のように大量の鼻血を噴出して気絶したダイキ。

 ルカはそんなダイキを居間のカーペットに横たわらせて、看護をしていた。


「よかった。ダイキようやく落ち着いたみたいだよ、キリカ。……キリカ?」

「見てない見てない見てない……アタシは何も見てない……忘れろ忘れろ忘れろ……」


 いまだに浴場で見てしまったショッキングなものが頭から抜けないのか、キリカは顔を真っ赤にしたままブツブツと呟いていた。

 部屋の隅で蹲っているキリカを、ルカは呆れ気味に見る。


「ダイキもそうだけど、キリカも大概色事に耐性がないよね?」

「あ、あんたたちがオマセ過ぎなのよ! だいたいレンもスズナもアイシャも! どいつもこいつもソイツに対して色ボケになっちゃってさ!」

「仕方ない。みんなお年頃だから」

「それにしたって限度があるでしょ! ルカも少しは恥じらいなさいよ! い、いくら相手が幼馴染だからって……何でアレを見て平然としてんのよ!」

「だってダイキのだもん。それに、近い未来、何度も見ることになるわけだし……ぽっ」

「ああ~聞こえない聞こえない! アタシには理解のできない世界の話だから聞こえない~!」


 うっとりと桃色に染まった頬に手を添えるルカと、両耳を抑えてジタバタとするキリカ。

 横で少女たちが騒いでいても、ダイキが目覚める気配はない。

 穏やかな寝息を立てながら、グッスリと眠っている。

 奇しくも、やっと落ち着いた時間を得たダイキの寝顔は実に安らかだ。

 熟睡しているダイキを、ルカは愛おしそうに見つめる。


「大丈夫だよ、ダイキ。私が傍にいてあげる。だから安心して眠っていてね?」


 ルカはダイキの傍に腰をおろし、寝付きの良い子どもをあやすように頭を撫でる。

 その空間だけ、まるで二人だけの世界になってしまったかのように、甘ったるい雰囲気が滲み出す。

 そんな様子を、キリカは溜め息交じりに眺める。


「なんていうか……本当にルカって黒野にベッタリよね」

「うん。世界で一番大切な人だもん」


 はばかることもなく、堂々とそう口にするルカに、キリカは思わずたじろいだ。


「普段の様子からわかってはいたけど……あんたにとって、黒野は本当に大きい存在なのね」

「そうだね。周りが私のことを不気味に思って、酷いイジメをしてきても、ダイキだけは絶対に庇ってくれて、味方でいてくれた。ダイキがありのままの私を受け入れてくれたから、私も自分のことを受け入れられるようになったの」


 当時のことを振り返りながら、ルカはダイキに慈しみに満ちた眼差しを送る。


「だから今度は私が、ダイキを苦しめるものから絶対に守るって決めたの。私の力は、そのためにあるんだって、自分の生まれ持ったものを誇れるようになった。もしもダイキがいなかったら……私は自分のことが嫌いになって、この力に振り回されていたと思う。いまの私があるのは……ダイキのおかげ」

「そう……少し、ルカが羨ましいわ」


 ルカとダイキの間にある強固な信頼関係を知って、キリカはそっと呟いた。


「アタシも、幼い頃にもしも黒野みたいなやつが傍にいたら……何か変わっていたのかもしれないわね」


 キリカは想像してみる。

 もしもダイキが幼馴染だったら、あの家で居場所がない自分を庇い、味方になってくれただろうか? ……きっと、そうなっただろう。

 黒野大輝とは、そういう少年だ。


「才能だけがすべてじゃない。キリカにはキリカにしかない素敵なところがたくさんある」と、そんなことを恥ずかしげもなく口にしたに違いない。

 拠り所を求める孤独な少女の傍に、絶対的味方として、自分を全肯定してくれる優しい少年がいたら……なるほど、確かにそれは、自分もルカのようになってしまうかもしれない。

 なんと罪深い男だろう。

 黒野大輝は、多感な時期の少女たちにとっては、あまりにも甘い毒だ。

 現に、ルカだけでなく、多くの少女が彼のになっているわけで……いや、アタシは断じて違うけれど、とキリカは首を振った。


 ふと、ダイキのスマートフォンが振動する。

 電話であった。


「誰から?」

「レンからみたい。スピーカー通話にするね」


 眠っているダイキの代わりに、ルカが電話に出る。


「レン、どうかしたの?」

「あれ、ルカ? ダイくんの様子が気になって電話してみたんだけど……どう? ダイくん、大丈夫?」

「うん。いまちょうど眠ったところ。特別にテレビ電話で寝顔を見せてあげましょう」

「あら、かわいい♪ ……良かった、ダイくんが無事で」


 電話越しから、レンの安堵の声が伝わってくる。


「私、今回は何もしてあげられないから、ジッとしていられなくて……」

「気にしないで。レン、いつも私たちに言ってるじゃない? 『オカ研は適材適所。お互い、できることと、できないことはチームで補っていこう』って。だから、今回は私たちに任せて?」

「……うん。ルカ、キリちゃん……ダイくんを、お願いね?」


 切に祈りが込められた、レンの願いを、ルカとキリカはしっかりと胸に刻んだ。


 レンとの通話を終えると、立て続けに電話が鳴った。

 今度は、スズナからだった。


「ダイキさんのことが気になってしまって……あの、本当に必要なものがありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね! スズナはいつでも駆けつけますから!」

「ありがとうスズナ。大丈夫、ダイキはきっと守るから」

「はい……どうか、ダイキさんをお願いします。私、信じてます。今回も、きっと無事に乗り越えられると……」


 全幅の信頼が宿ったスズナの言葉を、ルカとキリカはしっかりと耳に焼き付けた。


 この男は本当に皆に愛されているわね……とキリカは己に課せられた責任の重みを感じた。

 彼を大事に思う少女たちに涙を流させないためにも、絶対に守らなければならないのだと、キリカは改めて決意を固めた。

 ダイキがいつも自分たちを怪異とは異なる脅威から守ってくれるように、今回は自分たちが全面的に彼を守る番だ。

 ……そう思ったところで、キリカはふと前々からルカに尋ねたいことを尋ねた。


「ねえ、ルカ……あんたは、怖くないの? 黒野が大切だって言うなら、そいつが裏の世界に関わることに」


 ダイキは霊能力者ではない。

 一般人としては超人染みた身体能力を持つ男ではあるが……本来ならば、こっちの世界に関わるべき存在ではない。

 それはレンやスズナにも言えることだが……彼女たちは後方支援として、自分の役割に徹しているし、引き際をちゃんと弁えている。

 だが、ダイキは違う。

 一般人にも関わらず、彼は常に前線に出ている。

 それがどうしても、キリカには危うく見えてしょうがない。いつか取り返しのつかないことが起きてしまいそうで……。

 この間、部室で何気なく口にした「オカ研からダイキを追放する」というのも、半ば本気であった。


 彼は確かに頼りになる。だが怪異の前では無力だ。

 キリカの脳裏に浮かぶのは、邪霊によって一生消えない傷を負った女友達のことだった。

 ダイキを見ていると、刻まれたトラウマがちらつく。

 あんな思いは、二度としたくない。

 ルカは、怖くないのだろうか。

 ダイキが大切だというのなら、おぞましい怪異が蔓延る裏の世界から遠ざけたいと思うものではないのか。


「……怖いよ。いつだって怖い。ダイキを失ったら、私は生きていけない。迷わず後を追うと思う」


 底冷えするようなことをハッキリと口にするルカを前に、キリカは思わず打ち震えた。


「でもね……守られるだけじゃ辛いってことを、私はよく知っているんだ。ダイキはいじめっ子から私を庇ってくれた。でも、そのせいでダイキもいじめの標的にされた。すごく悔しかった。大切な人だからこそ、一方的に守られるだけなのは、何もしてあげられないのはイヤだった。だから……ダイキも、同じだと思うんだ。自分だけが安全な場所にいて、私だけが危険な場所に行くことに耐えられない。そんなダイキの気持ちに、応えてあげたいの」


 ダイキの頭を優しく撫でながら、ルカは静かに語る。


「それに、この世界に逃げ場なんてあるのかな? 安全な場所なんて本当にあるのか、わからない。だったら……手と手を取り合って生きていこうって、そう決めたの」


 怪異は神出鬼没だ。

 常にヤツらは日常の影に潜み、ふとした拍子で人間たちに牙を剥く。

 ……確かに、こんな理不尽な世界に安全な場所なんてないのかもしれない。

 だからルカとダイキは、肩を並べて、同じ場所にいるのだ。

 お互い、大切な存在を守れるように。支えていけるように。

 そんな二人が、キリカには眩しく見えた。


 この二人も、自分が理想として思い描いていた絆を結んでいるんだ、とキリカは打ちのめされた。

 自分も双子の姉とこうありたかった。

 もしかしたら、普段ダイキにキツく当たってしまうのは、嫉妬もあったのかもしれない。

 霊力を持たない一般人でありながら、キリカが求めていた信頼関係を容易く築いているダイキが、羨ましかったのかもしれない。

 理不尽ね、とキリカは自嘲した。

 ダイキが目覚めたら、少しは優しくできるように努力しよう。キリカはそう思った。


 再び電話の着信が鳴る。

 画面に表示された名前を見て、ルカは「げっ」と苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「うわ、アイシャだ。無視しよ」

「いや、出てあげなさいよ。大事な用かもしれないんだから」

「あの淫乱シスターの電話だよ? どうせ碌な用事じゃないよ」

「あんた、何でそんなにアイシャばっかりに当たりがキツイのよ?」

「ダイキを見る目がやらしい。理由はそれで充分」


 そのまま着信拒否をしようとしたルカだったが、さすがに気の毒に思ったキリカは電話を繋いだ。

 すると、


「……はぁ、はぁ……んぅ……ああっ……あぁ~ん、ク、クロノ様~」


 やたらと色っぽく息を荒くしたアイシャの声がスピーカーから聞こえてきた。

 ルカとキリカは真顔で沈黙した。


「ああっ、いまクロノ様が耳元でわたくしの声や吐息を聞いてくださっているかと思うと、それだけでわたくし、もう感情が昂ぶってしまって……はぁん、いまクロノ様のお声を聞いてしまったら、わたくしどうにかなってしまいそう! クロノ様、どうかお口を開くのはお待ちになって? アイシャ、まだ心の準備が……ああん! 殿方と電話することがこんなにもハレンチなことだったなんて知りませんでしたわ~! 二人の間でしか通じない声と声の密会! はぁぁぁぁん! こんなのもう実質、交」


 ルカは通話を終了させた。

 しばらくして、再びアイシャから電話が来た。

 いつまでも鳴り止まないので、ルカは渋々通話を繋いだ。


「申し訳ございませんクロノ様。取り乱したましたわ。ええ、決してイタズラ電話ではございませんの。ちょっとあなたのお声が聞きたかっただけでして……どうかアイシャのことを嫌いにならないでくださいまし?」

「失せろ、淫乱シスター」

「いやあああああ! クロノ様に嫌われちゃった~ん! ……って、その声はシロガネ・ルカ!? なぜあなたがクロノ様の電話に出てますの!? クロノ様はいずこに!?」

「ふっ。ダイキなら私の横で寝てるよ?」


 ダイキの隣でゴロンと横たわりながら不敵な笑みを浮かべるルカ。

 間違ってはいない。

 だが視覚情報を得られないアイシャからすれば、あらぬ想像を浮かべてしまうには充分な言葉で、スピーカーから「いやああああ! これが俗に言う『えぬてぃーあーる』というやつですの~!?」と悲鳴が上がった。


「許しませんわルカ! どんな感じでしたの!? 詳しく教えてくださいまし!」

「悪いけど、アイシャの相手をしている余裕はないの。ダイキは、いまヤバいのに狙われてる」


 事の経緯をルカは簡潔に伝えた。


「ぬあああああんですってえええええええ!? 擬態能力のある人食いがクロノ様を!? ルカ! あなたがいながら何をしてましたの!? というか、わたくしが送った『加護』と『』をたっぷり注ぎ込んだ手紙はどうしましたの!?」

「あんなの捨てたよ。術者の思考のせいで『催淫』の効果が出てたもん」

「なん、ですって? わ、わたくしの純粋な愛がそのような効果を発揮するはずが……」

「そのバカみたいに大きい胸に手を当てて自分を見つめ直せ淫乱シスター」

「キイイイイイイ! わたくしの愛を侮辱する気ですの!? もう我慢なりませんわ! 待っていてくださいましクロノ様! いまアイシャがあなたをお助けに参りますわ! というかずっと会えなくて寂しいのですわ~! ……って、なぜ止めるんですの!? 悪魔払いがまだ終わってない? あなた方で何とかなさい!」


 何やらトラブルが起きているのか。

 電話の向こう側で慌ただしい物音が鳴り響いている。


「だいたい鏡面世界に住み着いた悪魔とかどうすりゃいいんですの!? もっと頼れる術者を探してきてくださいまし! わたくしは愛する御方のもとへ行きますわ! いやああああ! 離せ離せ~! 『聖罰騎士団』に課せられたノルマなんて知ったこっちゃねーですわ! わたくしはこの国で愛に生きるんですの! ああ、クロノ様クロノ様クロノ様! どうか、どうかご無事で~! きっとアイシャはあなたのもとへ帰りますわ! いいことルカ!? 次会ったとき主役はこのわたくし……」


 ブツッと電話は途中で切れた。

 嵐が去った後の静けさに似た空気が室内に漂う。


「……お茶淹れてくるわね?」

「うん」


 少女二人はとりあえず一服して、気持ちを切り替えることにした。



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