マーキング
* * *
黒猫の亡骸は庭に埋めた。
手を合わせ、残酷な最期を迎えた黒猫を弔う。
「……名前、もっと呼んであげれば良かったな。ごめんな? 名前呼ぶと、愛着湧いちまうと思ったから。でも……クロノスケは無いよな? だってお前、メスだったもんな。ルカのやつ、よく性別も確認しないで名付けちゃってさ。だからルカに懐かなかったんだろ? けど、いい奴なんだぜ? きっともっと一緒に暮らしてたら、お前だってルカのこと好きになったよ。そうさ、あの夜だって、俺とじゃなくてルカと一緒に寝ていれば、お前は……」
それ以上、言葉が出てこなかった。
許してくれ、と言えばいいのか。
守ってあげられなくてすまない、と謝ればいいのか。
だが……ハッキリしていることはひとつだ。
「……仇、絶対に、とるからな?」
泣くのはこれで最後だ。
やるべきことをやろう。
とにかく、ルカに伝えなければならない。昨夜、起きた出来事を。
……今回、ルカが関わっているとされる怪異。『肉啜り』と、ルカは口にしていた。
その名前から連想されるものと、昨夜の悲劇は恐ろしいほどに一致する。
生き物の皮だけを残し、中身を抜き取る所業……。
間違いない。昨夜のは、その
ギリッと歯が軋む。
絶対に、許さない。
何が目的かは知らないが、必ず報いは受けさせる。
ルカはまだ屋敷に帰っていないようだった。
調査を終えて、そのまま学園に向かったのかもしれない。
事前に電話で伝えようかと思ったが……やはり直接話すべきだろう。
なんだかんだで、ルカもクロノスケのことを可愛がっていたのだから。
学園に着くと、レンからメッセージが届いた。
どうやら俺以外、全員部室に集まっているらしい。
『ルカから、大事な話があるって……』
俺もすぐに行くと返信して、旧校舎に向かう。
その途中で、欠伸をしながら歩いている水坂先生と会った。
「ふわぁ……あら、黒野君~。おはようございます~。早いですね~」
水坂先生は相変わらず教育実習生らしからぬ、のんびりとした雰囲気で挨拶をしてくる。
「おはようございます、水坂先生。なんか、眠そうですね?」
「あはは。グルメ雑誌を夢中で読んでいたら夜更かししてしまいまして~。私食べるの大好きなんですよ~」
恥ずかしげに笑いながら頭をかく水坂先生。
彼女の毒気のない性格が、気落ちしているいまとなっては、何だか癒しとして感じられる。
「あっ、そういえば、あの猫ちゃんは元気ですか? 白鐘さんの家で預かってるんでしたよね? 何か聞いてます?」
「っ!?」
だが水坂先生の何気ないひと言で、穏やかな気持ちは一転する。
心臓が掴まれるような、居心地の悪さを感じた。
わかっている。水坂先生に悪気はない。何も知らないのだから。
そして、もちろん真実を伝えられるわけがない。
「その……実はどこかへ行ってしまったようで……あはは、やっぱり野良猫は自由でいたいんでしょうね」
俺は込み上がる感情を必死に抑えて、言葉を選んで話した。
俺の話を聞いて、水坂先生は「あら……」と申し訳なさそうな顔をした。
「そう、だったんですか。それは、寂しい、ですね……」
「……はい、本当に、寂しいです」
震える握り拳を悟られないよう、片手で押さえ込む。
……悔しかった。
本当なら、クロノスケのことで楽しく会話に花を咲かせることができたはずなんだ。
どうして……こんなことになってしまったのだろう。
水坂先生に心配をかけないよう、必死に笑顔を作ろうとしたが、やはりうまくできなくて顔を伏せることしかできない。
そんな俺の肩に、水坂先生は優しく手を置いた。
「黒野君……元気を出してください。大丈夫です。きっとあの子は、別の場所でもちゃんと良い人に巡り会って、幸せになっていますよ」
「……そう、ですね。そうだと、いいですね」
別の場所……ああ、そうだな。
俺は願う。クロノスケの魂が、どうか向こうの世界では救われていることを。
……許されていいはずがないんだ。無垢な動物が、あんな目に遭うなど。
相手がいったいどんな怪異だろうが……必ず倒す!
決意を新たにする。
その瞬間……。
ぴちょん。首筋にヒヤリとした雫が一滴落ちてきた。
「っ!?」
「どうしました、黒野君?」
「いや、急に首に水滴が落ちてきたんでびっくりして……雨ですかね?」
「え? こんな晴れてるのに? 変ですね?」
水坂先生と一緒に空を見上げる。
雲ひとつない青空だ。
「……」
濡れた首筋を撫でる。
水滴はすぐに皮膚に染み込んで消えた。
* * *
水坂先生と別れ、オカ研の部室に向かう。
「……ねえ、ルカ? 本当に私たちにできること何もないの? いつも、一緒に解決してきたじゃない」
「そ、そうですよルカさん。お役に立てるものなら、私がご用意して……」
「ダメ。今回ばかりは、本当にまずいの……いつものように、皆を守り切れる自信がない」
扉越しから少女たちの声が聞こえてくる。
何やら、物々しい雰囲気だ。
「……そんなに、ヤバい怪異なの? 『肉啜り』って」
やはり、話の内容は『肉啜り』のことだ。
でも、どういうことだ?
ルカは、今回に限って俺たちを怪異事件から遠ざけようとしている様子だが……。
とにかく俺も部室に入って詳しい事情を聞こう。
そしてクロノスケの件を話さなければ……。
部室の扉を開ける。
「悪い、遅れた」
「あ、ダイキ。ちょうど良かった。いまレンたちにも説明していたんだけど、今回の事件は私とキリカだけで行動を……」
入室するなり早速話しかけてきたルカだったが、俺を見た途端、その顔が凍りつく。
ルカだけではない。
他の三人も俺に向けて困惑の表情を向けてくる。
……何だ? 皆どうしたんだ?
「ダ、ダイくん? その首、どうしたの?」
「え?」
震える人差し指を向けながら、レンが尋ねてくる。
「あ、ああっ……う、嘘……そんな……」
顔を青白くしてわなわなと動揺しているルカ。その瞳から涙が滲む。
「ル、ルカ? いったいどうしたんだ? 皆も、いったい……わっ!」
俺が戸惑っていると、ルカがとつぜん抱きついてきた。
いつものように甘えてくるような抱擁ではない。
これは……俺を失うことを恐れている素振りだ。
「ダイキ! 絶対に、絶対に私が守るから!」
涙を流しながら、ルカはそう力強く宣言してきた。
俺にだけでなく、まるで自分に言い聞かせるように。
……皆の視線は、いまだに俺の首元に集中している。
いまさっき、首筋に落ちてきた水滴のことが脳裏をよぎる。
「……スズナちゃん。手鏡あったら貸してくれないか?」
「え? 持っていますけど。でも……」
「頼む」
「……はい」
スズナちゃんは恐る恐る折りたたみ式の手鏡を渡してくれた。
鏡に自分の首元を映す。そこには……。
「……何だよ、これ?」
俺の首に、いつのまにか痣ができていた。
紫色の不気味な痣だ。
……いや、それは痣と呼べるようなものではなかった。
それは、まるで腫瘍のように内側でドクドクと脈打っていた。そこを中心にして、幾筋もの血管らしきものが地中に根を張るように、俺の首周りに広がっている。
「……キリカ。これは何だ?」
ルカはいまも取り乱しているので、話を聞けそうにない。
もう一人、事情に精通しているであろうキリカに尋ねる。
キリカはしばらく押し黙っていたが、覚悟を決めた顔つきでゆっくりと口を開いた。
「『マーキング』よ」
ひと言、キリカはそう口にした。
「気に入った獲物に、文字通り『唾をつける』のよ。ソレがある限り……どこへ逃げても『奴』はどこまでも追ってくる」
「……ソイツの名前は?」
「……『肉啜り』」
その名を聞いて、背筋が震える。
ああ、そうか。
つまり、奴の目的は最初から……。
「黒野大輝……あんたは、人食い『肉啜り』に魅入られた」
キリカは淡々と、事実を口にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます