ただいま
これは、少し先の未来の話。
とある特集番組が、世間に多くの反響を巻き起こすことになる。
黄瀬財閥監修『大谷清香の生涯』。
母子家庭に生まれた少女がアイドルとして花開き、その短すぎる一生を終えるまでを描いたドキュメンタリーである。
関係者への念入りな取材によって忠実に再現されたノンフィクションドラマは、たちまち話題を呼ぶ。
大谷清香は最初から恵まれた容姿を持っていたわけではない。
肥満児として同級生からバカにされ続け、凄惨なイジメを受けていた彼女は一時期引きこもりになっていた。
そんな自分を変えるべく、彼女は必死にダイエットをし、美容にも気を遣い始め、やがて世間もよく知るアイドルとしての美貌を手にしていく。
母親の反対を押し切ってまで芸能界にデビューした彼女は、過酷な試練に耐えながらも、根気と努力で乗り越え徐々に栄光を掴んでいく。
どん底から這い上がり、自らの力で道を切り開いていく大谷清香の生き様に、視聴者である多くの女性たちが『勇気を貰えた』と話す。
……それゆえに、例の炎上事件のシーンになったところで、視聴者の誰もが我が事のように悔しがり、涙する。
大谷清香の悪評は瞬く間に消え失せる。あることないことを書き込むマスコミやネット記事が厳しく非難され、彼女への炎上は沈静化していく。
大谷清香の理不尽な運命を世間は嘆き、彼女への追悼の手紙が事務所に山のように届く。
あちこちの書店でも、大谷清香関連の本が即完売し、各出版が増版に増版を重ねるという異例の事態となる。
いっときは悲劇のアイドルとしてネットを騒がせていた存在……最後の最後まで無責任な発言で振り回されてきた彼女は、所詮は一過性の熱狂が冷めるに従って、忘れ去れていくかに思えた。
……だが大谷清香は、これからも人々の記憶に残り続けるだろう。
自らの発言に責任を持たない、悪意を自覚していない悪意によって、その栄華を断たれた若き女性の悲劇を、世間は決して忘れてはならない。
この一件で黄瀬財閥はネット誹謗中傷対策関連に全面的な支援を行うと発表し、徐々に厳罰化されていくネットによる侮辱罪の重さを、世間に広く知らしめていく。
大谷清香の尊厳を守りたい。
黒野大輝と黄瀬スズナの願いは、この先、こうした形で成就することになる。
そして、時間は番組が作られる前の、現在に巻き戻る。
* * *
「……」
俺とスズナちゃんは、清香さんの遺影の前でお線香を焚き、手を合わす。
「……ありがとうございます。娘のために、いろいろしてくださって」
清香さんのお母さんが、深々と頭を下げる。清香さんの母親というだけあって、とても綺麗な人だった。
俺とスズナちゃんは、いま清香さんの実家を訪れていた。
生前、地元に住んでいた清香さんと顔見知りだった、ということにしてお邪魔させていただいている。
「黄瀬さんには、何とお礼を言ったらいいか……。私、あの子がどんな苦労をしているのか、なにひとつ知らなかった。本当に、頑張っていたのね、あの子は……」
娘さんの生涯を描いた番組を作りたい。
そう許可を得るべく以前一度ここへ訪れたスズナちゃんは、最初は断られるものと思ったそうだが……清香さんのお母さんは快く肯いたという。
愛娘がどんな芸能生活を送っていたのか、どんなことに苦しみ、そして喜びを得ていたのか。家を去ってからの娘の実情を彼女は知りたがった。
今日は二度目の訪問。取材によって得た情報を、スズナちゃんは余すことなく、赤裸々に語って聞かせた。
娘に起きた悲劇を母親である彼女はしかと受け止め、その上で無力な自分を責めていた。
「あの子の夢なら、母親としては応援したかった……でも、あの子はとても繊細だから、本当に芸能界で耐えられるのか、心配だったんです……いま思えば、私が一番にあの子の支えにならなければいけなかったのね……」
「おばさま……どうかご自分を責めないでください。清香さんは、きっとおばさまのお気持ちをわかっていたと思います。その上で一人で頑張っていたんだと思います。迷惑をかけず、一人前になって、あなたに恩返しをしようと……」
「そんな……私は、あの子が幸せになってくれれば、それで充分だったのに……恩返しなんて、気にしなくても良かったのに」
涙が彼女の頬を伝う。
……余計なことは言わないつもりでいた。
でも、清香さんのお母さんの悲しむ姿を見ていると、やはり口を挟まずにはいられなかった。
伝えないといけない。清香さんの、最期の思いを……。
「あのっ! 清香さんは、本当にあなたを大切に思っていたんです。清香さん、言ってました。『帰って謝りたい』って……でも、悪質なマスコミにお母さんを巻き込みたくないから、こっちに戻っても帰れなかったんです。本当は、いの一番にあなたに会いたかったはずです」
「清香が、そんなことを……」
「はい。だから……どうか自分を追い詰めないでください。清香さんは、きっとそんなこと望んでません。お母さんには幸せでいてほしいって……あの人なら、最期までそう願っていたはずです」
「清香……もう、バカね。私は、あなたの母親なんだから、迷惑なわけないじゃない。本当に、昔から頑固なんだから」
潤んだ瞳を清香さんの遺影に向け、彼女は優しく微笑んだ。
「あなたたちのように優しい人が清香の傍にいてくれて良かった。それが知れただけでも充分です」
「そんな。俺たちは……」
もしも本当に生前に清香さんと出会うことができれば……彼女の命を助けることができただろうか。
それが都合の良い「もしも」の話でしかないことはわかっている。
でも、こうして彼女の母としての深い愛情を間近にしてしまうと、思わずにはいられなかった。
会わせてあげたかったと。
「まったく。こんなにも頼れる人たちがいたのに、あの子ったらお酒なんかに溺れちゃって……ひとりで抱え込むところは、相変わらずね」
「……」
彼女だけには真実を明かすべきだろうか?
清香さんの霊と出会ったことを。清香さんの死の真相を。
娘さんは事故ではなく何者かの手によって命を落としたのだと。
その下手人は人の法で裁ける存在ではない。
だから自分たちが、その下手人を必ず見つけ出し、仇を取ると。
そんな俺の葛藤を感じ取ったのか、スズナちゃんがそっと手を重ねてきた。
目が合うと、スズナちゃんは切なげな顔で首を横に振った。
……そうだ。『コチラ側』の事情に巻き込むわけにはいかない。
明かすには、この真実はあまりにも残酷すぎる。
これ以上、傷口を広げるようなことはできない。
清香さんの霊と出会った、あの三日間の出来事は、俺たちの胸の中に閉まって、この場は去ろう。
「長居してしまってすみません。俺たちはそろそろこれで……あっ」
俺の腹から「ぐ~っ」と場違いな音が鳴る。
先ほどまで沈鬱だった空間に、クスクスと女性陣の笑い声が起こる。
「ふふふ。そろそろお夕飯の時間だものね。よかったら、何か作りましょうか? 大したものはご用意できないけれど、せめてものお礼に、ご馳走させてちょうだい?」
「そ、そんな。悪いですよ」
「いいのよ。ひとりで食事してると、なんだか味気ないもの」
スズナちゃんと顔を合わす。
スズナちゃんはニコリと微笑んだ。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
「ええ! そうしてちょうだい。ふふ、久しぶりに腕によりをかけちゃおうかしら」
人に手料理を振る舞うのが久しぶりだからか、清香さんのお母さんは随分と嬉しそうだった。
「おばさま、私もお手伝いします」
「あら、そう? ありがとう。助かるわ」
「いいえ。それに……実は一品だけ、召し上がっていただきたい料理があるんです」
清香さんのお母さんに食べさせたい料理?
それって……まさか。
「スズナちゃん。もしかして……」
「はい。……まだこの手が覚えていると思いますから」
数分後、テーブルの上にはたくさんの料理が並んだ。
その内の一品を、スズナちゃんは清香さんのお母さんに差し出した。
「さあ、どうぞ♪」
「これは……生姜焼き?」
「はい♪」
やはり、スズナちゃんが作ったのは豚肉の生姜焼きだった。
「まあ、おいしそう。清香の得意料理も、生姜焼きだったわ。あの子ったら、これしかまともに作れなかったのよね。『いつか彼氏ができたら食べてもらうんだ~』ってよく言ってたわ」
昔を懐かしむように、清香さんのお母さんは手を合わせて生姜焼きをひと口食べた。
すると……彼女の顔が驚愕に染まる。
「っ!? ……この味は」
「お口に合いますか?」
「……ええ。ええっ。おいしいわ。驚いたわ。この生姜焼き、あの子が作ったのと同じ味がするんだもの……」
「よかった。その生姜焼きの作り方、清香さんに教わったんです」
「そう……そうだったの。本当に、そっくりだわ。焼き加減も、味加減も。まるであの子が、ここに帰ってきて、作ってくれたみたい……」
そこから先は、言葉が続かなかった。
大粒の涙を流して俯く清香さんのお母さんを、スズナちゃんは黙って抱きしめた。
「黄瀬さん、どうしてかしら? 私、あなたに清香を重ねてしまうの。本当に不思議なのだけれど、初めて会ったときも、あの子が帰ってきたって錯覚してしまったほどで……どうしてなのかしらねぇ?」
「構いません。私のこと、清香さんのように思っても」
慈愛に満ちた顔で、スズナちゃんは自らの胸に清香さんのお母さんを抱き寄せた。
「私が言うべきかは、わかりませんが……でも、どうかあの人の代わりに言わせてください……──『ただいま、お母さん』」
「っ!? ……ええ。お帰り……お帰りなさい、清香。うっ……うぅ……清香……清香ァ!」
スズナちゃんの胸の中で泣きながら、彼女は何度も愛娘の名を呼んだ。
……ご馳走になった夕飯は、随分と塩辛かった。
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