絶対に結ばれる恋のおまじない


 依頼者は、皆瀬みなせカナエという女子生徒だった。

 近隣の中学校に通い、サッカー部でマネージャーを務めているらしい。

 目立つ容姿ではないが、どこか男心をくすぐる儚さと清楚な雰囲気がある。言葉遣いもとても丁寧で、礼儀正しい。

 きっと普段からマネージャーとして堅実的に仕事をこなし、穏やかな優しさで相手を気遣っているのだろう。そんな姿が容易に想像できる。

 いわば男子中学生が思い描く『かわいいマネージャー』を体現したような少女だった。

 普段ならば、きっと控えめな笑顔が似合う愛嬌のある少女に違いない。


 ……だが、いまはその愛らしい顔に翳りがある。

 あまり眠れていないのであろう。目の下にはクマがある。

 食事もろくに取っていないのか、だいぶやつれていた。

 テーブルに置かれたスイーツにも、遅々として手を伸ばそうとしない。

 レン曰く、いま女子の間で一番話題のスイーツだそうだが……少女はカップに入った紅茶に視線を注ぐばかりで、微動だにしない。


 相当、参っている。

 見ただけで、それがわかった。


 場所は街中の喫茶店。

 俺とルカとレンは、依頼者である彼女から詳しい話を聞き出しているところだった。


「……あの。どう説明したらいいのか。私自身、いまだに現実の出来事とは思えなくて、戸惑っているんです……。信じていただけるかどうか」


 皆瀬さんは、どう話を切り出したものか悩んでいる様子だった。

 内容が内容なだけに、言いにくいのだろう。

 そんな皆瀬さんに、レンが優しい笑顔を向けた。


「大丈夫。疑ったりしないわ。落ち着いて話して?」


 レンの温かな言葉に幾分落ち着いたのか、皆瀬さんはそっと顔を上げた。


「ありがとうございます。その……私、もう誰にも頼れる相手がいなくて……。両親に相談しても、信じてもらえないし……専門家にお願いするにしても、どこも依頼料がびっくりするくらい高くて、そんな大金なんて用意できないですし……。それで、SNSで噂になっている皆さんのことを知ったんです。……あのっ、本当に何とかできるんでしょうか!? いえ、皆さんを疑うわけではないんですが……その、私、何もお返しできるものが無くて……」

「安心してカナエちゃん。お返しなんて気にしないで。私たちはただ、あなたを助けたいからここに来てるの。あなたが無事に助かって、また笑顔で日常生活に戻れる……。それが私たちにとっての報酬みたいなものだから。ね? ダイくん?」


 目配せをするレンに、俺は同意するように「ああ」と頷く。


「信じがたいとは思うが、俺たちはこれまでずっと『そういう事件』を解決してきたんだ。だから力になれることは何でもする。な? ルカ?」


 事件解決の要である隣のルカに目線を配るが……。


「もひもひ。おいしい」


 肝心な少女はスイーツに夢中だった。

 ……ルカ、そういうところだぞ?

 「こほん」とレンが咳払いをする。


「とにかく、私たちなら、きっとあなたの力になれるわ。だから何も遠慮しないで、私たちを頼って。ね?」

「赤嶺さん……」


 混ざり気のない善意を前に、少女は完全にレンを信頼したようだった。

 さすがレンだ。俺とルカでは、こうも簡単に出会ったばかりの依頼者相手の信用は勝ち取れまい。

 やはりレンがいなくてはオカ研はろくに活動できないな。


「もぐもぐ。ダイキ、これおいしいよ? 食べてみて? あ~ん」

「いや、ルカさん? いまとても大事な話をしてるところだからね? ……はいはい、泣かない泣かない食べるから、もぐむっしゃ! ああ、本当だおいしいねコレ」

「ねー」


 ……あ、部長が「空気読めよオメエら」って感じにこっちを睨んでる。

 すみません、幼馴染がマイペースなもので。


「ふふ。仲、よろしいんですね?」


 場違いな空気を出している俺とルカを、しかし皆瀬さんは責める様子はなく、どころか初めて笑顔を見せた。


「いいなぁ……私、お二人のように素敵なカップルに憧れているので、すごく羨ましいです」

「っ!? カップル? カップルに見える? ダイキだいき、私たちカップルに見えるって。もっと見せつけよ?」

「何を見せつける気だ? はい、イチゴを咥えない。咥えたまま口を近づけてくるんじゃない。ああっ! ダメダメ! ちょっと部長~! この暴走お嬢さん何とかしてー!?」

「知らなーい。イチャつくなら別の席でやってー」


 妙に不機嫌なレンは、投げやり気味に手をヒラヒラとさせていた。

 そんな俺たちの様子を皆瀬さんは「クスクス」と笑って見ていた。

 ……どうやら、コントまがいのやり取りのおかげで、奇しくも彼女の緊張が解けたようである。


「お二人の、そういう遠慮のないやり取りが見ていて羨ましいです。……私も、本当はそういう関係を築きたかったはずなんですけど」


 皆瀬さんは一度、小さく溜め息を吐いた後……意を決したように話を始めてくれた。


「……一ヶ月前のことなんです。学校で流行っている、ある『おまじない』をしてから、おかしなことが起きるようになって……」

「『おまじない』……確か【アカガミ様】だったよね?」


 依頼メールに書かれていた『おまじない』の名称をレンは口にする。


 ──【アカガミ様】。

 予め確認した依頼文によると、それは『恋のおまじない』らしい。


 好きな人と、必ず結ばれる。


 ザックリ言えば、そういう類いのものだ。


 まず、赤い封筒と赤い紙と赤い糸。この三つを用意する。

 赤い紙に好きな人の名前を書き、その人のことがどれだけ好きか、なるべく具体的に書いていく。

 書き終えた紙を赤い封筒に入れ、周りを赤い糸で結び、決してほどけないようにする。

 できあがったソレを、深夜二時に火に炙って丸ごと燃やす。

 手紙を燃やしながら『アカガミ様、アカガミ様。どうかこの恋を叶えてください』と唱えつつ手を合わす。

 それで『おまじない』は完了する。

 そうすると【アカガミ様】が願いを叶えてくれ、意中の相手と結ばれる……というものだ。

 いかにも年頃の女子が好きそうな『おまじない』である。


 ……ただし、この『おまじない』には条件がある。

 【アカガミ様】を使って好きな人と結ばれた場合……。


 


 思春期の男女の恋愛感情なんて移ろいやすいものだ。

 いざ交際してみると、想像していたものと違って、唐突に冷めることなんてザラにあるだろう。

 ……しかし【アカガミ様】は決してそれを許さない。

 せっかく願いを聞き入れて、意中の相手と交際できるようにしたというのに、もしも別れを切り出すようなことをしたら……その者は【アカガミ様】の怒りに触れ、殺される。


 全身を切り刻まれ、血まみれで真っ赤にされた後、最後に火炙りによって焼き殺される……というのだ。

 願いを叶える代わりに、死のリスクを背負う『恋のおまじない』……。

 いや、これは『恋のおまじない』というよりは、むしろ……。


「サッカー部のエースに、ハヤトくんって人がいるんです。私、ずっと彼のことが好きで……でもなかなか勇気が出せなくて。地味な私のことなんて意識してくれるはずもないし、マネージャーとして彼を支えられるなら、それだけで幸せだって言い聞かせていました。……でも、やっぱりこの思いを捨てきれなくて。そんなとき、よく相談にのってくれる友達の皆に勧められたんです。……『【アカガミ様】をやってみなよ』って。怖い噂があるのは知ってましたけど、皆そこまで神経質に信じてる感じじゃなかったので、友達も悪気はなかったと思います。私も、願掛け程度のものだと思ってました。だから……つい軽い気持ちで、やってしまったんです」

「……」


 不義を決して許さない『恋のおまじない』。

 そんな危険な『おまじない』を、目の前の少女は、やってしまった。


 責めることはできない。

 誰だって憧れの相手と結ばれたいと思うものだし、流行りの『おまじない』があるのなら、試すだけ試してみようと考えてしまうかもしれない。

 そもそも……普通の人間は皆こう思っている。

 と。

 だが……。


「『おまじない』をした翌日、ハヤトくんに告白されました。夢でも見てるのかと思いました」


 そう。少女の願いは本当に叶ってしまったのだ。


「放課後に一緒に帰って、週末は必ずデートに行って……私が頭の中で思い描いていたことを、ハヤトくんは全部叶えてくれたんです。本当に、幸せでした……最初のうちだけは」


 少女の顔に再び翳りが生じる。

 その表情には、恐怖というよりも、困惑というよりも……何か、深い罪悪感のようなものが滲み出ていた。


「付き合ってから数日すると、だんだんハヤトくんの様子がおかしくなっていったんです。さすがに毎週デートするのは、お小遣いも足りなくなるし、親にもだんだんと『遊び過ぎだ』って注意されるようになったので、『たまには会わない日があってもいいんじゃない?』って提案したんです。そうしたら……」


 そのときのことを思い出しているのか、皆瀬さんは体を震わせる。


「……凄い剣幕で『どうしてだ?』って迫ってきたんです。理由を説明すると『だったら金は全部俺が出す』とか『うるさい親は俺が殴って黙らせてやる』って言い出して……そのときは、本気で私の家に殴り込むような勢いだったんです。何とか説得して、止めることはできましたが……それからというもの、どんどんハヤトくんの言動が過激になっていったんです」

「……」


 【アカガミ様】の『おまじない』によって告白をしてきた少年。

 つまりそれは……『おまじない』の影響を一番に受けているということだ。

 もしもそのハヤトという少年が【アカガミ様】の力によって、心を変えられたというのなら……。


「サッカー部の練習も、サボり始めるようになりました。『こんなことをしている暇があるなら、お前との時間を大事にする』って言って……。でも、ハヤトくんがそんなこと言うはずがないんです! あんなにもサッカーに真剣だったのに! もちろん、チームメイトや監督にも注意されました。サボる上、マネージャーを無理やり外に連れて行こうとしていたわけですから……そうしたら……そうしたら……」


 ついに皆瀬さんは、手で顔を覆って泣き出した。


「ハヤトくん、皆に暴力を振るいだしたんです。『俺たちの邪魔をするヤツは全員敵だ』って……本当に、殺しかねない勢いで……私が『早くデートに行きましょう』って慌てて言わなかったら、どうなっていたか……どうして? ハヤトくんは、そんなことする人じゃないのに! 仲間思いで、監督のことを尊敬してて、誰よりも暴力が嫌いで、サッカーが好きで好きでたまらなかったはずなのに。私は、そんなハヤトくんが好きになったのに……あれは、あれはハヤトくんじゃありません! まるで別人なんです!」


 思わず息を呑む。

 皆瀬さんの言葉が真実ならば、もはやハヤトという少年は完全に変貌してしまっている。

 恋人を最優先にして生きるだけの、都合のいいナニカになっている。

 そこに、本人の元の人格は存在していない。

 ……なんだ、それは。

 意中の相手の人格が消えてしまうなら『おまじない』をする意味なんて無いじゃないか。

 ただ交際するという結果だけを実現する『おまじない』……まるで「それが叶ったんだから文句ないだろ?」と言わんばかりな悪質なものを感じる。


「私のせいです。私が変な『おまじない』をしたばっかりに、ハヤトくんがおかしくなってしまった……。だから私、別れを切り出そうとしたんです。そうすれば、ハヤトくんは元に戻るんじゃないかって。でも……」


 そう。それは許されない。

 【アカガミ様】の力は本物だ。

 それによって二人は結ばれ、そして少年ハヤトは狂人と化した。

 まるで別れを誘導するかのように……。


 ……おい、待て。

 まさか、それが狙いなのか?


「私……もう、どうしたらいいか……。本音言うと、もうハヤトくんに会うのも怖いんです。いまも、何とか説得してこうやって来られたんです。スマホの電源、あえて切ってるんですけど、きっといま凄い数の通知が来てます。既読スルーすると『なんで無視するの?』って質問攻めになるので……。違うのに。私、こんなこと望んでなかったのに!」


 限界だったのだろう。

 やっと本心を打ち明ける場に恵まれた彼女は、怒りとも悲しみとも言いがたい激情を吐き出していた。


「……カナエちゃん。ハヤトくんへの気持ちは、もう無くなっちゃったのかな?」


 レンが慎重に尋ねる。

 皆瀬さんは首を横に振った。


「好きです……いまだって好きです。でも……それはいまのハヤトくんじゃない。私……戻ってほしいんです。元のハヤトくんに。そのためなら、もう付き合えなくたっていいんです。そんな資格、私にはもうありません。間違いだったんです。こんな『おまじない』に頼ったことが。勇気を出せない自分に言い訳して、こんなことをしてしまったせいで、ハヤトくんが……」


 そうか。この子は……自分のことよりも、好きな人を自分の行いのせいで変えてしまったことに苦しんでいるんだ。

 もちろん、自身だって助けてほしいだろう。

 だがそれ以上に……。


「お願いします……ハヤトくんを、助けてください!」


 大切な人を元に戻したい。

 それが、皆瀬カナエの依頼だった。




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