🍎🍎🍎
真っ直ぐ自宅へと向かっていた詠美は、ふと足を止めた。
いつも通る道、いつも見る店の並びの中に、一店だけ初めて見る店がある。
いつの間にこんな店ができたのだろう?
近寄って見ると、まるで洞窟の様な入り口の前に小さなテーブル、その上に一つのゴーストアップルが置いてある。
触ってみると、それは氷ではなくガラスだった。
詠美は吸い寄せられる様に、その洞窟の中へ入っていった。
中は真っ暗だったが、恐怖は感じなかった。
おそらく今の自分は、死すら恐怖に感じないだろう。
その真っ暗な部屋の中、女が一人座ってテーブルに着いていた。
女は二十代にも見えるし、四十代にも見える。年齢を感じさせないというより年齢不詳で、子供が老けた様な顔とも表現できた。
髪の毛は明るいオレンジ色のセミロングで、赤のTシャツにオレンジ色のロングスカート。
お世辞にもセンスが良いとは言えない、異様な姿だった。
「いらっしゃいませ」
女が口をきいた。甲高く、少し聞き取り難い声だった。
「ここは何の店ですか?」
「占いの館です。」
女が微笑んで答える。
「占い…何で占うの?」
見れば女の前にあるテーブルには、水晶玉もタロットカードも何も無い。
手相を見るにしても、虫眼鏡が必要だろう。
「道具は必要無い。あなたの心を見るだけだから。」
心を見る?この女は他者の心中を読めるというのか?
「何か勘違いしてるようですね。
心を見る、というのは心がどの様な状態にあるのかを見るわけであり、何を考えているか等は見えませんよ、ご安心ください。」
訳が分からず詠美が首をかしげていると、女の前に掌程の光が浮かんだ。
光の中には黒く丸い物体があり、固そうな透明のものに覆われている。
近寄ると、冷気を感じた。これは氷だ。
「これは…これが私の心?」
詠美が尋ねると、女は深く頷いた。
この不思議な現象に、詠美は何の疑問も持たず納得できた。
確かに今の自分は、まるで心が氷に覆われた様にもはや冷気しか感じない、その様に思えた。
最初は悲しみ、悔しさ等の感情があった。
しかし深い絶望と共に、今はそれも思い出せずにいる。
一種の防衛反応かもしれないと思う。
疲弊した心(精神)がパンクし、停止する事で守ろうとしたのだと。
この氷の膜は、自分の心を守ろうとしてできたのかもしれない。
「まるでゴーストアップルみたい。」
「ゴーストアップル?」
詠美の感想に、女は目を丸くして聞き返した。
「冬の寒い時期、木になる林檎が凍りつく。
やがて中の林檎は腐って流れ落ち、林檎の形をした氷の膜だけが残るの。
まるでこの店の外にある、あのガラスの林檎の様に。」
「へえ、物知りね。初めて聞いた。」
女は嬉しそうに笑って、そう言った。
とても綺麗な笑顔だった。
「これも、いずれそうなるのね。」
詠美は、冷気を放つ自分の心を指してそう言った。
心が腐り落ちた後、残るのは空っぽの氷の器。
その時、自分は一体どうなっているのだろうか?
その氷も溶けて無くなった時は…?
「心は林檎みたいな有機物じゃない。腐って流れ落ちたりしない。」
女が真剣な顔で言った。
詠美は思わず声をあげ、驚いたように顔を上げた。
そしてしばし、二人は見つめ合っていた。
「ありがとう」
詠美は礼を言い、微笑む女に見送られ洞窟を出た。
心が温かくなるのを感じ「ピシッ」という、氷にヒビが入る様な音を聞いた。
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