第175話 刻まれてしまった幸福




 あぁ、本当にどうすれば良いんだろうか。

 許されぬ想いを今、直視してしまった。


 けれど恋心というのはそういう物だ。理屈の通じない突飛で熱に侵された考えこそが恋だ。だから仕方ないのだと納得させることすらできない。


 恋心を自覚した。同時に自分に失望した。

 大して自分に期待なんか掛けていなかったけれど、まさかこんな想いを抱くほどまでに馬鹿な人間だとは思ってなかったんだ。


 俺の為ではなく、ただサラの為だけに剣を振るうと誓った。

 なのに、俺は幸福を望んでしまった。


 償いからも背を向けたこの俺が、誰かと共に生きる事を望むのか。

 大勢の幸福を奪っておいて、今更そんな欲求に駆られるのか。


 浅ましい。悍ましい。馬鹿げている。


 ...なんていくら自分を責めても、やっぱりこの気持ちは無くなってはくれない。


 だからこそ分からなかった。

 俺は一体、どうすればいいのだろうか。


「大丈夫だよ」


 そっと、手が握られる。

 いつの間にか俯いていた己の顔を上げて彼女を見れば、やはり慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。


「大丈夫だよ、ライト。私はどんな君も肯定する」


 ...あぁ、止めてくれよ。

 何時もそうだ。俺を支えてくれる君たちはいつも、ただ俺を肯定するんだ。どれだけ自分を卑下しても、心を責めても、大丈夫だよと安心させるように言うのだ。


 再び心に痛みが走る。


 今度は恋なんかじゃない。なんだか辛かった。

 ミアもそうやって俺を肯定していた。大丈夫、大丈夫と何度も声を掛けてくれた。


 そんな彼女に、俺は安心しきっていた。張り詰めていた心が緩んで、痛みすらも伴うくらいに冷え切った心に暖かみをくれた。


 今の君だってそうだ。俺がどんなことを考えているか分かっても無いだろうに、ただ俺を安心させるように大丈夫と言うのだ。


「君は言った、私の傍に居て良いような人間じゃないって」


 先程から表情が一転させたサラ。少し悲し気な顔で言う。

 今度こそ俺は何も言えなかった。それはつい今しがた考えていた事だ。自分の内にある矛盾を自覚したばかりなんだ。


「今もそう思う?」

「...あぁ」


 矛盾だ。それは分かっている。でも譲る訳にはいかなかった。心は否定したがっているけれど、犯して来た罪が、殺して来た人々が亡霊となって俺に囁く。お前は罪深い人間だと。

 俺が今生きているのは偏に、君の生の為であって、俺の幸福なんて物の為ではないから。

 叶わぬ恋、叶う訳のない恋、叶ってはならぬ恋。そんな物の為に俺は剣を振るって来たのではない。


 罪悪感が言うのだ、お前が幸せになることは許されないと。幸せになる為に戦う事すらも許されないと。ただただ、サラに降りかかる火の粉を全て打ち払う為に生きているのだと。


「二人で過ごした時間は、こんなにも楽しかったのに?」

「っ...あぁ」


 本当に、どうすれば良いのだろうか。

 分からない。見当もつかない。


 罪と心が互いに反発している。罪悪感と、君ともっと過ごしたいという願い。どちらも比べようのないくらい強くて、だから結論を出す事なんてできなかった。


 でもやっぱり、あの時君に告げた言葉に嘘は無い。


 俺は君と一緒に居てい良いような人間ではないんだ。

 だから、この恋心は、君と過ごすこの幸福に満ちた時間は、もっとこんな時間を共にしたいという願いは。全部、間違っているんだ。


 それは君が感じた楽しさすらも否定してしまう。けれど、そうでもしなければ自分を保てる自信が無かった。


「...ごめん」


 謝罪が口から零れ出る。

 何に対しての謝罪なのかも分からない。ただ逃げるように溢した言葉だった。


「ううん、大丈夫だよ」


 彼女はまた、何もかもを包み込んで溶かしてしまいそうな笑みを浮かべる。

 俺はただ黙って、再び夜空を仰ぎ見る。


 何十分も、何時間も、美しい夜空と魅力的すぎる君の傍で。頭の中でぐるぐると考え事をしながら空を眺めて、そうやって時間が過ぎ去ってゆく。


 ――結局、答えは出なかった。

 星空を見上げながら、俺はただ心の中でその問いを繰り返すばかりだった。


「ねぇ、ライト。今日楽しかった?」


 先程と同じ問い、同じ表情。

 交わした会話と馳せた想いの全てが無かったかのように、君は微笑みながらそう言った。


「...あぁ、本当に楽しかった」


 同じ問い、ならば答えもまた同じ。


「なら私は満足だよ。だから大丈夫。自分を責めないで、否定しないで。自己嫌悪の底に居てはきっと、過去の光さえも霞んでしまうから」


 過去の光?そんな物はあっただろうか。

 抽象的だった。そんな風に物を例えられても良く分からない。


 この瞼に焼き付いた光の事だろうか。


 それならば覚えている。忘れる事は絶対にありえない。

 君すらも拒絶したあの絶望の底で、俺に手を差し伸べた眩しい光。あの眩さと暖かさならな覚えている。


 でもその事ではないのだろう。

 真意を尋ねるように顔を見てみたけれど、そこには柔らかい笑みがあるだけだった。


 その笑顔が俺の胸に刻まれていく。脳裏に焼き付く、という表現はきっと正しくない。決して衝撃的ではない、なんて事のない情景の一つだ。けれどじんわりと滲んでゆくような温かさ、この光景をゆっくりと、しかし克明に記憶していく。


 星々の輝きに照らされた彼女の横顔を見ながら、俺はただ自分の心に問うた。


 このままで良いのかと、もう自覚してしまったこの恋心を抱えながらこの曖昧な関係を続けていくのかと。

 ――否。俺は結論を出さなければいけない。目を背けることはもうできない。


 この罪悪感と恋心の狭間で、答えを求めて前に進まなければいけない。


 誓いは破れない。君の為に剣を振るうのは絶対だ。

 だけど、こんな制御の効かない感情を抱きながら同じことを続けるなんて無理だ。故にこそである。


 再びぐるぐると、意味も無く考えをめぐらす。

 しかし、やっぱり考え続ける事で結論のでるような問いではなかった。


 溜息を一つついて、俺はまた夜空に視線を戻す。


 ふと思う。

 俺達が今目にしているこの光は、遥か太古のものらしい。

 ならば夜空に浮かぶ星々が遥か未来に光を届ける頃、その時の俺は果たしてどうなっているのだろうかと。


「...うん、今渡そう」


 心地の良い静寂を破って、決心をしたようなサラが立ち上がった。ふわりと夜空に舞う金髪に釣られるようにその顔を見上げれば、少し恥ずかしそうにはにかみながら背中に何かを隠していた。

 その動き首を傾げる。


「ライト...これ、受け取って欲しいの」


 後ろに回していた手をそっと見せられる。

 差し出されたのは簡素で小さい木箱。そしてその中に入っていたのは、


「...眼帯?」

「うん。たまに目を気にしてる様に見えたから」


 ...バレてたか。

 まぁ、俺は何時も君の左側に立っていたのだ。当たり前と言えば当たり前である。醜く罅割れた目など一体誰が見せたがるだろうか。


「ほら、またそうやって隠す。気にしなくて良いのに」

「...でも気持ち悪くないか?俺は鏡見る度に嫌になる」


 冗談めかして言ってみたけれど、まごう事無き本音だった。

 この呪いが掛けられた時の事を思い出してしまうからだろうか。あれは魔王になる...ミアの死を突き付けられる直前だった。

 これは俺の罪の証だ。醜悪に、克明に刻まれた罪人の証なのだ。

 受け入れるべきものなのだろう。


 ただ何となく、これを君に見せるのが嫌だったのだ。


「気持ち悪くなんてないよ?」


 またしても柔らかい微笑みが俺を見る。

 心の底からそう思っているのだろう、本当に優しい表情だった。


「言ったじゃない、どんな君でも肯定するって」

「...おう」


 なんだそれ、答えになってないだろ。

 自分に呆れるばかりだ。でも、少し反則だと思う。

 そうやって俺の全てを肯定しないでくれ。俺は救われて良いのか、なんて勘違いをしてしまいそうだから。


「っ、な...!?」


 そうたじろぐ俺を見て何を思ったのか、君は俺の顔を覗き込むようにずいと近付いた。

 互いの呼吸が顔に当たってしまう様な距離。日溜まりの匂いが広がる。

 君の瞳が直ぐそこにある。太陽のように輝かしく純真で、太陽よりも柔らかくて優しい君の瞳。木漏れ日を連想させる、俺を虜にして止まない瞳が超至近距離にあった。

 意識する間もなく顔が赤く染まる。

 俺の心臓の鼓動さえも聞こえてしまいそうなこの距離で、でも君は静かな顔をしていた。


「ライトの目に何があったのかは知らない。でもきっと、悲しみに満ちた原因があるのだと思う」


 ...見透かされている。

 君が君じゃないみたいだ。心の奥底までも見通すその瞳は、今や神々しくも見えてしまう。

 そう違和感を感じる俺を置いて君は言葉を続ける。


「鏡を見る度に悲しい感情が湧いてしまうなんて、それは私にとっても悲しい事だよ。君の喜びは私の喜びで、君の悲しみは私にとっての悲しみだから」


 なんでそんなに堂々としているんだ。俺が似た様な事を言おうとすればきっと、たじたじになって視線を彷徨わせてしまうのに。

 昼間、劇上の役者よりも俺の方がかっこいいと言ってくれたあの時の君は、もっと顔を赤らめて恥ずかしそうにしていたのに。


「でも、悲しみを忘れる必要はないし、無理に乗り越えようとする必要もない」


 そっと、君は俺の頬に触れた。

 顔の左半分に入った罅を慈しむように撫でる。


 まるで年の離れた弟みたいだ。こんなに近い距離で、当然のように異性の頬を撫でないでくれ。君に懸想している俺が馬鹿らしく思えて来る。


「そこにただ、幸せがあれば良いんだよ」


 星よりも眩しく輝く瞳で、言う。


「鏡に映るこの眼帯を見て、今日の楽しさも思い出して?」


 ...あぁ、本当に。

 どうしたって言うんだよ。なんで君は、こんなに俺の心の奥深くまで入ってきてしまうんだ。

 君は剣を振るう理由で、この血に塗れた生の使い道だった。心の寄りかかる最後の存在だった。

 けれど今はもう、君という存在に心を奪われてしまった。

 俺の全てが知られてしまいそうだ。なのに、それが怖いとも思えない。知って欲しいという想いと知られたくないという想いが交錯して、もうどうすれば良いのか分からなくなってしまう。

 けれど、そんな俺さえも君は肯定するのだろう。


 答えに窮した俺は、ただ黙って眼帯を手に取った。

 シンプルで飾り気のない眼帯。紐を結ぶだけで付けられるタイプのものだ。金具などは一切なく、ただ縁に施された金色の刺繍だけが唯一の装飾だった。質は良いように見える。肌ざわりからするに牛皮だろうか。


 眼帯を左目に当てて、頭の後ろあたりで紐を結ぶ。


 呪いの左目に、幸福の記憶が被さる。


 過去の悲しみも絶望も消えた訳ではない。呪いの罅は未だある。けれど、そこに君との思い出が増えた。

 君の言う通りだ。きっとこの眼帯が無くてもこの記憶は無くならない。ただ、君の存在を、楽しかったこの一日の存在を、より近くで感じる事ができた。



 ...あぁ、本当に。俺はどうすれば良いのだろうか?

 もう、罪悪感を原動力に剣を振るえなくなってしまいそうだ。


 分からない。結論なんてでない。


 ただ言えるのは、この時間が幸せだという事だけだった。





 ―――――――――――――


 明日は投稿できないかもです...申し訳ない

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