第39話
「何でえ!?何で母さんは起きてくれないの!?」
ミツキの絶叫が運動場に虚しく響き渡る。男はまるで道端にゴミでも捨てるかのように腕から取れた蛇の頭を地面に放り投げた。その100センチはあろう巨大な蛇頭の緑色が徐々に薄くなっていき、十数秒後には完全に透明色になった。男は蛇の頭が消滅したのを見届けた後、白銀の童女を睨みつけた。
「大川文子、今からでも遅くはない。俺の従属下に入れ」
「あら、冗談じゃないわ。あの女はバケビトを欲していたはずです。理性と記憶を持つ人間の子供ではなく、どんな真似をしても文句ひとつ言わないお人形さんをね」
「この際バケビトかどうかは不問にしてやる。貴様の力は二つとないものだからな」
文子は両手の拳をきゅっと握り、顔を俯かせた。
「あの女が私を許すはずないわ」
「それはそうだ。復讐の意味も兼ねてお前を従属させたかったのだからな」
男が放り投げられた直刀の落ちている場所までゆっくりと歩いて行く。文子は悲しそうな瞳でちらりと僕の顔を見た後、男に向き直りよく通る声を出した。
「もし私が投降すれば、祐ちゃんを、私の可愛い孫を見逃してくれますか?」
「それは俺の判断するところではない」
僕はこの状況下においても嘘偽らない男の正直さに少しだけ好感を持った。正直メーターのような指標があるとしたら難なく最大値を出すであろう。
「まあ、お前が養子を引き取った理由を考えれば期待しないほうがいいだろうな」
「なら最後まで戦いましょう」
「そうか、じゃあ死んでもらう」
男は鬼羅の直刀を拾い上げた。そのあまりに飾り気のない見た目は業務用の鉈のように見えなくもない。男はその直刀の剣先を遠く離れたミツキの方へ向けた。
「倉木ミツキ。計画がだいぶ狂ってしまったが、お前が赤目になれないのはこちらとしては有難い誤算だ」
男は剣の峰を肩に乗せ、同じ場所を所在なさげに歩き回りながら、相変わらずの無表情で僕ら三人を順番に見遣った。
「さて……誰から始末するかな」
「そう簡単にやられないわ」
文子が右手から折り紙を具現化させた。モグラの時とは違い、今度は黒とネズミ色の折り紙がそれぞれ6枚づつだった。彼女は忙しなく手を動かしながら次々と芸術作品のような鳥の折り紙を作り上げていった。
「カラス」
文子が一言そう呟くと、折り紙の一群が男めがけて一直線に飛んで行く。男は肩に乗せていた直刀を両手で構え来たるべき襲撃に備えた。
「小賢しい真似を……」
男に襲い掛かるころには、折り紙はその姿を電柱の至る所で見掛ける黒い羽毛と鋭い嘴を備えた獰猛な都市のハンターのそれへと変化させていた。ただ本物の鴉と同じなのは見てくれのみで、一羽一羽が先ほどのモグラよりも遥かに強力な、第一級の実力を持つ式神であることが二流式神使いである僕ですら一目で見抜けるほどだった。
「すげええ!そりゃ敵もあんたの力を欲しがる訳だぜ!」
僕が興奮して文子に視線を向けると、彼女は息を切らしながら地べたに尻もちをついていた。
「お、おい。大丈夫かよ?」
「やっぱり子供の体は駄目ね……この程度で力を使い果たすなんて……」
ミツキが文子の元に駆け寄り介抱した。
「大丈夫、ふみっぺ?」
「なんですか……その珍妙な呼び方は?」
息を切らしながら困った顔をする文子の美しい白銀の髪をミツキは優しく撫でた。
「かずちを助けてくれてありがとう!あと一応恩田も。ふふ、写真のおばさんと同じ顔をしているんだね!」
「助けたも何も……私があの子を巻き込んだのだもの……」
「おばさん、子供の頃はこんなにも可愛らしい女の子だったのね!」
ミツキが文子の頭を自分の胸に抱き寄せ、それは強く強く抱きしめた。
「こらこら、お辞めなさいな……」
男が弾丸のようなカラスの一斉突撃を華麗なステップで軽やかにかわしている。まるで切れの良いダンスを早送りで見ているようだった。文子はミツキの(貧相な)胸にぎゅうぎゅうと頭を押し付けられたまま呟いた。。
「蛇は……まだ出せそう?」
文子の問いかけに対して、ミツキは静かに首を横に振った。
「完全に消滅しちゃった、左手も蛇に変えた時点でもう限界だったの。強い亡者だったんだけどね」
「その亡者がまだかろうじて人間だった頃、実は私が始末したんです……」
そう言って童女は弱々しく首を振った。
「え……?」
人間だった頃?つまりそれって……。僕の視線に気付いた文子は視線を斜め下に流し、物憂げな表情で言った。
「でもそんなことはどうでもいいわ、私たちもう御仕舞だもの」
「おしまいじゃない!」
ミツキの突然の大声に文子の目が大きく見開いた。
「御仕舞じゃない……?」
ミツキは抱き寄せた文子の髪と背中を優しく撫でながら、彼女の白い髪に鼻を当ててその匂いを鼻いっぱいに吸い込んだ。
「統制下には入っていないけど、いえ、入っていないからこそ物凄く強力な亡者が私の中にいるの。その亡者だったらあのツカレビトにも勝てるかもしれない。でもいくら呼びかけても目を覚ましてくれないの」
そう。その亡者がミツキに乗り移れば、あの男どころかこの街すら消滅させることだってできるのだ。
「クアアァ!」
「クアアアアァ!」
突然カラスの絶叫が聞こえてきた。男が直刀で一気に二羽のカラスを切り伏せたのだ。
「まじかよ……あの化物みたいなカラスですら相手にならないなんて……」
僕はゴジラとモスラの戦いを遠くから眺める無力な一般市民のようにその光景を指を咥えて見ている他なかった。男とカラスの戦いには、臆病なワンコしか使役できない二流式神使いなんぞどこにも入り込む余地はなかったのだ。
「もしかして……、その亡者って和沙ちゃんに憑りついた私の力を食べた術師の一人かしら……。もう一人の力は少年だと分かるんだけれど」
文子は息を切らせながらあどけない表情を僕のほうに向けた。
「じゃあ数時間前に獏の力が消えたのは……」
「今日ヒトバケを起こすため、眠っていた術師ごと私が封じ込めていたんです。強力な力だったため私も随分消耗してしまったけど……」
「じゃあ、すぐに解いて!」
「もう力が残ってないわ……」
文子はミツキの胸から顔を背け、倒れている和沙を見た。
「あの子の魂をこれ以上食べる訳にはいかないし……」
ミツキが文子の両頬に両手を添え、彼女の背けていた顔を自分の顔と向き合わせた後に童女の目を真直ぐに見た。
「私の魂を食べて」
◇◇◇
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