第37話

 童女は未だ驚きの顔を浮かべている長髪の男に一切注意を払わず、和沙の元へゆっくりと近づいた。男は冷静さを失っているようで、目を見開きながら独り言をぶつぶつと言っていた。


「馬鹿な、そんな馬鹿な……」


 文子は血まみれの和沙の元にしゃがみ込んで、生気を失った顔を小さな手で優しく撫でた。


「ごめんなさいね、こんなことに巻き込んでしまって。でも私は犠牲者を出したくなかった。だからあなた以外の適任者が見つからなかったのです」


 彼女はそう言って左手から数枚の四角い紙を具現化させた。


「あれは……折り紙か?」


 童女はその四角い肌色の紙を折り始めた。着物を着た童女が折り紙を作る姿はどこかしら郷愁を誘うものがあり、僕は外国にいる訳でもないのに何故か寂しいような切ないような不思議な気分になった。それにしてもなんてスピードだ……。速さを競う折り紙大会なんてものが存在するならば、ぶっちぎりで金メダルを取れるに違いない。


「これでよしっと」


 彼女が複数枚の折り紙を組み合わせて作ったその作品は形代だった。文子はぴくりとも動かない和沙の口をそっと開け、形代を和沙の歯と歯の間に咥えさせた。そして大川文子は可愛らしい声で一言呟いた。


「黄泉帰れ」


 形代がどろどろに溶けていき、スライムのように和沙の口に入り込んでいった。


「これでよしっと」


 大川文子は満足げな表情でそう言ったものの、少なくとも僕の目からは和沙の体に変化を感じ取れない。僕の怪訝そうな表情に気付いた童女は、ちょこんとした手を和沙の口にそっと手を当てて、僕と不安げな表情を浮かべていたミツキに向かってニッコリとほほ笑んだ。


「大丈夫、微かに息をしていますよ」


 ミツキが顔をクシャクシャにしながら右腕で涙を拭った。


「うわあああああああああ……かずち、生き返った……の?よかっ、よかった。え、えぐっ、ううううう……」

「ミツキ、左腕に意識を集中させろ!」


 気を抜いちゃだめだ、気を抜いちゃ……。生きてる、和沙が生きてる!僕の意思とは無関係に目に涙が溜まり始めてしまったため、ひりひりして瞼を開けていられなかった。安堵のためか、体力に限界がきたためか、兵狼の体は徐々に透明色に変化していき、そのままゆっくりと地面の中に沈んでいった。


「く、くそっ、気を抜いちまった」


 大川文子はゆっくりと立ち上がり、トコトコと可愛らしい足取りで僕の元へ歩いてきた。僕は腕で目を拭いながら改めて彼女を見た。僕を下から見上げる彼女のあどけない顔はまだ8~9歳くらいにしか見えない。彼女は着物を直しながら僕とミツキを交互に見て言った。


「二人とも立っているのがやっとでしょう。お蛇ちゃんはもう限界のようですし」

「そんな、えぐっ、まだ敵が、ううっ……」


 上手く呂律が回らないミツキを見た大川文子は、手に口を当てながらくすくすと笑った。


「お嬢ちゃん、あとは任せてくださいな」


 童女が女子高生に向かってお嬢ちゃんというのはどこかしら奇妙な光景だった。大川文子は男の方に振り返り、顎に人差し指を当てながら暫く男の顔を観察していた。


「夢の中であの子の腕を引っ張ったのは……あなたではなさそうですね。ということは、やはりあの女ですね?」


 男は再び脇腹を抑えながら苦しそうに喘いだ。男の苦しそうな様子を見た文子は、その可愛らしいお顔をあどけない表情から獲物をいたぶる獣のような残酷な笑みにシフトさせた。


「随分酷い傷を負っているようですねえ……。あなたが手負いなのは不幸中の幸いでした。あの式神たちも本来の力をまるで発揮できていないようですし……」


 文子はそう言って鬼羅と嗣津無をちらりと見た。ということは、僕は嗣津無の力を鼻くそ程度も引き出せていなかったことになる……。


「そんな馬鹿な……」


 男は未だショックから立ち直れないようで、目を見開きながら白銀の童女を見続けていた。


「巧妙に隠していたようでしたが、死の呪いの主があの女のものだということに私が気付かなかったとでも?」


 大川文子は着物の懐から灰猫のブローチを取り出し、男に見せつけるかのように上に掲げた。


「バケビトにならぬよう、こちらも対策をしただけのこと……。あの女の子がもう一つのブローチを現世に持ち帰ってくれたおかげで、文字通り私の意識は夢から覚めました。血縁者の血などというまやかしの技で心が濁らないほどにね。すべてこちらの目論見通りです」


 大川文子はそう言ってサディスティックな笑みを男に向けた。


「残念ですが、そろそろ死んでもらいます」

「嗣津無!そいつを殺せ!」


 男の怒鳴り声とともに、嗣津無は水泳の飛び込み選手のように手先を揃えて地面にズブズブと体をめり込ませていった。嗣津無が潜り込んだ部分は人一人が入れる程の真っ黒な穴が開いていた。本来であれば地面に穴を空けずとも地下に潜れるはずの嗣津無。男の式神を制御する力が徐々に鈍ってきたのだろう。


「あら、モグラさんみたいね」


 その数秒後に文子の足元からボコッと音がした。急に二本の腕と包帯頭が現れ、その両手が文子の両足を引っ張り始めたのだ。嗣津無は大川文子を地の底、いや奈落の底まで連れて行こうとしていた。数秒もしないうちに白銀の少女の足は膝まで地面に浸かる。大川文子は今の状況にあまり危機感を感じていないようで、着物がめくれあがってしまったことに対する恥ずかしさと怒りで顔をムスっとさせていた。


「はしたないわね、淑女の足を掴むなんて」


 文子は落ち着き払った表情で、右手に茶色の折り紙を一枚浮かびあがらせた。


「ならこちらもモグラで」


 浮かび上がらせた折り紙を先程のように極めて素早いスピードで折り(2秒もかからなかった)、シンプルなもぐらの形を折り上げた。モグラの折り紙はヒトバケのように急速に肉の形に変化していき、数秒後に毛が完全に生え揃う頃には文子の足と足の間に空いた穴にもの凄いスピードで突っ込んでいった。


「モグラちゃん、この礼儀を弁えない輩にお灸をすえなさい」

「すげえ……」


 僕はモグラの小さな体からミツキの蛇と同じくらいの力を感じとった。強大な力を感じ取ったであろう嗣津無は、文子の両足から咄嗟に手を放してそのまま素早く沈んでいったが時すでに遅し。モグラも同じタイミングで地面に潜り込んでいったのだ。


「あ……びらぁ……ば!あああああぁあ……」


 変声機を使ったような不気味な断末魔が地を震わし運動場中に鳴り響く中、地面から嗣津無の手と頭が水に溺れた人のように何度も表出し、そのたびに人口芝生に穴が増えていった。しばらくして嗣津無の断末魔が聞こえなくなった後、包帯の切れ端だけを加えたもぐらが地上に姿を現した。文子がしゃがんでモグラに手を差し伸べる。


「美味しかった?」

「キュウ」


 一声鳴いて文子の手のひらに飛び乗った小さなモグラは、その体を再び折り紙に形を変えて文子の手の平でスゥっと消えた。


◇◇◇

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