第21話

 外から女が捲し立てる声が聞こえてきた。どうやら受付のミスで長時間待たされたことに文句を言っているようだ。それより近い場所からは自動販売機が缶を吐き出す、あのガコンという音が妙にはっきりと聞こえた。何か言おうと必死に頭をフル回転させたが、まるで自分の頭の中が空洞になったようで、周囲の音に言葉が搔き消されてしまった。


「え?」


 大川さんは私の言葉を辛抱強く待っていた。


「じゃあ、祐樹くんの、お祖母さん?」

「はい。私の母は、孫である祐樹を失踪させた張本人です」

「じゃあお母様は血の繋がったお孫さんに、何かしらの歪んだ感情を……」

「いえ、実は私は養子なのです。ですから母と祐樹には血の繋がりはありません。ただ母は祐樹のことを本当に大切にしていました。それはもう、目に入れても痛くないほどににね」

「どのようなお母様だったのですか?」

「寡黙で、厳しくも優しい人でした。貧しかったにもかかわらず養子である私や姉を女の細腕一つで苦労して育ててくれたのです。私が世界一尊敬する人物ですよ」

「姉?お姉さんもいらっしゃるのですか?」

「はい、姉は母の実子です」


 三田さんが腕組みしながら不思議そうに首を傾げた。


「実子がいても養子を迎える家庭はたくさんあるけど、貧しい母子家庭でよく養子審査に通ったもんだ」

「母から聞いた話ですと、私の義父にあたる男性は実の娘である姉が産まれる前に病死したそうです。母は私を引き取った当時若干27歳でした。おまけに両親はおろか兄弟親戚もいなかったようです」

「彼女は文字通り天涯孤独の身だったって訳だ。ただあんたがなぜ引き取られたのか、それは薄々勘付いてるんだろ?」


 三田さんがそう聞くと、彼は小さく頷いた。


「おそらく私の力が関係しているのかと」


 ぼんやりとだが、私にも少しづつ話が見えてきた。


「つまり、お母様はあなたが不思議な力を持っているから養子にしたのですか?」

「母から力について聞かれたことは一度もありません。子供の頃は霊体験をよく聞いてもらったものですが、母は何も言わずに私の頭を撫でるばかりでした。ただ母は私に不思議な話をたくさん聞かせてくれました。ツカレビトの話、怪異の存在をメシダす話、カミメシの話、そして……ヒトバケの話もね」


 ツカレビト?メシダす?また訳の分からない言葉が出てきた。


「カミメシとヒトバケは誰でも知ってますよね。ちょっと怖い昔話だけど、母親が子供に聞かせるのは極々普通だと思います」

「私の場合は少し違いました。昔話に絡めてやり方を詳しく話すのです。まるで私に術を伝授しているかのようにね。母は常々こう言いました。もしお前の子が産まれる前に私が死んだらら、私に代わり子供にこの話を必ず伝えるように。そして子供以外の他の誰にもこのことを教えないようにと。さもなければお前や子に災いが降りかかるであろうとね」

「でも祐樹くんは……」

「ええ、幸運なことに母の存命中に祐樹が産まれました。そして母は祐樹にも同じ話を直接伝えたのです。それだけでなく、母は祐樹と二人きりで頻繁に出かけることが多かったのですが、どこに出掛けたのかは教えてくれませんでした。祐樹は、甘い匂いのするとても暗くて広い部屋で長時間座らされたと言っていたのですが……誤解して欲しくないのですが、母の祐樹に対する愛情は本物でした」

「大川さん。あたしからも聞きたいんだけれど」


 三田さんが口を開いた。


「あんた、大川文子に引き取られる前にどこで何をしていたの?私たちの調査にかかれば修学旅行のエピソードから付き合った女、記録に残らない犯罪行為まですべて筒抜けになるんだけど、あんたの幼少期や大川文子の素性については手掛かりすらつかめなかった。あたしはね、あんたが養子になる前の過去がこの事件を解く一つの鍵だと思っている」


 私は三田さんと大川さんの顔を交互に見た。大川さんは一言一言、ゆっくりはっきりと喋った。


「私には、大川文子に引き取られる前の、7歳までの記憶が全くないのです」

「記憶が全くない?」


 幼少期の思い出は確かにあやふやなものだが、記憶が全くないとはどういうことだろう。


「唯一覚えているのが、甘い花のような香りだけです」

「甘い香りですか、祐樹くんの話と一緒ですね」

「祐樹から話を聞いて、私も引き取られる前に嗅いだ覚えのある甘い香りの記憶を母に話しました。でも母は笑うばかりでなにも答えてくれませんでした」

「甘い香りねえ……匂いから記憶が甦るというけど、お香や香水を嗅いで何かを思い出したエピソードはないの?」

「いえ、まったく」

「引き取られた理由について大川文子は何か言ってなかった?あんたの生物学上の親は?」

「何も。大人になってから自分でも実の親について調べてみましたが、何一つ掴めませんでした」

「まいったね、大川文子は死んじまったからこれ以上調査のしようもないし」

「お姉さんがいるなら何か知っているのでは?」


 私は先程から実子である姉の話が出てこないことに釈然としない思いを抱いていた。


「姉は中学卒業と同時に家を出てしまい、それ以来一度も会えずじまいです。なぜ出て行ったのかは未だ不明ですが……」

「お姉さんにまでリソースを割く余裕がなくて、特安でも調査はおなざりだったんだ。まあ30年近く音信不通なんだ。たとえ彼女から話を聞いても今回の事件の助けにはならないだろうな」


 どうやら思った以上に分からない事だらけのようだ。私は無事にこの災難を切り抜けられるのだろうか。


「ああ、そういえば夢の人形が写った写真があるんでしたっけ」


 私が手紙に書いてあったことを思い出すと、大川さんは何も言わずに大きなショルダーバッグからA4サイズの封筒を出し、そこから2枚の写真が納められたクリアフォルダを取り出した。一枚は畳の部屋で座っている祐樹と市松人形の写真だった。人形をじっくり観察したが、夢で見た人形に間違いない。これが手紙に書いてあった写真なのだ。

 二枚目は家族写真で、大川さん、背の高い40代くらいの女性、祐樹君、着物を着た女性の4人が映っていた。夢で見た裏庭を背景に満面の笑顔を浮かべた少年の両肩に、母親であろう背の高い女性が膝を曲げながら手を乗せていた。あの廃家は大川さんの家だったのだ。大川さんは今よりもずっと恰幅がよく、というよりかなりの肥満体型で目の前の人物とはまるで別人に見えた。そして着物姿で端に控えめに立っている白髪の女はニコリともせず、写真を見る人間を見透かすかのような視線でカメラの先を見ていた。


「着物を着ているのが私の母です。母の死の1カ月前に撮影した写真です」


 私は大川文子さんよく観察してみた。美しく白い肌に皺のほとんどない顔、余計な贅肉が一切ついてない体。とても62歳には見えない。おそらく年下であろう三田さんよりもずっと若く見え、40代で通用した。白い帯で巻いた薄紫の着物がとても良く似合うこの大和撫子は、写真からでも十分伝わる惚れ惚れするほど美しい白い髪を……白い髪?


「こ、この白い髪って、もしかして……」


 大川さんは一瞬躊躇したように見えたが、私の目を見ながら一語ずつはっきりと言った。


「はい。あの人形には、私の、母の、髪の毛が、使われているのです」


 静まり返った部屋の中で換気扇の音が虚しく響く。夢で見た、とても美しくて白い髪。あれは本物の人毛だったのだ。次に述べるべき言葉を探していたがうまく思い付かなかった。

 口がきけなかった私を察した三田さんが答えてくれた。


「ヒトバケを起こすためには、人形に体の一部を捧げなければならない。それは血だったり、小指だったり、髪の毛だったりな。捧げるものの違いでバケビトの特性も違ってくるのさ」


「な、なるほど……」


 大川さんは残ったブラックコーヒーを一気に飲み干した。


「あの人形は、ある旧家の蔵に眠っていたものを母がなけなしの財産を投げうって手に入れたものです。死ぬ1週間前の母はお気に入りの反物も人形用の着物に仕立てるなど、まるで自らの死を予期しているかのようでした。死去の前日までは健康そのものだったにも関わらずです」


 そして大川さんは、忌むべきことを口にするように手の平で口を覆った。


「祐樹を溺愛していた母は、最期に意識が朦朧とする中で祐樹を傍らに置いて譫言うわごとを何度も繰り返しました。この子をどこまでも追いかける、あいつを何時も見張っている。そのために私は常世から現世に舞い戻ろう、と。その時の見開いた目は忘れることができません。そして天井を見たまま、絶命しました」


 大川さんはそのまま黙りこくってしまった。三田さんも神妙な顔つきのまま何も喋ろうとしない。私は大きくため息をつき、三田さんにコーヒーのお代わりを頼んだ。


◇◇◇

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