第20話

 私は所謂目が点になっていた状態だったと思う。その女は悪びれもせず、ズボンのポケットから出した電子タバコを肺一杯に吸い込んだ。私はやっとのことで口を開いた。


「はあ?ずっといたの?後ろに?」

「そうだけど?後ろに隠れちゃいけない法律でもあるの?あたしと法律で勝負する気?」


 挑戦的な態度で臨むこの小太りの女は50代半ばだろうか、身長はおそらく150センチ前後で、グリっとした大きな目の下にはこれまた大きなほくろがあった。ぼさぼさの髪は後ろで雑にまとめられ、色落ちしたよれよれのTシャツもジーンズも草まみれだった。私は怒りを大川に向けた。


「なんですかこの人は!」


 問いかけではなく紛れもない非難を大川さんにぶつけた。彼は私の迫力にたじろいで後ずさりをしたが、私はそんなことをお構いなしにベンチの後ろで腰に両手の甲を当てている女を人差し指で勢いよく指した。


「わかった、あなた詐欺グループの大元でしょ。そういう顔をしてるもの!」

「なんつーか、失礼だねこの子」


 三田さんは大川さんの方を向いてそう言った。当の大川さんは恐る恐る話しかけてきた。


「この人が先程話した警察関係者の方で、特殊公安主任の三田梅子さんです。事情も一通り知っています」

「それに後ろで全部聞いていたしね」

「嘘よ、嘘!こんないい加減な人が公安警察?冗談でしょ?」

「特殊公安ね。何なら警察署で話す?加賀谷署には私たちの専用スペースもあるから」


 大川さんが意を決したように毅然とした態度で言った。


「小牧さん、そしてあなたには時間が残されていません。彼女は間違いなくあなたの力になってくれますし、それに私は……失踪した家族の手掛かりが欲しいのです」

「その人が私と何の関係があるんですか?その……失踪されたのはお気の毒だと思いますが……」

「関係はあります。なぜならば、私の息子を失踪させた者とあなたを魅入った亡者は同じ人物だからです」

?」

「ええ、行方不明になったのは私の息子、祐樹です」


 私は喉に刺さった小骨が取れたかのように大川という男が何者かを思い出した。当時よりずいぶん痩せてはいたものの、容疑者扱いされてマスメディアに追いかけ回された、失踪した男の子の父親に間違いない。確かあの子の姓も大川だった。

 三田さんが面倒臭そうに欠伸をした。


「お二人さん、そろそろ暑くなってきたし場所を変えるぞ。あたしはクーラーがきんきんに冷えてないと駄目なんだ」


◇◇◇


 三田さんに車で送ると言われたが、まだ信用できなかった私は1人タクシーで加賀谷署に向かった。大川さんの身元は明らかになったものの、失踪した男の子の犯人がメディアの推察通り本当にこの男の可能性だってあるのだ。タクシーが到着すると二人が署の前で待ち構えていた。


「幾らかかった?」

「¥2,139です、でも自分で払いますから」


 しかし三田さんは無言で五千円札を私の手に握らせ、そのまま署内に入っていた。私も慌てて署内に入ると受付の職員がこの女性に一礼をするのが見えた。どうやら本当に警察関係者のようだ。その後専用スペースとやらに案内されたが、壁が棚だらけのその部屋はモップやらヘルメットやらの備品が乱雑に置かれており、おまけに奥の棚には蜘蛛の巣まで張っていた。どう見ても備品保管庫にしか見えない。特殊公安という組織は余程冷遇されているのだろうか?三田さんが用意してくれたコーヒーは某ファーストフード店のものより不味く、私はやけくそになってスティックシュガーを4袋入れた。


「さて、和沙ちゃん。これであたしたちを信用してくれた?」

「あの、公安って普通のお巡りさんとは違う仕事ですよね。警察署で仕事をしているんですか?」

「だから公安じゃなくて特殊公安。全然別物だっつーの。事務所は別にあるけど、他部署としょっちゅう一緒に仕事をするから専用の部屋を用意してもらったの」

「公安じゃないって、どんな仕事なんですか?」

「一応極秘組織だから本当は何も教えられないんだけど……和沙ちゃんは被害者の立場だから特別に少しだけ教えてあげる。分かり易く言うとオカルト専門の警察組織ってとこかな」

「はあ?」

「特殊公安、通称特安とくあん。公安の文字がついているけど、諜報活動が任務という訳ではない。現代科学では対処できず、かつ治安に重大な影響を及ぼすと判断された事案に対処するための秘密警察。加賀谷市失踪事件もうちの担当だ。今はこれ以上は本当に言えないの、悪いけど」

「じゃあ祐樹君の事件はただの失踪事件ではないと警察機関が正式に認めたということですか?」

「もちろん最初は誘拐や殺人も視野に入れて捜査されていたけど、大川さんの事情聴取が東京で審査されて、上層部からあたしたちに捜査するよう命令が下ったってわけ」


 大川さんが彼女の続きを引き継ぐように言った。


「当時、世間だけではなく刑事からも犯人だと決めつけ厳しい取り調べを受けましたが、三田さんが動いてくれたおかげで解放してもらえました。もっとも三田さんと頻繁に会うようになったのは、小牧さんの夢をキャッチしたつい最近からですが」

「ヒトバケ案件ばっかりは亡者が動き出さないとこちらも手の出しようがないからね。あたしたちも山のように仕事を抱えているし」


 私はまだ夢の中にいるのだろうか?頬をつねったが痛いだけだった。自分のつまらない人生が非現実的なものに置き換わる妄想をよくしていたが、断じてこんな形ではない。でも、もう後戻りはできないようだ。


◇◇◇


「カミメシに遭った人が時を経て神社の中で目が醒めたって民話、昔から聞いたことあるでしょ?」

「神様が召し出すと書いてカミメシでしだっけ。神隠しに会った人が失踪時と同じ年齢で見つかるって話ですよね。玉手箱を空けない浦島太郎バージョンというか」

「浦島太郎はただの御伽噺だけど、カミメシは本当の話。江戸時代以前の書物にもいくらでも記録が残っているし、明治時代以降は政府による極秘調査が継続的に行われている。調査の結果、カミメシは紛れもなく実在する現象であり、他の特殊事案との強い相関関係も見られたのさ」

「じゃあ祐樹君は神隠しをされて、今もどこかにいるということですか?そもそもヒトバケに必要なのは依り代ですよね。彼の失踪とヒトバケに何の関係が?」

「それが問題なんだ」


 三田さんはそう言って、電子タバコをせわしなく何度も吸い込んだ。


「死者がヒトバケ現象を起こしてまで現世に甦るということは、この世に未練や執着を抱く強い理由があるからだ。それは全てのバケビトに共通している」

「執着?」


 私はもはや疑うことを忘れて聞き入っていた。大川さんが三田さんの代わりに口を開いた。


「その昔ヒトバケは若返りと不老不死の術としてもてはやされたそうですが、すぐに廃れました。条件が多すぎるからです。一つ目に、バケビトになりたい人間が強い力を持っていること。二つ目に、極めて特殊な製法・材質の人形が必要であること。三つ目に、現世に戻る並外れた執着心があることです。例えばバケビトになってでも亡き者にしたい相手がいる、などですね」

「ということは、祐樹君に強い恨みを持つ相手が人形に宿った、ということですね」

「いえ、今のは例えです。その執着心というのは恨みだけではありません。加賀谷市を舞台にした能楽の演目「剛銅寺」はご存知でしょう」

「もちろんです」


 加賀谷の人間なら誰もが知っている、人買いに売られ遊女となったある女の悲劇だ。病に冒され余命幾ばくも無いと悟った遊女は若いころに契りを結んだ男の元に向かうも、男は国司の娘と結ばれ遊女のことなどすっかり忘れていた。絶望した遊女は剛銅寺の枝垂れ桜の下で手首を切り、その血を形代かたしろに染み込ませながら絶命した。そして夢に誘い込んだ国司の娘の魂を喰らい尽くした遊女はバケビトとなり、男と出会った頃の姿に若返った。かつての自分を思い出してもらおうとその姿で再度男に迫るも、妻の気が触れてしまった男は嘆き悲しみバケビトとなった遊女を罵倒する。男の心を取り戻せないと悟ったバケビトは、そのまま男に憑りつき冥土に連れて行くという筋だったはずだ。


「つまり屈折した愛情も、ヒトバケを起こす強い動機と成りえるのですか?」

「はい、もしかしたら恨みよりも強い執着心なのかもしれません」


 10歳の男の子にストーカーじみた思いを抱く人物を想像しようとしたが気分が悪くなりやめてしまった。大川さんが言った。


「バケビトは願いを成就するために現世に舞い戻ります。ヒトバケ現象が現在進行形ということは、少なくとも執念の対象は生きているということです」

「過去の事例からもそれは間違いない。つまり囚われている場所が現世か常世かは分からないが、祐樹くんはどこかで生きているはずだ」


 私は三田さんの言ったことを思い出した。カミメシは他の特殊事案と強い相関関係が見られる、つまり彼はヒトバケ現象が原因で神隠しのような目に遭い、どこかのタイミングでカミメシされる可能性があるということか。


「よってバケビトになる前に人形を見つけ出し、祐樹くんがカミメシされたタイミングで亡者を駆除する。あんたが夢を見たのは大川さんにとっては幸いだったんだ。ようやく事件が動き始めたからね」

「駆除?」

「何しろ妄執の固まりだから彼女が理性を保っている確率は極めて低い。存在そのものが危険なんだ。昔から、バケビトとなった亡者は駆除対象、もしくは鬼の子を欲しがる権力者に攫われる運命だったからね。知ってると思うけど、女のバケビトは鬼の子を産むという言い伝えがある」

「彼女?女性なんですか?」

「亡者の名前は大川文子、4年前に62歳で死んだんだ」

「大川?」


 私は大川さんの方を振り向いた。彼は口をキュッと閉じながら数秒間沈黙した後、重々しく口を開いた。


「大川文子は、私の、母親です」

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