きゅんきゅん、と、ぺろぺろ
「ぶっぅっふぅ~、食った食ったぁ。……うごけないぃいい」
「あんだけ食えばたりめぇだっ」
ハナは大の字で寝そべり、覚えたてのアニメ曲を鼻歌交じりに出鱈目な歌詞で歌っていた。何にせよ、ついつい笑みがこぼれてしまう。
ご機嫌な彼女はそのままに、僕は食器を片付け、テーブルを拭き、そして洗い物をしていた……って
「おい、ハナ」
「なぁにぃだぁりん……今は苦しいからもう食べられない」
「……」
「……でも、アイスだったら食べられるかも」
……やっぱムカついてきた。何だこの怠惰な生き物は。
「……そうじゃねぇ」
「なぁにぃ? ……ちょっと怒ってるニオイがする」
「お前、俺のこと、ご主人、って言うよなぁ?」
「うん」
「で、ここ二日間のお前と、お前のご主人の行動見て何も思わねぇのか?」
「う~ん……服着させてくれてぇ、買ってくれてぇ、ご飯つくってくれてぇ、美味しい。……あっ、あとぉ、アニメ観てぇ、楽しい、布団気持ち良くてぇ、よく眠れる」
「そうかそうか、そりゃあようございやした……」
「うん、おかげさまで」
「ってちげぇ! これじゃまるでご主人じゃなくて召使いじゃねぇか!」
「へっ? ……なんでぇ? めしつかいぃ?」
「風呂の用意に洗濯物、掃除、そして飯の支度に洗い物!」
「……うん」
「仕舞いにゃあ俺が寝袋でお前が腰に優しい低反発マットレスにふかふかの布団!」
「……うん」
「うん……じゃねぇ!」
「だぁりん」
「なんじゃい!」
「ありがとね。わかった、これからはあたしもちゃんと手伝うね」
……やべぇ、可愛い。彼女のこの屈託のなさ、純朴さに僕はついついやられてしまうのだ。
「お、おうっ、わかりゃあいんだ……よ、って」
「くぅ~……かぁ~」
「……こいつ寝やがった」
「くぅ~……かぁ~」
どこまでも自由奔放な彼女に半ば呆れながらも、洗い物や片づけ、ゴミ出しなど一通りの家事を済ませた。
「……ったくもう、昼間ったって冷えるぞ、そんな格好じゃあ」
十二月も幾許(いくばく)か過ぎ、昼過ぎと言えど肌寒さを感じるようになってきた。……だのにハナといったら、Tシャツにスウェットパンツというラフな格好で大の字に寝ている。しかも気持ち良さそう。
「しゃあねぇなぁ」
と、昼寝をしてしまった子供を案ずるような心持で布団を掛けに行った僕だったのだが……
「……やっぱ、可愛いな」
ああ、寝顔も可愛い。
……ぐっすり寝てるし、チュウくらいしてもバレねぇよなぁ。
……てかこいつ、僕の顔舐めまわしたい、とか言ってたし、ほんとに好きなら……。なぞ、邪な感情が沸き上がってきてしまい、ついつい彼女の顔を覗き込んでしまった。その刹那……
「だぁりん……」
「うわっ!」
不意に薄目でハナが目を開け、僕へ囁くように語り掛けてきた。
「な、なんだよ……風邪、ひくぞ」
「……いいよ」
「な、なにがだよ!」
「なんか…だぁりんから…あたしを求めるニオイがするから……いいよ」
「な、なんだよそれっ!」
「ぺろぺろ……したいんでしょ?」
「ぺっ! ぺっ、ヴふぉっ……」
「あたしも、したい」
考えても見れば、成人した男女が一つ屋根の下で共同生活をしているのだ。(共同、といっても僕の奉仕活動でしかないが)特にこれといったことは何もない。……というほうがオカシイといえばオカシイ。
どうあれ、彼女は僕のことが好きらしいし、僕だって正直好きだ。キレイで可愛くて純粋で。
ふむ、であれば、両性同意の上でってこ……
「おとーちゃまがね……」
「お、おとぉお……?」
「……くりくりのことをね」
「……くっ、くりくりぃ?」
「ぺろぺろするのね」
「……ん、んななぁっ! お、お前!」
「あの親子観てててね」
「……へっ?」
「なんかね、あたしね、ポカポカしてきたの」
「……」
「すごい良いなぁ、って。だからね、あたしもね……」
僕はハナから身体を離して頭を撫でた。
「だぁりん?」
「うん、いいこいいこ」
「えへへぇ……うれしい」
いけない。やっぱりダメだ。彼女は……眩しすぎる。
もし、なんてガラにもねぇが、願わくば、ちゃんとした形で彼女と繋がりたい。勢いで、とか、何となく、とかそういうのはイヤだ。僕はそう強く感じた。
「あれ、だぁりん……」
「ん?」
「なんか、下尖がってるよ?」
「ああああああああああああああああああああ!」
羞恥心マックスでトイレに駆け込む。
ああ、身体は嘘を吐けない。ある意味健全ではあるが、純粋な幼児の妹っ子に見せてはいけないものを見られた気がして涙が出そうになった。
「……あ、幼児?」
ふと脳裏をよぎった。……幼児退行という言葉。
それは、過度のストレスの影響によって、心が幼児にまで戻ってしまうという病らしい。ふむ……僕たちは記憶喪失、というものに縛られすぎていたのではないだろうか?もっと広い視野で物事を観測するべきではなかろうか。
例えば、彼女の親、兄弟、知人や交友関係、様々な経験、幼い日々の思い出、など。そして、なぜあの日あの場所にあの姿で、いたのか。そこももっと掘り下げるべきなのではなかろうか。
となると、やはり彼女は……なぞ、思慮を巡らせていると……
ドンドンドン! と、すごい勢いで轟音が鳴り響く。
「だぁありぃいん! 大丈夫ぅ!」
「ひぃいいい! ……もうなにぃ! だ、大丈夫だよ! てかドア叩き壊すな!」
「よかったぁああああ!」
ドアの向こうから彼女の気配が去ったこと、強いては……下半身が平常心を取り戻したことを確認し、トイレから無事? 帰還。
「……ふぅ。ハナぁ、どんどん叩いちゃダメだぞ。ドアこわれちゃうよ?」
「えぇえ? あたしすっごい軽く叩いたし。それよりも、だぁりんのことが心配だったっちゃわいやぁ……。だってぇ、ピューって走ってトイレに駆け込むんだもん」
あ、あれで軽くだと……こいつ、本気を出したら僕の全身の骨なんて軽々ボキボキに砕けるんじゃなかろうか、と冷汗三斗したが、それと同時に、そんなにも心配してくれたのかという嬉しさも込み上げた。
「まぁったく、僕のこと好きすぎだ。これでもそれなりに格闘技もスポーツもやってきたし、未だに鍛えているし、体力だってそこそこはあるんだぜ?」
目をパチパチさせながら僕を見つめるハナ。……か、可愛い。
「……なんだよ」
無言で近づいてくるハナ。……少し、怖い。てか、近い。
「ち、近ぇよ! どうした? 僕ならもうだい……」
刹那凄まじい痛みが僕の腕を襲った。
「ぎぃゃあああああああああああああああああああああっ!」
「ほら、やっぱだぁりん弱いよ」
……ハナが腕を握ったのだ。こ、こいつ、花は花でもあの十代で組を一つ潰したとか言う、あっちの花ぁ? 沢じゃなくて山ぁ?
「もう! 痛いじゃない! なにすんのさ!」
「……ぇ、軽く力入れたくらいだよ?」
「違うの! ハナはね、すっごい力持ちなの! いい? 絶対に力いっぱい出しちゃダメなんだよ? わかった?」
するといきなりハナは抱きついてきた。
「ごめんなさい。……もうしません。だから、だぁりん、あたしを怖がらないで」
彼女の二つ目の特殊能力か。とすぐに得心した。常軌を逸するアニメのような怪力と、相手の感情を彼女にしかわからないニオイで察する力。
「ハナ」
「うん」
「怖くなんかないよ。大丈夫だから」
「ほんと?」
「うん、ほんと」
「ほんとのほんとうに、ほんと?」
「うん」
「だぁりん」
やっべ、おいおいおい、このままじゃキスしちまうじゃねぇか! 可愛すぎんだろこいつ! あああああ! そんなに顔近づけんなよ!
……感じる、異常なまでに火照った顔。そして、それは顔だけにとどまらず、体中に熱を帯び、うずく。もう僕の心は爆発寸前だった。
「だぁりん、なんかね、へんな感じ。……体がね、キュンキュンするの。……あたし、だぁりんのこと、ぺろぺろしたい」
ああ、いっそこのまま……
「……」
「だぁりん……」
「……」
「だぁ……りん……」
「ぷっはぁあああああああああああああ!」
僕は彼女の両肩に手を乗せ、押し返すように距離を取った。
「なぁに言ってんだよ!(ク〇リスぅうう!)」
キョトンとする彼女。
「さ、支度しろ。食後の散歩にでも行くぞっ!」
「……あっ」
「ん? どうした、行くのやめるか?」
「ううん、散歩いくいくぅ!」
「よしよぉし! さ、支度するぞ!」
「はぁい!」
……よくやった自分、よく頑張った自分、よく我慢した自分。ありがとう、自分。
……ねぇ、誰でもいいから誉めて。僕のこと誉めてよ! ああ、みんな僕を称えて。あいつはとんでもないものを盗みました、的なこと言って!
……この時ばかりは、ほんとに心から自分を褒めてやった。
しかしだ、これから先、本当に僕は善意だけで彼女の記憶を取り戻す手伝いが出来るのだろうか。そこに下心は生まれないのだろうか。彼女の期待を裏切らず、僕は僕のままでいることが出来るのだろうか。
不安がよぎる。
「だぁりぃいいんっ! したく出来たよぉおおお! ほら見て、マフラー巻けた!」
不意に語り掛ける彼女は、マフラーを首から口、口から額へとぐるぐる巻きにしていた。
「ぷっ、なにやってんだよお前! そうやって巻いちゃだめだよっ」
「そなの?」
「そうだよっ! はははは! 笑わせんな、カラフルミイラじゃねぇか」
「あはははは! 何か面白いねっ!」
「ほら、こうやって、こうすんの」
「わぁああいっ! ありがとぉおお!」
やっぱ撤回。不安とかどうでもいいや。この先どうなるかわからないけど、こいつの笑顔を守っていこう。いや、僕が守っていきたい。とにかく、今は今で焦らずに、出来ることをやっていこう。
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