第3話 その非現実の、実現可能性につき
「無理? どうして? そのまま須走の首を絞めればいい。ちゃんと力込めてる?」
「おい原町。力込めたら俺死ぬじゃんか」
「手は届くには届くけどさ、この角度じゃ力が上手く入らないよ。何ていうか須走の首を持ち上げる感じになるじゃん? 力のかかるポイントが自分より上なわけ。だから
力を込めるのが難しい。肩が攣りそうだし、これで絞め殺すのは無理だよ。それにほら須走、逃げようとしてみてよ」
逃げようと?
首を絞められる役だから動かなかったけれど、そんなものは簡単だ。一番は杏樹を突き飛ばせばいい。それだけで全ては片付く。他は腕をまとめてつかむ。それで俺の首に力は入らなくなるだろう。縛られているわけでもないから俺の腕は自由だ。だから気を取り直して杏樹の両手首をつかんで持ち上げれば容易に首から手が離れる。
至近距離でグニグニと俺の首をなでる杏樹の指と手のひらはいつもと別の生き物のように感じ、なんだか妙に気分が落ち着かなかった。
「なるほど。やっぱり実際やってみると大分違うんだな」
「まあね。ミステリのトリックも実際やってみたら他の理由で無理だった、なんてことはよくあるらしいし」
「なるほど」
「それから押し倒すとかも無理。私の方が軽いから。須走を殺すなら縛るとか動けなくするしかないんじゃないかな」
「だから嫌な事言うなよ」
「ありがとう林平さん」
「いえいえ、どういたしまして。面白かった。また実験するなら是非呼んで」
ガラリと教室から立ち去る杏樹をよそに、原町はノートに仔細を書き込み続けていた。これが始まるとなかなか次には進まない。後に回すとリアリティを忘れてしまうらしい。原町の中で今沸き起こってるものらしいから。
それで俺はというと、首を締められるというちょっとした非日常になんだか酷く落ち着かず、喉が未だに杏樹の手の形に熱を持っているような妙な感覚に苛まれていた。
「須走。検討した結果、首を絞めるのではなくナイフで刺すことにした」
「ナイフ? それじゃ死因はナイフの刺殺だ。それなら自分がやったとは思わないだろ」
「体格差はどうするのさ? そうそう簡単に刺せないや。だからお前をバットで殴りつけて上手く動けなくしたところで、
「後から?」
「お前が言った通り、抵抗は容易だし周りに防げるものもある。なのに防御創もなく腹を刺され、そのまま死ぬのはリアリティがない」
リアリティ、と呟く原町の表情はなんだか少しだけ怖かった。
「防御創ってなに?」
「刺される時に防ごうとして腕とかにできる傷。それがないってことは抵抗してないってことだ。不自然だろ?」
「うーん、そう言われるとそうかも」
杏樹はこの非日常に味をしめたようで、その日から放課後にちょくちょく集まり、日がすっかり落ち込むまでの間、実験をすることになった。
パウルを殺すにはどこを刺したらいいかとか、抵抗されないためにどうするかとか。途中からはマジック用の刃先が引っ込んで刺すと中に仕込んだ水が出るナイフまで持ち出された。
「俺、本当に殺されそう」
「いいね、リアリティがある」
「リアリティってお前気楽に言っちゃって」
けれども実際、これが本物のナイフで杏樹に殺意があれば、結構やばいんじゃないかと思う実験をたくさん試した。妙な恐ろしさを感じる一方、俺は殺されるその度に、これまでの日常を飛び越えて非日常に移行するような妙な感覚にじわりと妙な興奮を覚えた気はする。
原町はその度にノートをとり、納得がいった時は満足そうに唇の端だけで淡く微笑んだ。
そうして何度目かの改稿作業の後に渡されたノートを見て困惑した。
「おい原町、これはどういうことだよ」
「そっちの方がリアリティある気がして。駄目かな」
駄目かどうか、返答に困る。
何故ならそのノートに刻まれた名前はジョゼ、パウル、シャザリンではなく原町、俺、杏樹の名前だったから。確かに名前が身近な方がイメージというものは湧きやすいかもしれない。けれどもそれにしたってなんで俺が寄ってたかって殺されなきゃならないんだよ。
この話のネタバレは、結局のところ俺が杏樹に刺し殺される。
バットで殴られたことはたいして影響していない。殴られた場面を見ていた杏樹が朦朧として無抵抗の俺を刺し殺すのだ。
ミスリードのための伏線もより詳細になった。何故俺が仲がいい従兄弟だったはずの杏樹に殺されることになったのか、それは最後にシャザリンの遺書で明らかになる。杏樹は最初は原町に罪を被せようとしたけれど、それが不可能になって最後に自殺する。まぁ、推理小説ではよくあるパターンなのかもしれない。
それでその話をフルスケールで読んでいると、なんだか俺が本当に杏樹に殺される気分に陥った。沢山の模擬的に殺されるシミュレーションの記憶がフラッシュバックし、足元がふらふらして妙に落ち着かない。
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