第4話
「何も覚えてないんです」
そう狩野に伝えると、鋭い目が少し優しくなったように、未映子には見えた。
その横で、未映子の夫だと言い張る高木裕真が、
「僕の事も?」
と執拗に聞いてきた。
聞くというよりも確認しているに近い聞き方に、未映子は違和感を覚えた。
狩野も同じ感想を持ったのか、また目が鋭くなったように見えた。
目が好きだなと未映子はまた場違いな感想を持った。こっちが夫だったら良かったのにとまで思った。
「未映子とは一年前に結婚しました。僕たちはとても上手くいってて、亡くなったお母さんと未映子も仲が良く、まるで友達のような親子でした」
裕真が聞かれてもいない事までペラペラと流暢に説明をし始めた。その説明を聞きながら、未映子は自分の夫だと言う男を観察するようにじっと見つめた。
裕真は細身で身長が高く、まだ二十代に見えた。未映子は自分の歳はいくつなんだろうと思った。
狩野が手帳を取り出し、何かを書き込みながら裕真に質問を始めた。
「高木治子さんが誰かに恨まれているという事はなかったですか?」
「絶対にありえません」
「そうですか」
「奥様もそう思われますか?」
狩野が、未映子の顔をのぞき込むように聞いた。
「覚えてないのでわかりません」
未映子は何もかもを見透かすような視線に、記憶がないはずなのに動揺を覚えた。
「このぐらいにしてもらえませんか。未映子は意識が戻ったところなんで」
裕真が、未映子と狩野の間に割り込んできた。
「失礼しました。また後日、お話を聞きに伺うと思いますが」
未映子は子供のように頷いた。
またこの男に会える。
微かな泡のような喜びが沸いてきた。なぜなのか、またこの男に会いたいと未映子は強く思った。
それから毎日、狩野と裕真は入院している未映子の病室に、交互に訪ねてきた。
「思い出しましたか?」と交互に聞かれた。
記憶は全く戻る気配はないが、未映子の狩野への想いは日に日に強まっていった。それと比例して、裕真をうっとおしく思う気持ちが日に日に強まっていった。
裕真に対しては違和感しか感じない。こんな男は知らない。私がこんな男と結婚していたなんて嘘だとまで思った。
ある時裕真は、アルバムを持って病室を訪れた。生まれた時から記憶を失うまでのアルバムを持ってきた。薄い薄いアルバム。
普通、生まれてきてからのアルバムというのは、もっと分厚く何冊もあるのではないのかという疑問を未映子は持った。
開いてみると、化粧が濃く胸元が見えそうなぐらい首回りの開いたワンピースを着た女が、不機嫌そうな表情で畳に座っていた。
その側には無造作に置かれたように見える座布団の上で、赤ん坊が顔をくしゃくしゃに歪めて泣いていた。
「ほら、未映子だよ。可愛いだろ」
裕真が馬鹿みたいにはしゃぎながら指を指してきたが、どう見ても可愛くないし、どう見ても親子に見えない。
このケバケバしい女が私の母親なのか。
この不機嫌極まりない表情は何なのだ。
記憶がない私から見ても、この女が私の事を愛しているようには全く見えない。
裕真がゆっくりとページをめくっているが、この写真の少なさは何なんだろうと、未映子は不思議に思った。
赤ん坊の次の写真が、小学生の未映子というのはどういう事なのだろう。
未映子がランドセルを背負っているので小学生だと見当をつけた。それにしてもどうして黒いランドセルを背負っているのだ。私は女の子だから普通は赤とかピンクではないのか。
そんな疑問を持ちながら、未映子は数少ない写真を見つめていた。
小学生の次は大学の卒業式だった。
「お母さん、写真苦手だったんだよ」
裕真の声が聞こえたが、未映子は無視した。
アルバムに三枚の写真。
私と母親は本当に仲が良かったのだろうか。
未映子は三回めくれば終わってしまうアルバムを、何度も何度もめくり続けた。頭が割れるように痛くなってきた。
未映子は何かを思い出しかけるが、思い出す事を拒否しているかのように頭の中で、どーんどーんという音が大きくなっていくだけだった。
(つづく)
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