砂の城
はる
第1話
私は、この世の中で母親が一番苦手だ。
自分が産んだというだけで、子供を思い通りに動かそうとする人間。そして思い通りにいかなかったときは暴れる。全勢力を駆使して、私の未来を阻んでくる。
愛なんてなくても生きていける。そんな目に見えないものは何の足しにもならない。そういう孤独な意識を、私に深く植え付けた母親。
愛っていったいなんなんだろう。人は簡単に愛を口にするけれど、それは本当に愛なのか一度疑ってみるべきだ。
私は愛なんて一切信じない。現に母親から一滴の愛情も与えられなかった私が、今もこうして生きているではないか。
愛がなくても子は育つのだ。
私は、愛情に囲まれて育った人間が苦手だ。そういう人間は愛に慣れている。愛を疑わない。愛を与えられる事に動揺しない。
私は愛に慣れていないから、そんなものを突然与えられたらどうしていいかわからなくなる。むしろ逃げ出したくなる。
そんな目に見えないものより、目に見えるものを与えてくれればいいのだ。
例えばお金、例えばセックス。
わかりやすいものを与えてくれる人間は安心する。
だが愛なんていらないと言ってる私が、結局一番愛を求めていたのかもしれない。与えられないからいらないと強がっていたのかもしれない。
お母さん
どうして私はあなたに愛されなかったのですか?
あなたの愛を求めて求めて、それでも愛を与えられなかった私という人間は、この世に存在していてもいいのでしょうか。
あなたに愛される為に、私は自分の心を殺して、あなたの望む娘になる為だけに生きてきた。もし、あなたを失ってしまったら、私はこれからどうやって生きていけばいいのかわからない。
お願いです。私を愛してください。
うんざりするぐらいの愛情を、私に注いでください。
愛なんて積んでも積んでも崩れていく砂の城みたいだ。
* * *
未映子はとめどもなく流れてくる思考を一旦止め、自分の足元をそっと静かに見下ろした。
そこには母の死体らしきものが転がっていた。
未映子は恐る恐る母の首筋に指をあててみた。皮膚の硬さに驚き、慌てて指を離した。
死んでいる。
母は全身血塗れで倒れていた。
誰が母をこんな目に。
未映子は激しい怒りを覚えた。と同時に、もう愛される為に努力しなくていいのだと安らぎに似た感情が沸いてきた。
未映子はふと何気に自分の手を見た。真っ赤に染まった自分の両手。何故私の手は赤く染まっているのだろう。未映子は不思議な気持ちでじっと自分の手を見つめ続けた。
まさか私が母を殺したのか。
記憶がすっぽりと消えていた。
未映子はどうやっても思い出せない自分の頭を、血に染まった手で殴り続けた。
遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
いったい誰が警察に連絡をしたのだ。
未映子は、部屋の隅に置いてある白い電話機を見た。真っ赤な部屋の中で電話機の白さは、まるで空中に浮かんでいる雲のように見えた。
私が警察に連絡したんじゃない。
もし私が電話をかけたのなら、あの電話は赤く染まっていなければおかしい。この真っ赤に染まった私の両手。でも、じゃあいったい誰が? 捕まるの、私?こんな真っ赤な手をしている私の言葉を、警察が信じてくれる筈がない。
逃げよう。逃げるしかない。
未映子は洗面所に駆け込み、真っ赤な血を洗い流した。流れていく赤い血が母のものなのだと思うと、赤い手に愛着が湧いた。しかしこの手では逃げ切れないと思い直し、寂しい気持ちで洗い流した。
その時、未映子は自分の背後に人の気配を感じた。
(つづく)
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