第74話 まだ見ぬ明日の邂逅 中
★ ★ ★
白刃が閃いて、横一文字に疾る。続けて二回刃が振り抜かれ、銀色の残像がバッテンの軌跡を描く。
全身真っ白な少女が、静かに納刀する。直後、試し切り用の竹がずれ、バラりと床へと散らばった。
「す、凄い……!」
竹美はりんごちゃんの居合に目を奪われて、息を呑む。りんごちゃんはささやかな微笑で答え、少しだけ顔を赤くする。
「どうでしょうか、竹美さん?」
「凄いよ。りんごちゃんって剣道の達人なんだね」
「その、これは剣道ではなくて、居合です」
「ごめんなさい。そういうの、あまり詳しくなくて」
竹美はりんごちゃんと言い合って、小さく安堵の吐息を漏らした。これならば、明日のバディ戦とやらもなんとかなるかもしれない。
広大な演習場の片隅で、二人は作戦会議を続けていた。教官から、明日のバディ戦に備えて、りんごちゃんとの連携を模索しておけと言いつけられたのである。だが、竹美はりんごちゃんの実力を知らない。そこで急遽、りんごちゃんに得意の剣術を披露して貰ったのだ。
「今の内に作戦を練っておけとは言われたけど、どうしよう。私、戦いにはあまり詳しくないの。今までレクチャーされた戦術についても、まだピンと来なくて。りんごちゃんはどう思う?」
竹美は問う。
「明日のバディ戦では、玩具の空気銃を使うらしいので、実際の銃撃戦よりもだいぶ近い距離での戦いが予想されます。状況次第では、私の居合も出番があるかもしれません。でも、剣で銃に勝つのは至難の技ですから……基本的には竹美さんの狙撃の腕前が頼みの綱になります」
「そう、だよね。りんごちゃんはバディ戦についてはどれぐらい聞いてるの?」
「確か、サバイバルゲームと同じルールでの試合になるそうです。私は、スポーツチャンバラ用の竹刀を使えと言われています」
「サバイバルゲームね。要は、BB弾であれ竹刀であれ、当たったら負けってことよね」
「はい」
りんごちゃんの話を聞き、竹美はふうっと息を吐き出した。
一度、実際にサバイバルゲームをやってみない事にはなんとも言えない。ちょっと、山本さんに頼んでみよう──。
竹美は結論して、りんごちゃんと共に山本陸尉の許へと向かった。
★
山本陸尉は、食堂の隅で熱心にノートパソコンのキーボードを叩いていた。竹美が声をかけたが、すぐには気が付かず、三度目の呼びかけでやっと顔を上げた。
「山本さん。実戦の腕前はどうですか?」
「は? なんの話かな」
「その、明日のバディ戦に備えて、サバイバルゲームを体験しておきたいんです」
「あ。そういう事ね。だったら……もう一人必要だな」
山本陸尉は竹美と言葉を交わし、ゆらっと視線を泳がせて部下の女性自衛官に目を止める。それは、自衛隊車両で山本に憎まれ口を叩いていた女性だった。
「
山本陸尉が歩み寄り、いかにも悪い顔で声をかける。部下の女性はハッとした表情を浮かべて慌てて背を向けるが、その肩を、山本がニコニコしながら掴んだ。
★ ★ ★
三〇分後。
竹美とりんごちゃんは、広大な演習場の木陰にしゃがみ込み、息を潜めていた。
『どうですか。敵は見えますか?』
りんごちゃんが小声で問う。愛らしい目元には、ポリカーボネイト製のゴーグルが装着されていた。しっかりと、迷彩服も着込んでいる。
竹美は前方に目を凝らし、首を振る。その顔にもゴーグルが着用されている。
『わからない。さっきこの方向から撃って来たから、こっちに居るのは間違いないんだけど……山本さんたち、隠れるのが上手すぎるわ』
竹美も小声で返し、ライフルを握り締める。その銃は、L─九六狙撃銃のエアーソフトガン──。玩具の銃である。実は、自衛隊は訓練の為にエアーソフトガンを用いることがある。竹美の明日の試合でも、エアーソフトガンを使うことになっている。
竹美とりんごちゃんは、フラグ戦を戦っていた。
フラグ戦は、敵味方、互いの拠点にブザーを置き、ブザーを鳴らされたチームの負けとなる。互いにブザーを狙って攻め、撃たれた者は、一度自チームの拠点に戻って復活宣言をしてから戦線に復帰してもよい。つまり、無限復活ルールが採用されていた。
これに関して、竹美は山本陸尉に疑問をぶつけてみた。
『無限復活ルールって、どうしてですか? 明日の試合では、一度でも撃たれたらその時点で負けなんですよね? だったら無限復活ではなくて、
『
と、山本陸尉は竹美を諭した。
つまり、このおじさん、一方的に私をやっつけまくるつもりなの? 馬鹿にして!
竹美は少々自尊心を傷つけられて腹を立てた。そんな訳で、竹美はゲーム開始早々、敵陣を目指して全力で駆け出した。が、ゲーム開始から一分と経たない内に、簡単に狙撃されてしまった。
「な? 無限復活戦にしといて良かっただろ。ほら、自陣に戻って復活コールをしておいで」
前方の茂みから山本が顔を出し、ニヤリと笑う。
BB弾による痛みの残滓も手伝って、余計に腹が立つ。竹美とりんごちゃんはそれからも、何度も突撃を繰り返した。だが、
「くっ。私の方が、ずっと眼は良い筈なのに」
竹美は悔しさを胸に、徐々に頭を使い始める。
サバイバルゲームでは玩具の銃を使う。ただ、戦闘距離が近いものの、やっている事は実戦とそう変わらない。サバイバルゲームで勝てない者は、実戦でも勝てないだろう。そして何より実戦の要訣は索敵合戦だ。兎に角敵に見つからず、先に敵を見つけて発砲した方が勝つ。銃の腕前による命中精度の
竹美は息を潜ませて
互いに、隠れて移動したら簡単には見つけられないだろう。近くには小さな丘もある。高台は魅力だけど、そこへ向かう斜面はかなり足場が悪そうだ。簡単には登れそうもない。かといって開けた場所を行けば、簡単に見つかって撃たれてしまう。仕方なく茂みや物陰沿いに進んでも、進行ルートを予測されて撃たれてしまう。
私たちの動きは、最初から全部予想されているんだ……!
やっと気が付いた竹美は、りんごちゃんと軽く頷き合う。りんごちゃんは、作戦通り茂みに身を潜め、そっと竹美から離れていった。
薄く、竹美の鼻に汗の匂いが飛び込んで来る。
この匂いは山本さんね。近いけど、居場所までは分らない。これじゃ下手に動けない。
竹美は考えを巡らして、一計を案じる。
周囲を見渡すと、拳ぐらいの大きさの石ころがいくつか目に入った。竹美は石ころをいくつか拾い、右手奥の、遠くの茂みを目掛けて放り投げる。石ころは三〇メートル以上も飛び、茂みに落ちてガサリと音を立てる。次の瞬間、二つ目の石ころが落ちて、再び茂みが揺れた。
これで、山本さんはあっちに眼を向けた筈──。
竹美は足音を殺し、左に大回りして斜面を駆け上がった。多分、この斜面のどこかに山本陸尉が潜んでいる筈だ──。と竹美は辺りに目を凝らす。
狙撃手は高い所に上りたがる。竹美もだ。それは裏を返すと、狙撃手を見つけるには高い所を探せばよい。という事になる。だけど、誰もが予想できる場所に身を潜めるのは愚か者がすることだ。経験が浅い狙撃手であっても、丘の頂上だとか、見つかりやすい場所にはいかないだろう。
以上の考察から、竹美は、斜面の頂上に山本はいない。と推理する。その推理は当たっていた。
『やっぱり、ここには居ない。でも』
竹美は微かに呟いて、丘の頂上から山本陸尉の姿を探す。すると、竹美の足元から数十メートル先、斜面の中腹辺りの茂みの陰に、山本陸尉の姿があった。山本は匍匐して、バトルフィールドの大半を視界に収められる位置にいた。竹美の狙い通り、山本陸尉は先程石ころが落ちた辺りにライフルを向け、意識を集中している。
竹美はそっとL─九六狙撃銃を構え、山本の背に狙いを定める。だが──。
遠い。射程距離の外だ。と構えを解く。
一般に、エアーソフトガンの射程は三〇メートル弱ぐらいだ。ホップアップ機能に優れた狙撃銃でも、四〇メートルの距離になるとかなり命中精度が落ちる。一発でも外せば忽ち逃げられるか反撃されてアウトである。
山本陸尉に気付かれず、射程距離まで近づくしかない。
竹美は息を潜め、そっと斜面を降り始める。全身の感覚が研ぎ澄まされていった。靴越しに脚に触れる草の感触や空気の流れ、地面を踏む微音までもが感じられる。心臓が高鳴って、息が上がる。それを必死で押し込めて、足音を忍ばせて距離を詰めてゆく。
力を抜かなきゃ。冷静になれ。冷静に。
静かに静かに茂みを進み、竹美はやっと射程距離まで近づいた。
よし。ここなら!
興奮を押し込めて、ライフルを構える。しかし……。
突然、ブウウウウウウウゥッ! とブザーの音が響き渡る。音は、竹美たちの拠点から聴こえてきた。山本陸尉の部下の、
くっ。と、悔し気に息を吐き出して、竹美は銃口を下ろす。
また、負けた。
「ふふ。俺にばかり気を取られて、バディの行動を見落としていたみたいだね。まだまだ甘いよ。どうする。まだ続けるかい?」
山本陸尉が振り返り、上機嫌に言う。
「勿論! 勝つまでやるんだから!」
竹美は、悔しさと共に吐き出した。
★
再び、フラグ戦が開始された。
竹美は今度は慎重に進み、まずは自チーム拠点付近の植え込みの影に身を隠した。まだ、敵の気配はない。
さっきは負けはしたが、実銃だったら射的距離内だった。山本陸尉を仕留めることには成功していただろう。つまり、どんなに腕利きの人でも撃たれる時は撃たれると、いうことは解った。絶対に勝てない、なんてことはなさそうだ。
でも、もっと工夫が必要だ。
そこで、竹美は一計を案じる。
サイドウェポンのハンドガンをりんごちゃんに押し付けて、試してみたかった作戦を丁寧に指示する。が、りんごちゃんは微かに顔を曇らせる。
「でも。私、玩具の銃だとしても、撃ちたくありません」
「解ってる。命中させなくても良いの。私がハンドサインを送った時にだけ、敵の近くを撃ってくれるだけでいいから。他に方法がないの」
「……解りました。でも、本当に命中はさせませんからね?」
りんごちゃんは渋々ハンドガンを受け取って、作戦を受け入れた。
こうして、二人は七メートル程の距離を保ったまま、敵陣へと進み始める。バトルフィールドの中間地点が近くなり、竹美は足を止めた。これ以上進んだら、発見されて撃たれるだろう。今度はこっちが先に、敵をみつける必要がある。
思考を巡らして、竹美は感覚を研ぎ澄ます。
微かに、汗の匂いがする。山本陸尉の匂いだ。近い。
竹美は周囲に目をやって、前方の、匂いの発生源と思しき場所に注目する。すると、岩陰の茂みで微かに、黒い物が動いた。銃だ。山本陸尉が居る!
竹美はライフルを構えて、茂みへとBB弾を撃ち込んだ。だが、カツリと音がして、BB弾が跳ね返る。風で僅かに弾が逸れ、岩に当たったのだ。当然、山本陸尉にも気付かれた。
岩が邪魔だ……。
竹美は内心愚痴りながら、腰を上げて走り出す。ぐるっと右回りに岩を目指す。が、すぐに山本陸尉が反撃の銃弾を撃ち込んで来る。その攻撃を、近くの木陰に飛び込んでやり過ごす。
完全に釘付けにされた。山本陸尉は腕が良い。少しでも木陰から顔を出せば、その瞬間に撃たれてしまう。
竹美は、りんごちゃんへと視線をやった。ハンドサインを送ると、りんごちゃんは頷いて腰を上げ、山本陸尉が潜む岩を目掛けて発砲した。
パス、パス、パス。と空気が爆ぜる。間もなくBB弾の着弾音がする。山本陸尉はりんごちゃんの制圧射撃に驚いて、すぐに岩陰に頭を引っ込めてしまった。
やった。狙い通りだ。
竹美は確信して、再び走り出す。こうして、竹美は大きく右回り、りんごちゃんは左回りに移動しながら、山本陸尉へと距離を詰める。竹美とりんごちゃん、どちらかが見つかったら、見つかった者はすぐに物陰に身を潜め、もう一人が山本陸尉に制圧射撃をかけて援護する。山本陸尉が制圧射撃を受けて頭を引っ込めると、釘付けにされていた者はすぐに移動して、物陰に潜む。これを交互に繰り返して、最後には山本陸尉を挟み撃ちにする。それが竹美の狙いだった。
一方、山本陸尉は岩陰に釘付けにされてかなり焦っていた。
「少し雑だけど、そこそこ息の合った〝ファイア&ムーブメント〟じゃないか。これはだいぶ不味い……な」
微かに呟きながら、山本陸尉は
ぱっと、岩陰から竹美が飛び出して、L九六狙撃銃を構える。
脚が速すぎる!
山本陸尉が心中に叫んだ次の瞬間には、BB弾が打ち出され、山本のゴーグルに命中した。
「ヒット。やるね」
山本が
竹美は、やっと山本陸尉に一矢報いたのだ。
次の瞬間──。
パスパスパスッ! と、発砲音がして、竹美は咄嗟に木陰に身を隠す。幸い、弾は命中しなかった。撃ったのは、山本のバディの
竹美は、またも釘付けにされてしまった。
ハンドガンは取り回し、装弾数、連射性能、どれをとっても狙撃銃を上回っている。おまけに杏ちゃんは自衛官だ。銃の腕前も申し分ない。このままじゃ負ける……!
竹美は焦って頭を巡らすが、良い対策が浮かばない。そうする内に、杏ちゃんは木に触れる程の距離まで接近してしまった。
「竹美ちゃん、どうする? 降参するなら撃たずにヒット扱いにしてあげても良いけど」
木を隔てて、
と、腹を括ってライフルを握りしめる。
刹那──。
「ヒット。やられた。私の負け、ね」
「何をしてるんですか。走って。もう、山本さんは拠点に向かってますよ!」
りんごちゃんが叫ぶ。直後、竹美は弾けるように駆け出した。
そう。無限復活ルールは山本陸尉のチームにも適用されている。このままでは山本陸尉は拠点に戻り、復活を宣言してしまう。その前に、ブザーを押さなければ!
竹美は岩や倒木を飛び越えて、足場の悪い林を全力で駆ける。途中、蜘蛛の巣が顔に張り付いたり、木の枝が頬を掠る。が、それでも、止まらない。
間もなく、山本陸尉の背中が見えた。山本陸尉も走っている。
間に合え!
竹美は山本陸尉の背に追い縋り、やがて追い抜いた。それとほぼ同時に、山本陸尉が拠点に到達して復活コールを上げる。そして間髪入れずライフルを構え、竹美の背に照準を定める。
「負けるもんかあああ!」
竹美が、叫びながら敵拠点のブザーを押す。ブザーは正常に機能して、高らかに、勝利の音色をまき散らす。
竹美とりんごちゃんの勝ちである。
「やった。やったよ、りんごちゃん!」
竹美は後ろを振り返り、ぴょんと飛び跳ねてりんごちゃんへと手を振った。その笑顔を見届けて、山本陸尉は静かにライフルを下ろす。
「やるじゃないか」
山本陸尉はちょっと悔し気に言うが、眼には、優し気な微笑が浮かんでいた。
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