第58話 下天の夢 上




 すっと、秀実は歩み出る。

 秀実の眼に映る何もかもが、凍りついたように静止していた。試合開始の合図がかかった瞬間、秀実が時間停止能力を発動したのだ。


 さあて、真田様の要望では、真っ先に仕留めて欲しいのは、チーム毛利のバックアッパーの魔導士だったっすね……。

 秀実は心中に呟きながら、口羽くちば通善みちよしへと足を向ける。口羽は、杖を掲げた状態で固まっていた。魔法障壁を発動する直前だったようだ。

 道中、やはり、空中にはいくつもの弾丸が浮かんでいる。発砲したのはチーム毛利の吉川きっかわ元子もとことかいうシャングリラ能力者だ。秀実は、空中で静止している弾丸を、一つ一つ、指先で弾きながら移動する。

 だが──。

 秀実は舞台の中程で、ピタリと足を止めた。


 やっぱり、仕掛けが施されていたっすね。毛利もうり元成もとなるさん、大した切れ者っす……。

 と、秀実は足を上げる。すると、つま先が、床から離れない。力いっぱい引っこ抜くと、ベリッと、つま先の靴底が剥がれた。


 口羽くちば通善みちよしの眼前一帯に、大量の接着剤が塗ってあったのである。不用意に速足で進んでいたら、接着剤に捕まっていただろう。最悪、転んで身動きが出来ない状態で、時間停止を解除する羽目になったかもしれない。

 これはつまり、一つの結論を指し示していた。


 毛利もうり元成もとなるは、秀実の真の能力に感付いている──。


 確信はないが、その可能性は十分にあった。

 そこで、秀実は舞台を降り、回り込む事にした。でも、その足取りはかなり慎重な物だった。


 もし、自分が毛利さんだったら、そして自分の能力に感付いているとしたら、この辺りにも仕掛けを施しておくっす。例えば……。

 秀実の足が、予想通りの違和感を探り当てる。地面に、異様に柔らかく、ぶよぶよしている箇所があったのだ。

 落とし穴。やっぱりあったすね。二重トラップとは用意周到っす。これは、余程丁寧に偽装工作をしないと能力を確信されちゃうっすね。


 秀実は落とし穴を迂回して、やっと、口羽くちば通善みちよしへと辿り着いた。そして、その胸目掛けて【豊臣のハンマー】を振り下ろす。

 どかり、どかりと十三回、口羽を殴りつけておいた。


 続いて、アタッカーの吉川きっかわ元子もとこが視界に入る。本来なら、防御力が低いシャングリラ能力者は真っ先に仕留めたいところだが……やめておく事にした。

 実は、秀実は以前、吉川元子から決闘を挑まれて、嫌々対戦した事がある。その時、秀実は時間停止能力を使って吉川元子を仕留めた。筈だったのだが、吉川元子の能力は【身代わり】である。攻撃を叩き込んで、勝利を確信して時間停止を解除した瞬間に、吉川元子の身代わり人形が砕け散って、間髪を入れず反撃されて負けてしまったのである。


 だが、仕留められないから何もしない。と、いう事ではない。

 秀実はハンマーを振りかぶり、思いきり、吉川元子の突撃銃の先端を、二回、殴り上げた。

 これで、時間停止を解除した瞬間に銃口が上に曲がり、銃その物が使い物にならなくなるだろう。吉川元子を仕留めるのは、光と幸人に任せれば良い。


 毛利元成さん。あんたさんの敗因は、策士が誰か見誤った事っす。チーム明智には、二人の策士がいるっすよ。一人は真田様。もう一人は自分っす。自分を馬鹿と侮った毛利さんの負けっす。ところで、流石に息がヤバいっす……!

 秀実は、勝ち誇る間もなく舞台を降り、小走りで自陣へと戻る。そして、衝撃波の構えを作り、息を吐き出した。


 ──時が動き出す!

 ドン! と、音を響かせて、魔導士の口羽くちば通善みちよしが吹き飛んだ。口羽は観客席の壁に激突して、パアッ。と、光の粒子へと変わり、消滅する。

 吉川元子も銃に衝撃を受けて、大きく仰け反った。突撃銃の銃口は上方へとひしゃげ、もう使い物にならない。つまり、これで吉川元子も戦力にはならない──。


 バンッ!


 ふいに、銃声が響き渡る。次の瞬間、秀実が膝を折り、崩れ落ちる。

 どう、して……。

 秀実は朧げな意識のまま、自らの胸に触れる。胸からは大量に出血していた。一拍遅れて、激痛が襲って来る。途切れそうな視線が捉えたのは、拳銃を構えた吉川元子の姿だった。

 そう。

 吉川元子は突撃銃アサルトライフルが駄目になると同時に、すぐに拳銃を引き抜いて秀実を狙い撃ったのだ。


 ──この迷いのない反応は、自分の本当の能力を知っていて、更に行動を想定していなければ出来ないっす。毛利さん、ここまで読み切っていたっすか……流石、っす……。

 そんな思考が過ると同時、秀実の肉体が光の粒子へと変わり、砕け散った。


「秀実!」

「秀実ちゃん! うわあああ!」


 幸人と光が叫ぶ。光はもう、大量の水を呼び出して、毛利へと攻撃を放っていた。

 キュン。と、音が鳴り響き、水の剣が毛利を襲う。だが毛利の目の前に、小早川こばやかわ明秀あきひでが踊り出す。

 グン。と、大盾が巨大化し、水の剣を受け止める。盾に少々亀裂が入ったが、亀裂は、じわじわと塞がってしまった。


「あの盾、自己修復能力があるのね……」


 呟いた光に、吉川きっかわ元子もとこの銃弾が襲い掛かる。だが……。

 バチリ。と、火花が散る。光を襲った弾丸は、幸人の、緋碧の魚の盾によって防がれた。


「へえ。真田幸人が攻めず、守りに徹するとはね」

 小早川こばやかわ明秀あきひでが呟いた。


 こうして、チーム明智とチーム毛利とは、膠着状態に陥った。

 光が水の剣を放ちまくる。が、その攻撃は、小早川明秀の大盾に防がれる。盾にはどんどん亀裂が入り、あと少しで押し切れそうではあるが……一○秒以内に破壊するのは難しそうだ。

 一方で、チーム毛利の吉川元子はひかりとせんりを狙い、二丁拳銃を打ちまくる。その攻撃もまた、幸人が緋碧の魚の盾で防ぎ続けている。


 そして……。


「天に星あり地に陣列あり。風のことわりは次元の境界を揺るがしたり。那由他なゆたの時空を超えて聴け。毛利もうり元成もとなるの名において命じる。盟約の鎖もて領界の狭間より力を示せ! 吹き渡る気高き風の精霊よ。たがを外して荒れ狂い、眼前の敵を駆逐せよ。エアーカッター!」


 遂に、毛利が魔法の詠唱を完了する。


「今だ、僕の傍へ!」

 幸人が叫ぶ。


 光と、せんりが幸人に身を寄せて、幸人は二人をぐっと抱きしめる。そこへ、ランクSエアーカッターの凶風が押し寄せる!


 ビュゴオオオッ! ドゴゴゴゴゴ! ドドオオオン!

 凄まじい轟音を上げ、猛烈な衝撃風が吹き荒れる。そこにあった何もかもが凶風に巻かれ、切り刻まれ、分子レベルにまで細切れにされてゆく。大量の埃が舞い、チーム明智の姿は見当たらなくなる。


 観客たちは、目の前の壮絶な光景を、ただ、固唾を飲んで見守っていた。

 やがて超暴風が治まって、じわじわと埃が晴れる。


 舞台の半分が綺麗に消し飛んで、コンクリートの床も、深くえぐれていた。そこに、人影は一つもなかった。

 その様子に、進行役の寧々ねねちゃんが目を凝らす。


「……信じられない程凄まじい魔法攻撃でした。チーム明智の姿が見当たりません。よってこの勝負、チーム毛利のしょう──」


 言いかけて、寧々ちゃんは言葉を止める。

 その視線の先、客席の壁には、何か、丸い物体が突き刺さっていた。球体の大きさは直径七〇センチ程。それは、チーム明智サイドの観客席の壁に、深々と埋まっている。


「まさか……」


 寧々ちゃが呟く。球体は、ぐぐぐ。と、形を変え、小さな魚へと姿を変える。魚は、身体の半分がオレンジ色、もう半分は緑色……緋碧の魚だった。


「凄い魔法だね……」

 言いながら、壁の穴から人が這い出して来る。真田幸人だ。会場の誰もが、言葉を失っていた。


「信じられない。私は効果範囲こそ限定したが、魔法の威力は落とさなかった。ランクSエアーカッター五回の直撃を受けて生きているとは……もしやその魚の特性は【無敵】と、いう事か?」

 毛利が、驚きと共に吐き出した。


「さあね。そこらへんは秘密って事にしておくよ……」

 幸人は言いながら、基幹棒きかんぼうボクサツ君を探す。魔法の棒は、近くの、観客席の壁に突き刺さっていた。幸人は手を伸ばし、力一杯引っこ抜く。


「ふふ。大した防御力だ。だが真田。どうやら、仲間までは守り切れなかったようだな。降参を勧めるよ。それとも、真田一人だけで、私たち三人を相手に戦ってみるか?」


 毛利の言葉を受けながら、幸人は、ペットボトルを取り出して、中の水ををコンクリートの床にどぼどぼ零す。

 何かする気か──。

 毛利は直感して、傍らの、吉川きっかわ元子もとこに目配せする。すると元子は咄嗟に拳銃を構え、幸人へと銃弾を放つ。

 幸人は緋碧の魚を盾に変形させて、銃弾を弾く。


「仕方がない。では、我々三人で三方向から同時攻撃を仕掛ける事にする。真田。それでも我々に勝てるかな?」

「もう遅いよ」


 やっと、幸人が言い返す。次の瞬間、幸人の足元の水溜りから、にょっきりと、池田せんりが姿を現した。

 実は、幸人はエアーカッターを受けるに当たり、光とせんりを紋章の中にして、自分は緋碧の魚で身を守ったのである。魚は、形状を変えてどんなに大きくしても、直径七十センチ程度の球に変えるのが精いっぱいだった。だから、この戦法は苦肉の策だった。


「天に星あり地に陣列あり。大地のことわりは次元の境界を揺るがしたり。那由他なゆたの時空を超えて聴け。池田せんりの名において命じる。盟約の鎖もて領界の狭間より力を示せ! 古く賢き土の精霊よ、我が求めに答え、ここに姿を現したまえ。アースサーバント!」


 せんりの魔法詠唱が完了する。次の瞬間、せんりの傍らに、とんがり帽子の土の精霊が姿を現した。

 どし。と、精霊は地面に両手を当てる。すると、途端に、チーム毛利が居る辺り一帯が沼状へと変質する。チーム毛利の三人は、ずぶりと、沼に足を取られ、身動きが出来なくなる。それは以前、せんりがチーム上杉戦で発生させた沼よりも、かなり広く、深い沼だった。


「馬鹿……な。池田せんりのアースサーバントはランクDだった筈。これは、効果範囲が広すぎるだろう……!」

 毛利が困惑の声を上げる。


「いいえ。私のアースサーバントのランクはCです。昨日、迷宮ダンジョンでランクが上がったんですよね……」


 せんりが言い返した時、チーム毛利の三人は、もう、首まで沼に沈んでいた。足掻けば足掻く程、為す術もなく身体が沈んでゆく……。

 底なし沼だったのだ。

 水鏡から、にゅっと、明智光も姿を現す。光は、水溜りから這い出すと、色白の手を上に向ける。その上空には、どんどん水が集まって来る。


「毛利君。君の敗因は、守りに徹した事だよ。今回の試合に限っては、君たちは全員で攻めるべきだった」

 幸人が言った時には、チーム毛利はもう、完全に沼に沈んでしまっていた。


「このまま窒息を待つのが一番確実だけど、それじゃ苦しいでしょうね……」


 光が呟いて、つい、と、指先を沼に向ける。

 キュン。キュン! キュキュキュキュン!

 水の剣が、連続して沼底へと放たれる。次の瞬間、沼から、ぽおっと、光の粒子が三つ立ち上った。チーム毛利の三人を撃破したのだ。


「……勝負あり。準決勝は、チーム明智の勝利。まさかの、大逆転勝利です!」


 寧々ちゃんが、試合の終了を告げる。会場には、困惑交じりのどよめきが起こった……。



 ★ ★ ★



 すっと、幸人は目を開ける。

 そこは、ブリーフィングルームだった。試合を終えて、一旦、本体へと魂を戻したのである。


「やったね、幸人!」


 光が、幸人の肩をぺちぺち叩く。せんりも、ふっと目を開けて、幸人に笑顔を向ける。幸人は二人に微笑を返しながら、違和感を感じて自分のベルトに触れてみる。すると、先程、分霊をした時よりも、ベルトがゆるくなっていた。少しだけ、ズボンが下がっているような気もする。

 何故だ……?

 幸人は不思議に思いながら、視線を部屋の隅にやる。すると、秀実が、咄嗟に視線を逸らして背を向けた。


「……秀実?」

 幸人は秀実に声をかける。


「な、なんすか?」

「なんか、ベルトが緩くなってるんだけど……何かした?」

「い、いえ。何も。気のせいっすよ」

「じゃあ、どうして目を逸らすのかな?」

「あ、これはその、ちょっと、先に一人で脱落しちゃったっすから、合わせる顔がないというか……」

「ふうん」


 幸人はソファーから腰を上げ、秀実を壁に押し付けて、顎をくいッとやって眼を覗き込む。


「何を、見たのかな?」

「な、ナニも見てないっす」

「正直に言ってごらん?」

「ご、ごめんなさいっす……」


 秀実は顔を真っ赤にして、じわりと、視線を逸らした。




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