第54話 緋碧の魚 下
ブン。と、水の棒が唸り、岩を粉砕する。
お陰で、織田は窮地を脱した。織田は岩の下敷きになった足を引っ張り抜いて、ミノタウロスへと踏み込む。
断!
ミノタウロスは真っ二つに両断されて、ズシリ。と、崩れ落ちる。が、ものの一◯秒も経たない内に、ズグズグ、と、その巨体が再生を開始する。
「本当に面倒な奴だ……」
織田が眉をしかめる。
「織田君のファイアーボールで消し飛ばせないのかな?」
幸人は涼し気に言う。
「それならとっくに試したさ。五、六回、木っ端微塵にしてやったが、それでもすぐに再生が始まる。どうやら、指の一本でも残したら、そこから完全に再生してしまうらしい」
「成程。本当に面倒な敵だね……」
「ふん。真田、余裕綽々で戻ったからには、何か勝算があるのだろう?」
「勝算、か。どうだろう。ここから先は、僕にも、もうどうなるか分からないんだ。危険を感じたら迷わず逃げて欲しい」
「この俺に逃げろだと? ふざけるな」
幸人は織田と言い合って、ずい。と、ミノタウロスへと踏み込んだ。その眼前で、ミノタウルスが再生を完了し、ゆらりと、立ち上がる。その巨大な体躯へと、幸人はぐっと手を伸ばす。
ピタリと、魚が動きを止める。
以前試した時は、どう頑張っても魚を腕輪に戻す事が出来なかった。でも、今できなければ、世界は壊れてしまうだろう。だったら、やるしかないんだ……!
幸人は内心叫び、雄叫びを上げる。
「うおおおおおおおおっ!」
渾身の気合に感応し、魚が、激流に逆らうようにして、腕輪へと近づいて来る。
一方、ミノタウロスの口元に、眩い光が収束する。
「あのミノタウロス、やはり奥の手を隠していたか」
と、織田が身構える。そしてミノタウロスは一瞬の溜めの後、口から、破壊の息を吐き出した。
ドオッ! と、岩を砕きながら、破壊の息が迫る。
織田が、ぐっと踏み出して、幸人の目の前に大きな炎の壁を出現させる。そこに、破壊の息がぶち当たり、どおおん! と、音が上がる。【ファイアウォール】が、幸人を守ったのだ。
「見せてみろ。真田! この俺を失望させるな。お前が俺とやり合うにふさわしい男なら、今ここで、証明して見せろ!」
織田が不敵に笑い、叫ぶ。
そして、ファイアーウォールが解除される。
織田と幸人、二人の眼前には、もう、ミノタウロスの巨体が迫っていた。血錆色の大戦斧が唸りを上げ、高々と振り上げられる。
「うおおおおっ! 僕は未来を諦めない。未来を光で照らすんだあああっ!」
幸人は最後の気合を発し、魚を呼び寄せる。そして魚が輝きながら、腕輪へと飛び込んだ。すると、腕輪の花の意匠に、魚の衣裳が加わって、紅い光が溢れ出す。
その瞬間、ピタリと、全ての音が消えた。そして……。
ドン! と、幸人の身体から湯気が上がる。
『これからする話は、とても大切な話でしゅ。決して、誰にも知られちゃ駄目でしゅよ?』
幸人の脳裏に、
★ ★ ★
それは、幸人が腕輪を取り戻してカレンと話した時の事だ。
「これからする話は、とても大切な話でしゅ。決して、誰にも知られちゃ駄目でしゅよ?」
「ああ……」
呟く幸人の耳元に、カレンは口を寄せる。
「前に幸人しゃまはカレンに聞いたでしゅね。幸人しゃまがシャングリラ帰還者か、ナーロッパ帰りかを。カレンはそれに『どっちでもない』って答えたでしゅ」
「うん。そうだったね。じゃあ、僕がいた世界の名はなんていうのかな?」
「……ハイ・ブラシルでしゅ」
「ハイ・ブラシル? 何処かで聞いた事があるような……」
「大昔から、妖精界と呼ばれている場所でしゅ。こっちの世界の伝承にも残っていましゅから、今でも、少しは知られているかもしれないでしゅね」
「そう。ハイ・ブラシルね。その世界の事、どうして知られてはいけないのかな?」
「人間が行き来できる世界だからでしゅ。新しい世界の存在を知った時、それが、大きな可能性に満ちた魔法の世界であると知った時、人間はどうしましゅか?」
「……成程。侵略戦争が始まってしまうね」
「はいでしゅ。ハイ・ブラシルは人間の夢と希望の想念が生み出した世界でしゅ。ナーロッパよりもずっとずっと古い、夢のような世界。そこには、ナーロッパよりももっと根源的な、人間の祈りや願いがぎっしり詰まっているのでしゅ……」
「それが、僕の本当の能力と、どう関係あるのかな?」
幸人は問う。すると妖精はくるりと背を向けて、小さく肩を震わせる。
「魔法は、人の願いをかなえる為にあるんでしゅ。大昔から、人間は様々な事を願ってきたでしゅ。美味しいご飯を食べたい。空を飛びたい。成功したい。誰かに愛されたい。病気を癒したい。遠くの人とお話したい。長生きしたい……。それが人間の原始的な願いでしゅ。それを欲する想念が生み出したのだから、ハイ・ブラシルには空を飛んだり食べ物を出す魔法だってありましゅ。でも……」
「でも?」
「人間の全ての願いの根本。一番根源的な最も強い願いは、大切な人と一緒に居たい。と、いう気持ちでしゅ。そしてハイ・ブラシル最高の勇者である幸人しゃまには、それを象徴する力が宿ったのでしゅ。だから願ってくだしゃい。幸人しゃまの力は、愛する人と一緒にいる為の力。引き寄せる力なんでしゅ──」
★ ★ ★
大戦斧が迫る。それはまさに、幸人へと降り降ろされた!
幸人には、全てがスローモーションに映っていた。ゆるりと落ちて来る大戦斧を、一歩、身体をずらして交わす。
ドオン! と、音を立て、大戦斧が地面に突き刺さる。その隙を突き、幸人はゆるりと前進する。
とん。と、棒で突くと、ミノタウロスの背中がパァン。と、爆ぜる。その巨体は、棒で突かれた衝撃で、三〇メートル程もすっ飛んでいった。
そうか。緋碧の魚は、僕の本当の力。それが戻ったのだから、集中力や身体能力も向上しているのか──。
幸人は理解して、腕を前方へと突き出した。その瞬間……。
ぼう。と、眼前に、黒くて小さな球体が現れる。
球体が現れると同時、数万といる全てのモンスターが、どし。と、地面に突っ伏して、動かなくなる。モンスターの足元には亀裂が入り、地面が凹んで行く。そしてモンスターの身体が崩れ始めた。
何千、何万という魔物たちが、次々と自重で潰れ、自壊してゆく。
「まさか、重力を操っているのか……?」
織田の眼に、初めて戦慄が浮かぶ。
それを尻目に、幸人はぐっと、拳を握る。その瞬間、倒れていたミノタウルスがすっ飛んできて、びちっ。と、黒い球体にぶち当たる。ミノタウロスの巨体は、まるで球体に吸い込まれるようにして、ぎゅぎゅ。と、潰れ、消滅してしまった。
プツリと、球体が消える。
後には、長い静寂だけが残された。
するりと、腕輪から
「重力、否、万有引力を操る力か。そしてさっきの黒いのは、極小のブラックホール。だな?」
織田の問いかけに答えず、幸人は踵を返す。その目の前には、クエスト管理局のドローンが浮かんでいる。
怒りを孕む棒が唸り、ドカリ。と、ドローンを破壊する。
「これから織田君と、そっちにお邪魔するよ。どんな言い訳をするか、今の内に考えておくんだね……」
幸人は、残ったもう一つのドローンを睨みつけて言う。
「クエストノ達成ヲ確認シマシタ。間モナク復元能力者ガソチラヘ到着シマス。煉獄門ノ復元ヲ確認シタラ、大壁ノ受付ヘ報告ニ向カッテクダサイ……」
ドローンから、無機質な声が響き渡った。
★
幸人の怒りが冷める前に、頭上に、パアッ。と、光る物体が現れた。
それはふわりと舞い降りて、幸人の肩にかかる。舞い降りたのは、繊細な色調の
ブン。と、幸人の目の前にパネルのような物が現れて、文字が表示される。
◇
効果
装備者の物理耐性を倍に上昇させる。火、風、精神系魔法耐性も上昇。
◇
説明を読み終わると、パネルは、ブン。と、消えてしまった。
「……これはなんだろう?」
幸人はポツリと呟く。
「ミノタウロスの討伐報酬だな。ここでは何故か、ナーロッパみたいにクエスト報酬が貰えたり、レベルやパラメーターが上昇したりするんだよ」
答えたのは、斎藤道三だった。
「それはつまり、このダンジョンは、ナーロッパの一部。って事なのかな?」
「さあな。一つ言えるのは、ここは常識から外れた場所だ。って事だ。何が起こってもおかしくはない。さっきのクソ強いミノタウロスや、無限に湧き出すモンスターの大群みたいにな」
「ふうん。全く、ろくでもない場所だね、ここは」
「そうでもないさ。真田。幻想世界へようこそ」
格好をつけて言う斎藤の背を、凪子先生がパアン。と、はたく。
「痛っ。何するんだよ先生」斎藤は抗議する。
「私がちょっと気を失っている間に、何故かブラが見当たらんのだが? 斎藤、犯人はお前だな?」
「あ。えっと、それは……」
「お前だな……?」
凪子先生は、斎藤にぐっと顔を寄せ、睨みを利かせる。斎藤は圧力に負けて目を逸らす。そして……。
何故か、斎藤は凪子先生の足元で、仰向けに寝そべって、ハアハアと、陰鬱な吐息を漏らす。それはまるで、犬や猫が降参を示す時のような恰好である。
「どうぞ踏んで下さい……」
斎藤は、顔を上気させて言う。
凪子先生は、斎藤の腹を、無言でドシ。と、踏みつけた。
斎藤をぐりぐりやっている凪子先生の顔の横に、ブン。と、再び、パネルのような物が現れる。パネルは、その場にいるナーロッパ能力者全員の横に現れた。
「レベルが二つ上がりました。各、パラメータが上昇。及び【槍、棒、長刀術】スキルのランクがBに上昇しました」
パネルは告げ、消える。
どうやら、凪子先生はレベルが上がり、パラメータが上昇。更には、戦闘スキルのランクが一つ上昇したらしい。
「なんだよ。レベルとパラメータが上がっただけかよ。」
踏まれながら、斎藤が愚痴っている。
幸人が振り向くと、
つまり、この
考えを巡らせる幸人の視界の隅で、光が上体を起こす。
「あ、光。まだ横になってなよ」
幸人は駆け寄って、光の肩を抱く。
見たところ、光はかなりの重症だった。きっと、仲間たちを守る為に相当な無茶をしたのだろう。
幸人が不安を浮かべる一方、光は、すっと、迷宮の入り口方向を指差した。幸人が目で追うと、暗がりの向こうから、微かに人の気配がする。
幸人は警戒を露に棒に手を伸ばす。が……。
「ごっめえええん。みんな、遅くなっちゃったあ。てへっ」
明るい声が響き渡る。
暗がりから姿を姿を現したのは、チーム対抗戦で進行役を務めていた女の子だった。名は確か、
幸人はじわりと警戒を解く。
寧々ちゃんは、二人の冒険者を連れていた。
一人は
「もしかすると、ドローンが言ってた復元能力者って?」
幸人が問う。
「そ。私だよおっ。すぐに煉獄門を復元するから、ちょっと待っててねえっ!」
寧々ちゃんは答えて、煉獄門があった位置へと駆けていった。
幸人は色々と腑に落ちた。チーム対抗戦では試合の度に舞台が破損したり粉々になったりしていたが、破壊される度に、寧々ちゃんが超能力で修復していたのか。滅茶苦茶やってなんかごめんなさい……。
なんて考えながら、幸人は
「きゃ。大変。みんな重症じゃないですか。すぐに回復する必要があるのですっ!」
寧々ちゃんの連れの、聖職者のいでたちの少女が言った。
少女は杖を掲げ、早速、呪文の詠唱を開始する。
「天に星あり地に陣列あり。光の
呪文の詠唱が完了し、杖が光を放つ。冒険者たちは暖かな光に包まれて、じわじわと、傷が回復し始めた。
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