第45話 月の花 下




 ★


 浅井長代との一件が解決した。

 幸人たちは、家理亜いりあの部屋を後にして、それぞれの部屋へと戻ってゆく。

 去りかけた幸人の服を、松永まつなが久枝ひさえが引っ張った。


「えっと、何かな? もう用は済んだから、松永さんも帰っても良いんだよ?」

「か、帰れるわけないでしょ」

「どうして?」

「わ、私はもう、百足会の裏切者って扱いになってるわよ。それに、徳川家理亜の誘拐に加担したから、織田信秋からも狙われてる。ど、どうしてくれるのよっ!」

「そんな事言われてもなあ。どうしたら良いのさ?」

「か、かくまって」

「え?」

「暫く匿ってよ……」


 久枝ひさえに言われ、幸人は思案する。

 まさか、久枝を幸人の部屋に泊める訳にはいかない。健全、不健全以前に、カレンが怒り狂うだろう。かといって、せんりも秀実も、久枝ひさえには良い印象を持っていない。当然だ。せんりは久枝から虐められて、髪の毛を切り落とされそうになったのだから。光もせんりの護衛の為に同じ部屋で寝起きしているから、やはり、久枝を連れて行く訳にはいかない。


「仕方がないな」


 幸人は久枝に紋章をかざす。


「おでこくっつけて」


 幸人が言う。久枝は金髪の前髪をどけて、おでこを幸人の紋章にくっつける。その瞬間、久枝の身体が、ぽおっ。と、光の粒子へと変わり、紋章へと吸い込まれた。


 ★


 松永久枝は、眩い光を感じて目を開ける。


 そこは、見渡す限り、白い砂が広がる空間だった。

 空間。否、世界と言うべきか。広い。あまりにも広すぎる……。砂はどこまでも広がっており、山や川、海のような物は見当たらない。月も太陽もないのに空は青く、雲一つなかった。


 近くには大きな絨毯が敷かれており、ベッドとちゃぶ台、冷蔵庫と戸棚が置かれている。テレビも置かれており、ゲームとか漫画なんかも散乱している。棚には、お菓子や飲み物が、これでもかと詰め込まれていた。

 少し離れた場所には太陽光発電パネルが置かれていた。多分、これでテレビや冷蔵庫の電力を賄っているのだろう。しかも、空の一部には外の様子が映し出されている。どうやら、幸人の紋章を通じて、外の様子が解るようになっているらしい。

 異空間は、久枝が引き籠るにはこれ以上ない楽園だった。


「ふっふっふ。よく来たでしゅね」


 久枝ひさえが振り向くと、ベッドから、小柄な美少女カレンが飛び出した。


「なにあんた? か、可愛いわね……」

「ふん。誰に口を利いてるでしゅか? ここでは、カレンちゃんが先輩なのでしゅよ。これからここのルールを教えるから、よおく、耳をかっぽじるでしゅ!」


 カレンは得意気に言って、手にしたクッキーを齧った。



 ★ ★ ★



 翌朝、チーム明智は闘技場を訪れた。


「何も、皆まで付いて来る事は無かったのに」

 幸人はポツリと言う。


「また、一人でなんでもしようとして。前に幸人が本願寺と戦ったって聞いた時、秀実ちゃんがどんな顔をしたか分かる?」

「あ。ズルいっす。光さんだって、半泣きで狼狽えてたじゃないっすか」

「ちょ、秀実ちゃん? な、泣いてないもん」

「嘘っす。凄く慌ててたっすう」


 と、光と秀実がじゃれ合う。一方、せんりは少し浮かない顔をしている。余程、百足会が嫌いなのだろう。才華さいかも、ずっと黙っている。才華の場合は、単にチームに打ち解けていないのだろう。たまに光や秀実から何か話しかけられても「うん」とか「え、ええ。そうなの」と、短い返事をして、苦笑いを返す事しか出来ないでいる。


 言葉を交わしながら歩く幸人たちからは、小高い丘が見える。丘にそびえる白灯台は、前日に織田信秋がぶった斬った筈なのだが、何故か、朝には切られる前の完全な姿を取り戻していた。

 どうせ、島の誰かが個別クエストを受けて超能力で復元したのだろう。

 明智光はぼんやり考えながら、幸人の背を見やる。幸人は華奢な背に紅い打掛うちかけを纏っており、長い裾が風に揺れている。戦いに臨む時、幸人はいつもその打掛を身につけていた。


 幸人たちが舞台に辿り着くと、そこには既に、決闘管理委員の武田の姿があった。客席には、百足会と思しき、ガラの悪い連中の姿もある。

 ちなみに、舞台は完全な姿へと戻っていた。昨日、織田やせんりがあれ程破壊しまくったのに、次の試合では、舞台はいつも元通りの姿に戻っている。これも何者かが魔法か超能力で復元しているのだろう。

 思考を巡らせる幸人たちの背に、背後から声がかかる。


「早かったわね……」


 岩成いわなり友子ともこが、舞台へと上がって来た。


「ああ。岩成さんこそ約束通り、腕輪を持ってきてくれたかな?」


 幸人が返事を返すと、岩成友子は微笑して、懐から、腕輪を取り出した。

 あれが、月の花の腕輪か……。

 それは、まるで硝子細工のように透明感があり、薄紅い腕輪だった。繊細な花の装飾が施されており、芸術品としても、それなりの価値がありそうだ。

 幸人は腕輪を確認すると、こくりと、管理委員の武田に頷いた。


「では、準備が済み次第、決闘を開始する。双方、分霊を終えて魔法契約書にサインしておくように」


 武田が言い、幸人は分霊を開始した。



 ★



 一分後、幸人は分霊を終え、化身アバターへと、魂を移した。そして魔法契約書へのサインを終えて舞台へと上がる。すると、百足会サイドからは、見覚えがある生徒が、舞台へと上がって来た。


「よう。昨日はよくも舐めた真似してくれやがったな」


 対戦相手が不敵な笑みを浮かべる。それは三好みよし宗院そういんだった。

 宗院そういん三好みよし長安ながやすの双子の弟で、三好三人衆の一人だ。確か、シャングリラ能力者で、能力は『身体強化』だった筈。岩成友子は三好宗院を僕の対戦相手に選んだのか……。

 幸人は理解して、舞台のスタート位置に付く。そして口上を述べて、開始の合図を待つ。宗院の兄の姿が見当たらないが、それについては深く考えている余裕がなかった。


「幸人、頑張って!」

「頑張るっす真田様! 応援するっす!」

「真田さ……くん、頑張るの!」


 客席からは、光と秀実と才華の声援がする。

 一方、三好宗院も位置に着き、幸人を見据えている。幸人も宗院も、素手で舞台へと上がっていた。

 幸人と宗院は睨み合い、静かに、試合開始の合図を待つ。やがて、闘技場は静まり返り、強い緊張感で満たされる。


「では尋常に、試合開始!」


 武田が試合開始を告げ、幸人ゆきと宗院そういんは踏み出した。


 ふっと、幸人の視界から宗院の姿が消える。

 次の瞬間、宗院は、幸人のすぐ傍らにいた。

 速い。なんてもんじゃない!

 幸人は咄嗟に感応して、宗院の一撃を回避する。宗院の拳は振り抜かれ、舞台に突き刺さる。

 ドッゴオオオンッ! と、轟音を響かせて、舞台が砕ける。

 横っ飛びにかわした幸人は、その光景を見て、思わず呼吸を止める。

 舞台が深くえぐれ、木っ端微塵に消し飛んで、直径二○メートル程のクレーターが出来ていた。


「避けてんじゃねえ」


 言いながら、宗院は幸人の背後に回り込む。鋭い後ろ回し蹴りが振り抜かれ、幸人はそれも回避する。回避するついでに、ドカリと、顔面にカウンターの拳を叩き込んでやった。

 だが──。

 宗院は攻撃をものともせず、再び、高速で幸人の背後に回り込んでいた。


「砕けろ」


 言いながら、宗院は鋭いアッパーカットを放つ。

 避けられない──。

 幸人は咄嗟に両腕で、攻撃をガードする。その瞬間。ベキリ。と、嫌な音が響き、幸人は高く殴り飛ばされた。

 二階の観客席の壁が、背に迫る。幸人は激突寸前ではねを広げ、急停止する。

 ズキリと、強い痛みが走る。左腕が骨折していた。宗院を殴りつけた拳も、痺れて軋んでいる。


「お前、三三勇士って呼ばれてるんだって? 意外と大した事ないんだな。雑魚だぜ」


 宗院そういんがつまらなそうに幸人を見上げている。実際、宗院の強さは、言葉に見合った物だった。

 唯、速く。

 唯、強く。

 唯々、打たれ強い。

 シャングリラ能力による身体強化というだけの事はある。宗院の頭抜けた怪力には、多分、ナーロッパの筋力強化スキルでさえ及ばないだろう。

 しかし、幸人の内側を満たしていた物は、怒りだった。


 強い。速い。頑丈? それがどうした。そんな奴は、。宗院の能力は『唯、強い』と、いうだけの物に過ぎない。洗練された技を持たず、武術を知らず、戦い方を知らない。宗院は何一つ磨き上げていない。強くて早くて頑丈なだけの素人だ。

 そんな物で、僕に勝てると思っているのか?

 幸人は無意識に思考を巡らして、ふと、自分の違和感に気が付いた。

 ──僕は今、何を考えていた? 何を、思い出しそうになった……?


 幸人はふわりと舞台に下りて、宗院と睨み合う。


「腕が壊れたか?」


 言いながら、宗院そういんが踏み込んだ。そして、目で追えない程速い、右ストレートが繰り出される。

 速さは問題じゃない。兆しに反応出来れば良い……。

 幸人の身体がゆらりと沈む。そしてドシリと踏み込んで、カウンターの掌打を叩き込む。それは宗院の下っ腹に綺麗に炸裂して、宗院の動きがピタリと止まる。宗院の拳は、幸人の頭上で静止している。


 すっと、幸人は宗院から離れ、背を向ける。


「へへ。やるじゃねえか真田。だが、次の攻撃は避けられないぜ。本気を出してやるからな」

「本気? 無理だ。次なんてないよ」

「……あ?」

「宗院君は皮膚や筋肉、骨格は強化できるみたいだけど、生命活動を維持するためには、強化できない臓器も在る筈。そう思って臍下丹田せいかたんでんに最大出力の浸透勁しんとうけいを打ち込んだ。思った通り、気や、浸透勁しんとうけいに対処できる能力ではなかったようだ」

「……あ? 舐めやがって。良い度胸だな」


 宗院が呟く。その瞬間、宗院は、突然血飛沫を吐き出した。


「あ……ぐ。何が。腹が、熱い……!」


 宗院が叫ぶ。直後、その身体が光の粒子へと変わり、パアン。と、粉々に砕け散る。


「度胸じゃない。覚悟があるんだ」


 幸人は言い捨てて、舞台を降りる。


「勝負あり! 勝者、真田幸人」


 闘技場に、武田の声が響き渡った。



 ★ ★ ★



 幸人は試合を終え、化身アバターから、元の肉体へと戻った。やられたのは化身の筈なのに、腕にはまだ、骨折の痛みの残滓が残っている。

 ふと、幸人が百足会の面々に目をやると、岩成いわなり友子ともこが幸人へと歩み寄って来た。


「強いわね。悔しいけど、今回は私の負けよ」


 友子は言いながら、胸元から腕輪を取り出した。こうして、幸人はやっと腕輪を受け取った。


 これが【月の花の腕輪】。僕が失った切り札の一つか……。

 幸人は感慨にふけりながら、腕輪を見つめる。だが、よく観察してみても、記憶が蘇る事はなかった。


「とりあえず、着けてみたら?」


 光に促されて、幸人は腕輪を右腕の上腕に嵌めてみる。腕輪はなんだかぷよぷよした感触で、ゴムのような伸縮性を持っていた。未知の材質で作られているのだ。


「どう?」


 興味深そうに、光が言う。


「いや、特に何も……」


 言いかけた幸人の視界の隅を、ふっと、何かが横切った。幸人がそれを目で追うと、そこには、ある筈のない物が浮かんでいた。

 小さな魚だった。

 身体の半分がオレンジ色で、もう半分はみどり色。薄ぼんやりと輝く小さな魚が、幸人の周囲をすばしっこく泳ぎ回っていたのである。



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