第7話 セーラー服と突撃銃 上




 ★ ★ ★



 夕食後、竹美たけみは担任の女教師と言い争っていた。


「だから、外出は許可できないと言ってるでしょう!」

 女教師は叫び、目を吊り上げる。


「でも、修学旅行は明日まででしょう。自衛隊が大規模な避難誘導ひなんゆうどうを開始してる。ここも、明日の朝には出る事になる。チャンスは今しかないんです!」

 竹美は言い返す。


 ドラゴン乱舞事件のせいで、竹美の修学旅行の予定は全て駄目になった。学校はすぐに生徒達を自宅に送り返そうとしたらしいが、通信は乱れ、道路が破壊されて交通機関も麻痺している。空港も、ドラゴンの被害に遭って閉鎖中だ。

 帰ろうにも帰れなかったのだ。

 幸い、学校が予約していたホテルは無事だったので、生徒はホテルに泊まる事が出来た。だが、あの大穴が塞がった訳ではない。経済的に余裕がある生徒の保護者は、わざわざ自動車で東京のホテルまでやって来て、我が子を地元へと連れ帰った。しかし、ホテルにはまだ殆どの生徒が取り残されて、身動きできずにいる。

 戦後初の戒厳令かいげんれいが出され、外出もままならない状況だったのだ。


 竹美は、外出許可を求めたのだが、担任に突っぱねられていたのである。


「兎に角、許可できません!」


 言い放ち、女教師は去る。竹美はその背中を見送って、途方に暮れる。


 竹美が向かおうとしている場所は、代々木体育館だった。そこには箱船に乗っていた人々が集められ、簡易宿泊所として利用しているらしい。幸人ゆきとがいるのだ……。


 ★


 竹美は部屋に戻ると、他の生徒達の目を盗んで荷物をまとめ始めた。


「ね、ねえ竹美ちゃん。何してるの? もしかして……」


 ちいちゃんが、顔を青くして言う。竹美は、ちいちゃんの両手をとり、笑顔を浮かべる。


「ちいちゃん。お願いがあるんだけど。少しの間、先生の事を見張っててくれる? ちょっと注意を引いてくれるだけでいいの」

「む、無理だよ。そんな事したら叱られちゃうよ」

「そう。じゃあ、仕方ないね……」


 竹美は言い、カーテンやベッドのシーツを外して結び合わせる。そうして出来上がったのは、長いロープだった。


「これだけあればどうにかなりそうね」


 竹美はロープの強度を確認し、二階の窓から外へと垂らす。


「た、竹美ちゃん。駄目だよ。危ないよお」


 泣きそうに言うちいちゃんに、竹美は微笑みを返す。


「ちいちゃん。今までありがとう。ちいちゃんは優しいから、きっと、素敵な彼氏が出来るよ」

「そ、そんな事言わないでよ。もう、戻って来ないみたいじゃない。それに、竹美ちゃんは怖くないの? ドラゴンはいなくなったけど、避難誘導が開始されたって事は、また、怖いものが出てきたのかも知れないんだよ。外に出たら、どうなるかわからないんだよ」


 ちいちゃんの言葉を受けて、竹美はちょっぴり寂し気な微笑を浮かべる。


「怖いよ。凄く怖い。怖いに決まってる。でもね、私、あの時幸人とキスしなかった。手も、あまり繋がなかったの。それって、私が臆病だったからなんだ。私ね、この二年で思い知ったの。怖がって立ち止まってたら、チャンスとか、時間とか、大切な物はなくなっちゃうんだ。だから決めたの。私はもう止まらない。絶対に、あの手を掴むまで。凄く怖いけど、ね」

「じゃあ、せめて言い直して。またねって。ちゃんと帰って来るって約束してよ」

「そう。そうだよね。じゃあ……またね」


 言い残し、竹美は窓を越える。その手に、ロープが食い込んで痛む。でも、竹美は手を離さない。そのままロープを伝い、裏庭へと飛び降りた。

 ちいちゃんは、泣きそうな顔で竹美の後ろ姿を見送った。



 ★ ★ ★



 竹美はホテルを脱出すると、地図を手に、一目散に駆けだした。

 ドラゴン被害で基地局がやられ、携帯端末は役に立たない。頼りは地図と方向感覚だけだ。


 街は静かだった。路上には人影もない。たまにパトカーや自衛隊の車両が通る事はあるが、それ以外は閑散としている。遠くでは、まだ数か所煙が上がっている。火災が鎮火しきっていないのだ。


 竹美は地図を見て、現在地を確認する。

 ホテルは新宿駅の西側、そこから走り続けて現在は明治神宮西側の大通りにいる。そして、目的地は代々木体育館だ。

 まだ、だいぶ距離がある。


 竹美は息を切らし、近くの自動販売機で飲み物を買って一休みする事にした。

 暖かいコーヒーを手に、植え込みの陰に腰を下ろす。すると竹美の目の前を、自衛隊の車両が数台、通過する。竹美は慌てて茂みに身を潜め、車両を見送る。車両は近くの路上に停車して、中から続々と、迷彩服姿の自衛官が降りて来た。


「急げ。霧が出て来たぞ。予定より早い!」


 指揮官らしき男が叫ぶ。すると自衛官らはバリケードを設置して、道路を封鎖し始める。全員が、自動小銃で武装していた。自衛官の言葉通り、竹美の周囲にはいつの間にか、薄い霧が立ち込めている。


 ドラゴンはもういないのに。何をしているのだろう? 竹美の胸を不安が過る。自衛官たちが、随分と慌てている感じがしたからだ。

 どうであれ、もうこの道は通れない。少し遠回りになるが、別の道を行くしかなさそうだ……。

 竹美は結論し、そっと植え込みを離れて細い路地へと踏み入った。


 ★


 竹美が暫く路地を行くと、空に銃声が響き渡った。一発や二発じゃない。猛烈な発砲音が鳴り響いている。音の発生源は、先程、自衛官が防衛線を張っていた辺りからだと思われた。


 また、何かとんでも無い事が起こっている……。


 竹美は確信したが、それでも足を止めなかった。どうしてもどうしても、幸人に会いたかったのだ。


幸人ゆきと……」


 呟いて、竹美は再び走り出す。

 その時だ。

 突然、目の前のビルの硝子扉が割れ、中から何人もの人が飛び出してきた。


「きゃああ」

「うわあ。あれはなんだ。一体、何なんだ?」

「来た。来たよっ」


 人々は悲鳴を上げながら、竹美の方へと走って来る。その後を、何か得体の知れない物が数匹、追いかけて来た。


 痩せた子供みたいな身体に緑色の肌。瞳孔の無い真っ白な眼。頭は大きめで、額には小さな角がある。口が裂け、牙が剥き出しになっている。大ぶりの鉈のような物を手にしており、なたは血で染まっている。鉈だけではない。そいつらは、全身が返り血で真っ赤になっていた。

 鬼。否、ゴブリン……なの?

 思考が追い付く前に、竹美の目の前で小さな女の子が転ぶ。隣にいた母親が、咄嗟に覆いかぶさる。そこに、ゴブリンが迫る。

 どうする、どうする……!

 竹美が辺りを見回すと、通り沿いにスポーツ用品店があった。ぐっと恐怖が込み上げて、脚が震え出す。背筋に悪寒が走り、全身が、熱に浮かされたみたいにダルい。怖い、怖い、怖い……。

 でも、それでも見捨てられない!


「うわあああ!」


 竹美は叫び、近くにあった植木鉢を、スポーツ用品店のショーウィンドウに投げつける。ガシャリとガラスが割れ、そこへ竹美は飛び込んで店内を見回す。

 目当ての物はすぐにみつかった。

 竹美は、壁に掛けられていた金属バットを引っ掴み、再び道路へと飛び出した。


「う。やだ。いやだあ。お母さん、お母さん!」


 道路では、子供が悲鳴を上げている。子供には母親が覆いかぶさり、その背中をゴブリンが鉈で切り付けている。


「やめなさいよおおお!」


 叫びながら竹美は突進する。そして思いきりバットを振り抜き、ゴブリンの頭をかっ飛ばす。景気の良い金属音が響き、ゴブリンは殴り飛ばされてアスファルトを転がってゆく。


「ギ。ギャギャギャ。ギイイイ!」


 他のゴブリンが二匹、怒りを露に竹美へと襲い掛かる。竹美は必死にバットを振り回し、応戦する。


「この、このっ!」


 振り回したバットが再び、ゴブリンの頭を掠る。一瞬、バランスを崩したところに踏み込んで、竹美は思い切り振り抜く!

 カキン! と、音がして、二匹目のゴブリンがかっ飛ばされ、植え込みへと突き刺さる。

 残りは一匹……!


「か、かかって来なさいよお!」


 竹美はバットを振り上げて、ゴブリンを威嚇する。だが、ゴブリンは躊躇ちゅうちょなく、竹美へと突っ込んで来た。


「負けるもんか!」

 叫びながら振り抜いた一撃が潜られる。同時に、ドカリと、腿に重い衝撃が走る。ゴブリンが、すれ違いざまに大鉈で切り付けたのだ。


「ぐ。あ……!」


 たまらず、竹美はアスファルトに倒れ伏す。

 見ると、太腿が切られてかなり出血していた。

 取り返しが付かない痛みの予感。やがて、本格的な痛みが押し寄せる。痛みは全身を駆け巡り、眩暈めまいと吐き気も襲って来る。ショック状態だ。

 じわじわと、死の実感が沸き上がる。


 ここで、こんな所で……幸人……。

 途切れそうな意識の中、竹美は愛しい人の顔を思い浮かべる。

 そこへゴブリンが歩み寄り、血まみれの大鉈を振り上げた。



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