竹美編 セーラー服と突撃銃

第4話 異能たちは帰還する。上





 ありふれた進学校の教室で、終了のチャイムがなる。


 一日の授業が終わり、教室には安堵と開放感の声が満ちる。そんな中、大谷おおたに竹美たけみはぼんやりと窓の外を眺めていた。


 外は曇り空だ。少し陰気な感じがする。肌寒いので窓を開けはしないが、それだとなんだか息苦しいな。と、竹美は無意識に感じている。否、息苦しさの発生源は天候ではない。この行き詰った気持ちは、二年前からずっと続いている。真田さなだ幸人ゆきとを失ったあの日から……。


竹美たけみ、竹美ちゃん……」


 ふいに、隣の席から声がかかる。

 そこには地味な女子生徒がいて、竹美に微笑みを向けている。時代遅れのおさげ髪に黒縁眼鏡にそばかす。せっかく可愛らしい顔をしているのに、彼女は何故か、地味な装いを好んだ。


「ちいちゃん……」

 竹美はおさげ髪の少女に言葉を返す。


 ちいちゃんと呼ばれた少女は少し心配そうな顔をしながら、黒板を指差した。

 竹美は促されて前に目を向ける。すると黒板には、日本のいくつかの地名と、正の字が並んでいた。どうやら、いつの間にかホームルームが始まっていたらしい。


 議題は、修学旅行の行先についてだった。行先の候補として、東京が人気を集めているようだ。


「じゃあ、次は大谷さんだね。東京と京都、どっちがいい?」

 学級委員のメガネ男子が、教壇から声をかける。


「どっちでも。皆が東京に行きたがってるなら、私も東京で良い……」

 竹美は投げやりな返事をして、視線を窓の外へと向ける。


 黒板には竹美の一票が記入され、修学旅行の行先は東京に決まった。



 ★



 ホームルームが終わった。

 帰り道、とぼとぼ歩く竹美の後を、おさげ髪の少女が追いかけてきた。


「竹美ちゃん。どうしたの? 今日は特に元気が無いけど……」

 おさげ髪のちいちゃんは、心配気に声をかける。


「昨日ね、また湖に行ったの」

 竹美は、しょんぼりと言う。


「そう……あれから、もう二年なんだね」

「うん」

「忘れられる、訳ないよね」

「うん……」


 呟いて、竹美は項垂れる。


 ちいちゃんは、以前、真田幸人に助けられた事がある。不良からカツカゲされていたところを救われたのだ。その事を恩に感じているのか、ちいちゃんは、いつも竹美の事を気遣ってくれていた。それはとてもありがたい事だと分かってはいるが、竹美はどうしても、心からの笑顔を返してやれずにいた。


「でもね。落ち込んでても、きっと真田君は喜ばないと思うの。だからもし、真田君が戻って来た時に、笑顔で迎えられるように元気を出した方がいいと思うの」

「そう。そう、だよね。ありがと、ちいちゃん……」

「うん。修学旅行、楽しみだね。私と竹美ちゃんは同じ班だから、何処を見に行くか決めないとね」

「うん」


 言い合って、少女たちは通学路を行く。行く手には、雲間を割ってオレンジ色の斜陽が降り注いでいた。



 ★ ★ ★



 二年前、竹美たけみの恋人の真田さなだ幸人ゆきとは、竹美の目の前で消失した。その事件は後に「同時多発人体消失事件」と呼ばれ、世を騒がせる事となった。


 あの日、消失した人間は、真田幸人だけではなかったのだ。


 政府発表によると、不思議な光に包まれて消失した人数は七〇〇〇人以上。これは目撃証言があり、その真偽を政府機関が確認した数字だ。つまり、実際にはもっと多くの人々が、二年前に失踪した事になる。

 事件が何故起こったのか?

 失踪者が何処に行ったのか?

 失踪者たちは生きているのか?

 それを説明できる者は、未だに、一人も現れていない。一部のオカルト好きや自称魔術研究家は「彼らは次元の異なる異界へと行った」。なんて説を吹聴しまくっているが、その真偽を確かめる方法さえも、人々は知らなかった。



 ★ ★ ★



 班決めから、一か月が経過。修学旅行当日となった。

 その日、竹美たけみは飛行機に乗り、東京の羽田空港へと辿り着いた。


「う、ううん……。ずっと座ってたから、肩がこっちゃったよお」


 おさげ髪のちいちゃんが、愚痴りながら伸びをする。その傍らで、竹美は相変わらず浮かない顔をしていた。


 ★


 竹美たちは、空港からは貸きりのバスに乗り、ホテルへと向かった。その道中で、事件は起こった。


「ねえ。竹美ちゃんも食べる?」


 隣の座席のちいちゃんが、竹美にお菓子を勧める。竹美は断ろうかと思ったが、ちいちゃんをガッカリさせたくなかったので、微笑を浮かべてお菓子を受け取った。


 バスの中は、生徒達の浮かれた声で満ちている。

 トランプ遊びに興じるグループに、お喋りを楽しんでいるグループ。携帯ゲーム機で遊んでいるグループに、一人、ヘッドホンで耳を塞ぎ、音楽を聴いている生徒の姿もある。

 ここに、幸人ゆきとがいたらどんなに楽しかったろう……。

 竹美は淋し気な微笑を浮かべたまま、つくづく思う。だが、ない物ねだりをしても仕方がない。幸人が生きているのか死んでいるのかさえも、竹美には分らない。時々、最悪の結末が頭を過る事もある。が、その結末だって、受け入れる覚悟をしなければならない。かもしれない……。


 気が付くと、竹美の目元には涙が滲んでいた。


 やがて、バスは橋へと差し掛かった。

 都心の道路は酷く渋滞していて、バスは、橋の上で暫く立ち往生する事になる。


「進まねえなあ……」

 何処からか、男子生徒の愚痴が聞こえる。直後、


「あ。あれはなに?」

「うわ。何だよあれ!」

「嘘。マジかよ……」


 急に、生徒達が騒ぎ出す。

 竹美たけみは彼らの視線を追って、窓の外へと目を向ける。すると空の彼方に、光の尾を引く物体があった。

 隕石、か?

 それはまるでミサイルみたいに高速でどんどん近づいて、どんどんどんどん大きくなって、次の瞬間……。


 ドオオオォォォオオオンッ! と、音を立て、橋が揺れる。橋だけではない。辺り一面のビルに街灯、あらゆる物が揺れている。

 直後、一拍遅れて衝撃波が襲う。

 バリン、と、バスの窓が一斉に割れ、窓の外にもガラスの雨が降る。周囲のビルの窓が割れ、爆風でガラスが飛び散っているのだ。


「きゃああああ!」


 女子生徒達の悲鳴が上がる。混乱した男子生徒達の声も聞こえる。それを必死で宥めようとする担任の声も……。


 やがて、橋の揺れが収まって煙や埃が晴れ、視界が明らかになる。

 竹美は窓から顔を出し、外の様子に目を凝らす。すると煙に交じり、何か大きな影が上空を横切った。竹美は恐る恐る、目を上へと向ける。すると空には、更に、信じ難い光景があった。


 空を、巨大な何かが飛び回っていたのである。


 光沢のある蝙蝠こうもりのような翼、巨大なトカゲのような体、鉤爪が付いた足……。

 そう。それはドラゴンだった。

 大きい……。

 あくまでも竹美の目測だが、ドラゴンの体長は四〇メートルを超えていると思われた。

 ドラゴンは、バスから見渡せる範囲だけでも十匹はいる。ドラゴンは火炎を吐き、街を、人々を襲っていた。

 高熱でビルの窓ガラスが溶け、次々と建物が倒壊する。人々は悲鳴を上げ、逃げ惑っている。


 これは、一体……こんなのは……地獄だ!


 絶望が、竹美の胸中を満たす。その目前で、逃げ遅れたタクシードライバーが車ごとドラゴンに攫われる。巨大な羽がバサリとはためき、嵐のような風圧がバスを襲う。ドラゴンの羽ばたきだけで、橋の上の自動車は横転し、バスもぐらりと揺れる。


「何が、起こっているの……?」


 ちいちゃんが、恐怖と共に吐き出す。それを尻目に、竹美は窓に足をかけ、バスの外へと飛び降りた。


「だ、駄目だよ竹美ちゃん。危ないよ、死んじゃうよお!」


 ちいちゃんの声を振り切って、竹美は全力で走る。

 何が起こっているのかは分からない。それでも、。竹美には何故か、そんな確信があった。


 ひび割れたアスファルトを飛び越えて、ひっくり返ってひしゃげた自動車を乗り越える。勇気を振り絞り、竹美は風を感じる方へと走る。


 ふいに強風が吹き、一気に視界が晴れる。


 運河にかかる橋からは東京湾が見えた。見渡す限り、ごく薄い霧がかかっている。そして海上には、見た事もない巨大な船が浮かんでいる。貨物船じゃない。軍船でもない。タンカーでも豪華客船でもない。

 それはまるで、箱舟だった。とてもとても大きな、木製の箱舟……。


 ドラゴンの群れは、箱舟の上空を、円を描くように飛びまわっている。やがて、一匹のドラゴンが巨大な炎を吐き出した。それに続き、ドラゴンは次々と箱舟に炎を吐く。眩しくて、箱舟がどうなったのか分からない。


 箱舟を、襲っているのか?


 竹美が感じた次の瞬間、一匹のドラゴンが円陣から外れる。そのドラゴンはゆるりと旋回し、竹美を目掛けて飛んで来た。

 そして竹美は直感する。

 あれは私を狙っている。もう、逃げられない……。



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