二章 家族たちの錯綜

(一)和嘉葉屋


 北の吠釜峠ほえがまとうげから南の白々槍岳しららやりだけまで、ぐるりと山脈に囲まれた一帯からこの港までを領地とする大名様が、何某なにがし殿のご助力を得て遂に十二人からなる鉄砲隊を戦場いくさばに送り出したらしい。


 と、聞かされたところで、こたけには何が何やらわからない。そもそも鉄砲なんてものは見たことがなかった。


 西で謀反があっただの、東の豪族が滅んだだの、他人事のくせに他人事ではいられないのだから厄介この上ない。

 いくさは毎年増える一方である。今年の大晦日は男手が足りないからと、遂に供物番を置かないことを決めたようだ。


 堅魚カツオを吊るす季節はとうに過ぎ、時おり降る雨には、徐々に雪が混じり始めた。人々も町も、どこか騒々しく忙しない。いよいよ年の暮れだ。

 こたけの兄・余四郎が失踪してから八度目の正月がやって来る。


 供物番に女は選ばれないが、女でも供物番を選ぶことはできるようで、こたけも一昨年頃から誰がいいかと聞かれ驚いた。べつに大人や金持ちだけで内密に決める、というものではないらしい。

 昔、このようにして兄も選ばれたのだろうか。と、少々不安な心持ちとなって母に当時のことを尋ねてみると、母は弱々しく白い首を振った。


「本当は、あの年の供物番に選ばれたのは寅吉だけだったんち。けど、あの年の大晦日の朝、気付いたらあの子もいなくなっていたの。大勢で夜更けまで探したけど、結局それきり。二人とも見つからず仕舞いでね」


 母は憂鬱そうに頬へかかる髪をかき上げて、ほうと溜息をついた。

「時々そういうこともあるんだって、ほら、和嘉葉屋わかばやの大旦那様が仰ったの。本来の供物番だった寅吉は、前の年に一度供物番から帰ってきたんに。だから次の年に帳尻合わせがあって、寅吉の他にも一人余計に連れて行かれたんじゃないかって」

「帰って来たの? 供物番に選ばれたのに?」


 こたけは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 大晦日の供物番に選ばれるのは荒くれ者や嘘つき、あるいは働けない役立たずと相場が決まっている。昔は食い扶持減らしの意味合いも濃かったのだろうが、こたけがこの町に住まうようになった頃にはもう、供物番はすなわち町の厄介者を指していた。


 供物番に選ばれた者は、たとえどんな怠け者であっても、なぜか大晦日だけは日の出と共に明王様の祠へ向かい、きちんと供物番としての役目を果たすという。

 そうして任を終えた供物番は、新年の訪れとともに忽然と姿を消してしまうのだ。

 どうしてかはわからない。これまで供物番の役を担った少年たちが、一体何処へ行ってしまったのか、今も生きているのか、それについては誰も知らなかった。


 こたけの兄の余四郎は、よく働き母を助ける真面目な少年であったと聞いている。こたけは寅吉という人のことはあまり覚えていないが、その人と兄とは元々仲の良い友人同士であったらしい。


 和嘉葉屋の若女将は名をはまという。とびきりの美人で頭も良いと誉めそやされるこの浜は、寅吉の実姉であった。

 近所のよしみだと言って、浜はこたけによく店の仕事を手伝わせてくれた。そんな恩のある浜に、面と向かって寅吉のことを聞いたら怒るだろうか、とこたけは少し迷った。とはいえ、こたけの兄がなぜ姿を消してしまったのか、それについて寅吉が全く関係していないとも思えない。


 明くる日、店の奥にある座敷で正月用の貝をせっせと剥いている時、こたけは思い切って寅吉が供物番に選ばれたときのことを浜に聞いてみた。

「ああ、お母上から聞いたのね」

 意外にも浜は表情を変えぬままそう言い、貝の肝を桶で洗いながら、弟である寅吉や供物番のことを話し始めた。



 寅吉は生まれたときから瞳の色が薄かったという。だが、父親もそうだったので、浜たちは気にしていなかった。船乗りだった父には南蛮人の血が混じっていたらしい。

 しかしながら浜たちがそれを気にせず呑気に暮らせたのは、どうやら浜の両親に先見の明があったお陰だったようだ。世の中には南蛮人と見るや問答無用でひっ捕らえる大名もいれば、美術品や鉄砲を売り買いする客として大切に扱う大名もいた。


 余所者か、それとも賓客か。天下泰平とは程遠い世では同じ土地でも立場がころころ変わったが、父母はうまく立ち回っていたようである。


 寅吉は、自分の瞳の色についてまるで無頓着で、他者から指摘されてもよくわかっていない様子だった。生まれつき目が悪く、自分自身で確かめることが困難なのだからそれも当然だろう。

 いつも杖を持って歩いていたのは却って良かった、と浜は振り返る。特に言い訳をせずとも、寅吉の瞳の色が妙なのは盲病やまいのために違いないと、勝手に思われる節があったのだ。

 浜の父もそれに便乗し、この町にやって来た当初は目が悪いふりをしていた。しかしそれも僅かな間で、あるとき「今日からは別々に暮らす」と言って出て行き、それきりだという。


 今思えば、父が蒸発したのはの厚いことで知られる西九飯山にしくいやまの大殿様がたおされた直後であった。


 南蛮人がいるだとか言い掛かりを付けられて、いつか家に火でも付けられはしないかと、寅吉と共に残された母親は気が気でなかったはずである。


 既に嫁に出たとはいえ、寅吉の血縁とわかれば上の娘たちもどんな目に遭うかわかったものではない。母の不安は年月を経るにつれ膨れ上がった。

 そうして独りで悩んだ挙げ句に耐えきれなくなったのか、遂に自ら息子の寅吉を供物番にと申し出た。

 目が悪い寅吉が、この先どれほどの稼ぎ人になれるだろう。女手一つで大きな息子の面倒を見るのは骨が折れよう、と、母からの申し出を訝しむ者はいなかったようである。あるいは、いつか戦場へ駆り出されて真っ先に殺されてしまうよりは、供物番にしてやった方がいくらか良い、という風潮もあった。


 寅吉が実の母により供物番に差し出された冬。それはちょうど、こたけが家族とともに流れ着いたこの町で、初めて迎える年の瀬であった。

 寅吉はその年の大晦日の朝、誰もよりも早く起きて布団を片付けると、日の出とともに家を出て行ったらしい。母と浜は信じられない思いでそれを見送り、どこかぼんやりとしたまま一日を過ごしたそうだ。


「その日のことはよく覚えていないのよ。だって私たち、弟を殺したようなものなのじゃない。なのに誰からも責められないし、弟も本当に普段通りの顔をして出て行ってしまったの。なんだか夢みたいで、母様も私も日がな一日ぼうっとしてしていたわ。でも年が明けて朝になったら、やっぱりいつも通りの顔をして、ひょっこり弟は帰って来たわ。その年は他にも二人の供物番がいたの。なのに、寅吉だけが帰って来たのよ」


 他の二人はどうしたのかといくら聞いても、寅吉はぽかんとして答えなかったという。

 寅吉は二、三日の間、魂を抜かれたようにぼんやりと過ごしていたが、徐々に常の調子を取り戻していったそうだ。ただ、不思議と自分が供物番に選ばれたことはぽっかりと忘れていた。


 少し暖かくなってきた頃のことである。寅吉は遠方に住む姉夫婦から小間使いを頼まれ、珍しく数日の間家を留守にしていた。

 そんな中、浜は買い物をして自宅へ戻る途中、外で板戸を直している余四郎を見かけて声をかけたという。

――まあ、いつもえらいわね。お母上は留守かしら。姉様から綺麗な良い古着を貰ったんだけど、ちょっと半端なの。だからいっそ切ってしまって、たけちゃんにどうかしらって。

 そうして、しばらくは他愛ないことばかり話したが、浜は思い切って余四郎に弟のことを尋ねた。以前と比べて変わりはないか、おかしな話は聞いていないか、と。

 浜は、ひそかに余四郎へ声をかける機をうかがっていた。

 もしも寅吉が、供物番をしに出掛けたあの日に何が起きたかを打ち明けるとしたら、相手はきっとこの余四郎に違いない。そんな目算があった。


「そしたらね、あなたのお兄さんはこう言ったの。供物番とは何ですか、って。まるで何も知らないふうに、きょとんとしてね。それがなんだか寅吉そっくりに見えてね」


 浜は、何でもないと言ってすぐに逃げるようにその場から離れたそうだ。

 そしてその年の最後の日、寅吉は再び供物番に選ばれ、今度こそ姿を消した。だが、どうしてかそれと同時に、供物番ではないはずの余四郎までいなくなってしまったのだ。隣人からそれを聞いた浜は、すぐに明王様の祠を探すよう、町の男連中に言ったそうである。

「だって私には、きっと寅吉と一緒に行ったのだと思えてならなかったのよ。大旦那様の話では、ごく稀にだけど、無関係の人がなぜか供物番と一緒に消えてしまうことって、昔からあったんですって。でも、それでは」


 浜は貝を洗う手を止めると、思案するように黒々としたまつ毛を少し伏せた。

「まるで、ただの神隠しだと思うのだけど。供物番が消えてしまうのと、いったいどう違うのかしらね」















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