その高尚な本にときめきはあるか

 私は人の本棚を見るのが好きだ。テレビなどで後ろに本棚があると凝視するし、通販カタログの本棚に本が入っている状態で写真があろうものなら目を凝らして本のタイトルを探ろうとする。


 一方で、自分の蔵書を見られることは、脳内を見られることと同じにも感じる。すべての蔵書を見られるような機会もないくせに、見栄をはりたくなる。


 漫画好きならこれくらいは押さえておかないと、とか、こういう文学作品は蔵書にあるべき、とか。あるいは、漫画でも小説でも、こういうジャンルも揃えたほうが幅広く網羅している感がある、といった具合だ。


 その本に対する満足ではなく、「本を所有している自分」に満足しているわけである。


 正直、私の部屋が広く、本棚も広く、本を置くスペースにゆとりがあるならば、図書館のようにずらりと本を並べるのもよいだろう。というか、よい。書斎とか、憧れる。しかし残念ながら、そうはいかない。


 それならば本は厳選されねばならず、取捨選択しなければならない。何を手放そうか。


 好きではない本だ。


 私は各出版社の夏の文庫フェアが好きだ。時期になると冊子をもらい、熟考して、読みたい本を探す。この機会に新たな作家の作品や、あるいは限定カバーになった有名作品を手にとるのだ。


 特に限定カバーの文学作品に注目している。毎年変わらないラインナップもあるが、カバーがよいと思わず手に取りたくなるし、気になっていた作品ならなおさらだ。


 しかし、やはり世の中には自分には合わない本というものがあり、どんなにすばらしい文学作品であろうと、どんなに有名なベストセラー小説であろうと、合わないものは合わないのである。


 おもしろいと思えない自分の読解力や感性に問題があると思っていたが、そうではない。自分を卑下する必要はない。ようやく、そう思えるようになってきた。


 だから、自分の本棚の格のために、無理に好きでもない本に場所を費やす必要はない。


 加えて限定カバーや装丁が素敵だと、手放す判断が鈍りがちだが、その本を見て(理解できない自分を思って)苦い気持ちがするなら手放すべきだと思う。


 反対に、読み直せないかもしれないが好きな本というのもある。本棚の、その並んだ本の装丁とラインナップを見ると気持ちがあがる。


 片付け界で有名なときめき属性の魔法使いの方は、ときめかないものを捨て、ときめくものを残せと言っていた。つまり、気持ちがあがる(ときめく)ものは手放さなくてよいのだ。


 私のような片付けの苦手な人間は、自分の都合の良いところだけを聞いて、都合よく解釈するものだ。読まない本は捨てろという言葉は丸無視である。判断が甘くなるのは致し方ない、と自身の擁護も忘れない。


 私はこんな人間だが、高尚(と思い込んでいる)なときめかない本を手放した。


 たとえば国内外で著名な作家の作品上下巻(私の好きな作家が薦めていた)。実はこの作家が苦手で、読んでみたが、おもしろい部分もあったがやはりあわなかった。


 あるいは好きな作家の好みでない作品。限定カバーなので手放し難かったが、内容はちょっと好みでなかった。たぶん読み返すこともない。


 また、漫画を読む者としてこの漫画家の本は一冊くらい置いておきたい、とか、このジャンルは一冊くらい押さえておこう、などというくだらない意識。好みでないものは手放した。


 こうして減る本などたかが知れているが、私のような者は、ちまちま減らしていくしかないのだ。好きなものに囲まれる、という意味では、一ミリくらい前進したかもしれない。


 

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