第41話 逃げられない

 魔法陣の上に来ると騎士は下がらされ、やっとフィスラの隣に来ることができた。

 フィスラを見ると、彼は無言のまま私の手を握り、移転した。


「ここが浄化の間……」


 ミズキが紅潮する頬を押さえ、うっとりするように呟いた。


 ミッシェは圧を感じるようで、顔をしかめている。ミズキは私と同じように何も感じないかと思ったけれど、ミズキも顔をしかめているので瘴気を感じているようだ。


 私は念のためつらそうな顔を作り、フィスラにそっと寄りかかった。


 この間来た時と同じく、荘厳な雰囲気の祭壇には瘴気が入った珠が見える。


「浄化するわ」


「無理だ。聖魔法はまだ使えないだろう。危険だから早く戻ってください。ミッシェ殿下も彼女に説得を」


「いいえ。浄化に聖魔法なんて関係なかったのよ」


「なんだと? どういう意味だ」


「ああ嫌だ。師団長なんて肩書きのくせに野蛮だわ」


 ミズキはフィスラを心底馬鹿にしたように嗤った。手で汚いものを払うような仕草をする。


「聖女になんて口のきき方だ。お前は聖女の意味が分かっていないのか。こんなにも素晴らしい女性の事を」


「まあ、ミッシェ殿下ったら。でも、聖女は、皆に愛されて大きな権力を持つとミッシェ殿下に聞いていますわ。その為には私も力を早く手に入れて、皆に示す必要があると思うのです」


 邪気のない笑みでミズキは聖女の威厳を感じさせる口調で話す。

 ミッシェは同意を示すように頷きながら、恍惚とした顔でミズキを見つめる。


「もちろんだ。ミズキは権力と力を手に入れるべき女性だ。聖女そのものだ」


 一種異様な雰囲気だ。ミズキの事を好きだったと思うけれど、こんなに盲目的だっただろうか。


 ぎらぎらとした目が怖い。

 私は無意識にフィスラの腕を掴んでしまう。


「聖女が大きな力を持つのは、聖魔法のせいではなかったのです。聖魔法が必要なのは、この瘴気に近づくためだけ。実際は、浄化ではなく瘴気を身体に宿すのですって。ああ、コノート師団長に従って座学なんてまじめにやって、馬鹿みたいだったわ」


 熱に浮かされたようにミズキはうっとりと語り、ゆっくりと瘴気の方に近づいていく。


 聖魔法があっても圧はなくならないらしく、一歩ずつ大変そうな足取りで進んでいく。しかし、その表情は自信に満ちている。


「これを手に入れれば、私の魔力は無限になるわ。私の中で瘴気は浄化され、私に活用されるのよ。魅了があればこの世界は私の思いのままになる」


「そうか。そういう事だったのか……。だから、記録が残っていないのか……」


 フィスラが呆然と呟いた声が聞こえる。


「記録が残っていないのは、私に未来を託したからだわ。この世界は本来聖女のものなのに。可愛そうな聖女たちが教えてくれた。私はそうはならない。私がすべて手に入れるのよ」


 歌うようにミズキが答える。ミッシェはその彼女の事を、崇拝するような目で見ていた。

 これは、駄目だ。


 瘴気という魔力を手に入れた彼女は、この国のすべてを手にするだろう。ミズキにこの力を与えてはいけない。

 はっきりと、そう感じた。


 私はフィスラから手を離すと、さっと駆け出した。フィスラは驚いた顔をして私の手を掴もうとしたが、それよりも私の動きは早かった。


 私は何も感じていないので、当然だけどあっという間に瘴気の源にたどり着く。

 祭壇の上には丸くて大きな珠があり、その中で綺麗な虹色の何かが渦巻いている。


 間違いない。

 これが瘴気を溜めているものだ。


 私は瘴気を感じないから何もわからないけれど、この光を内包した珠は綺麗なのに会何故かとても禍々しい。


「やめろ! ツムギ!」


「やめなさい! それは私のものよ!」


 フィスラもミズキもミッシェも、三様に私の方へ向かおうとするが遅い。

 私は珠を祭壇から持ち上げ、抱え込んだ。


 途端、黒い渦は珠から解放されたように広がり、私の中にどんどん入り込んできた。

 何かが自分の中に流れ込んでくるのを感じる。


 瘴気は温かくて、圧迫感があり吐き気がする。見る間にすっかり黒い渦は私の中に納まってしまった。


「ツムギ!」


 フィスラが近寄ろうとしているが、瘴気が私の中に移動しても近寄れないようだ。

 ミズキだけが徐々に近づいてくるが、その顔は先程の自信に満ちたものではなく、焦りが感じられて少し笑ってしまう。


 笑った私に気が付いたのか、ミズキは苦しそうにしながらも声を荒げた。


「ふざけないで! 私を出し抜いたつもりなの!? 馬鹿にしないで!」


 その顔には汗がにじんでいるが、フィスラがほとんど近づけないのを見るに、聖魔法というのは相当な抵抗力のようだ。


 これで、私がミズキに捕まったらどうなるのだろう。

 急に怖くなり、私はミズキから逃げるように祭壇の方に戻る。


 それでもそんなに広くない部屋だ。ミズキはすぐ近くに居る。逆側に行くことも考えたが、そっちにはフィスラが居る。


 フィスラにむやみに近づいたら、彼がどうなるかわからない。


 それは怖いし、私が彼を傷つけてしまうのは嫌だ。後退りした私に当然のようにミズキは迫ってくる。全く逃げ場がない。


 こわい。


 ミズキが手を伸ばすのが見える。彼女の手が私の中の瘴気を求めて、近づいてくる。


「返しなさいよ! それは、私の物よ!」


 呪詛のように低く、憎しみそのもののようなその言葉が、私に響く。


 こわい。


 私は恐怖に駆られ、どうしていいかわからなくなってしまった。

 心臓がどきどきと早鐘を打ち、汗が伝うのを感じる。何処にも逃げられない。


「やめて! 近寄らないで!!」

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