第38話 本題

 フィスラが持ってきたのは、お茶ではなくお酒だった。

 綺麗な模様の入ったグラスと、ワインの瓶をもって戻ってくる。


「前に飲めばなんでも大丈夫って、ツムギが言ってたのを思い出したんだ」


「大丈夫じゃない話なんですか? 今日のパーティーですよね?」


 グラスを受け取りながらそう聞くと、フィスラは眉を寄せて頷いた。


「そうだ。これが本題だ」


「大分遠回りしちゃいましたね」


「これから悪い話をするんだ。いい話があってよかった。……いや、どうだろうな。本当は、この話をする前に区切りをつけようと思ったのだ。ツムギを危険な目に合わせる前に、手放そうと」


「手放す……?」


 意味がわからずにフィスラを見つめた。フィスラは私の隣に座って、私の手を握った。


「ツムギを、この街から出そうと思ったのだ」


「それは、出ていってほしいって事ですか……? 私が居ると、やはり邪魔ですよね。それなら仕方ないって、わかります」


 好きだと言ってくれても、貴族だ。

 色々なしがらみがあるだろう。まして、フィスラは高位者なのだ。


 好きだけでは一緒に居られない。

 わかる。大丈夫。


 じわりと涙がにじむのを感じたけれど、手をぐっと握って我慢する。


 負担をかけてはいけない。

 なんとか微笑みらしきものを浮かべると、フィスラが私の肩を掴んだ。


「違う! ……違うんだ。私は、ツムギの事を守りたくてそう思ったんだ。先程好きだといったのは、自分の気持ちをすっきりして後悔がないようにしたかったのだ」


「守りたくて……」


 照れくさそうに頬を押さえ、フィスラは下を向く。その耳が少し赤い。


「まさか、こういう結果になろうとは思わなかったけれど」


 本当に思いもよらないという顔で言うので、思わず頬に手を伸ばす。


「後悔していますか?」


「後悔はしていない。ただ、困っている。こんな風に決断を迷うことなど最近はほぼなかったので、戸惑ってもいる」


「何に迷っているんでしょうか」


「問題解決のためには、聖女に従いつつ怪しげな動きがないか確認しなければいけない。聖女は君の事を嫌っているので、下手な動きをさせる為には君を使うのが効果的だと思う」


「私、結構何でもできると思いますよ。働き者ですし」


 おどけてそう言ったけれど、フィスラは笑ってくれない。


「彼女は君に危害を加えようとするだろう。君がいる為に、聖女の書の解除も強引な手に出た」


「何かした覚えはないんですけど、なんででしょうね」


「やはり、二人という事実が憶測をよぶからだろう。どんなに隠したところで聖女召喚に携わった人数は多い。噂は漏れだすし汚点となる」


「おとりとしても活躍できると思いますけど……」


「魔力もなく、回復魔法も効かない君にか? 死ぬぞ」


 もちろん死にたくはない。

 今まさに、好きな人に好かれているとわかったところなのだ。でも、同じぐらい好きな人の役に立ちたい。


「フィスラ様のお役に立ちたいのです」


「……私も、君の協力があると楽だ。確かにそうだ。でも、君を危険な目に合わせたいとは到底思えない。それならば、聖女など放置でいいとさえ思ってしまうのだ。私が近くに居れば、君の事は守れる。ツムギと一緒に居たくて、ずっと近くで安全で居てほしいのだ。こんな風に、私欲を優先したくなるなんて思ってもみなかったのだ」


 自分でもこの国の師団長として、どうかと思うと自嘲気味に笑った。


 私はフィスラにずいっと近づき、綺麗な顔を両手で挟んで潰した。


「そういうのは良くないです。私も恋愛経験が皆無だから偉そうに言えた立場じゃないですが、そういう気持ちもあるのは当然です。私だってそうです。だからこそ、フィスラ様と私がしあわせに暮らしていくために考えましょう!」


 フィスラは驚いた顔をしたが、そのまま目を瞑って私の両手を自分の両手でそっと包んだ。自分の頬から私の手を外すと、手にそのままキスをする。


「わー!」


「そうだな。気弱になるだなんて私らしくなかった。立場や希望は勝ち取るものだ」


 手から顔をあげたフィスラは、いつもの自信に満ちた彼で、その瞳の強さに射抜かれる。


「これからの方針を共有しよう。まだミズキの狙いがわからない。ただ聖女の書を手に入れ私やツムギを出し抜いたという事実で満足しているのならいいのだが。違う場合も考えていかなければならない」


 甘い雰囲気をさっと消して、フィスラはグラスをとり優雅に飲んだ。

 あっという間に切り替えた彼に、残念に思いつつも私も居住まいを正した。


「よろしくお願いします」


「まずは聖女の書だ。あれに何が書いてあるのか知りたい。聖女の地位があれによって盤石になるとするならば、私はそれに協力しようと思う」


「確かにそうですね。聖女としての地位が確立されれば、私に構ったりしなくなりそうですよね」


「そうだ。しばらく身の安全さえ守れれば、危険は過ぎ去るはずだ。……問題は、聖女がその力によって何かしようとしていた場合だ。最近のミッシェ殿下の盲目ぶりは、少し危険だと思う。君は出来るだけ日中はミスリアと共にいてくれ。そして、手が空いたら聖女の間に行き、浄化について別の方法を探っていきたい」


「聖女に頼らずに浄化する方法という事ですか?」


「浄化は行わなければいけないのは間違いない。あの部屋の瘴気は年々強くなっているのは肌で感じている。あのままでは危険だ。対処法を持っておくに越したことはない。何かあった時の切り札になるだろう」


「わかりました。私はしばらく安全に暮らせるように心がけておきますね。聖女の心得や浄化について書かれているだけならいいですよね」


「聖女しか開けられないのが気にかかるのだ……。杞憂であれば、もちろんいいが」


「えらい人は色々考えないといけないから大変ですね」


「他人事じゃないんだ。ツムギもきちんと考えるように」


 怒られてしまった。確かに自分の事だったけれど命の危機なんてあまりイメージがわかない。気をつけなければとは思うけれど。

 それでも。


「今日は、フィスラ様が隣に居るから間違いなく安心ですね」


 フィスラの肩に寄り掛かる。頭を傾けると、フィスラが私の髪の毛にそっと触れる。

 今日は、と強調した私の意志が伝わったようで、嬉しい。

 それでも今日ぐらいは、恋が叶ったふわふわ感に包まれていたい。


「そうだな。世界一安全だ。……今日は、ゆっくり話でもしよう」


「はい。今日の私はとてもしあわせです」


「それはもちろん私もだ。……ありがとうツムギ」


 私達はグラスを合わせ、お互いに照れながらお酒を飲んだ。


 甘い空気は私には照れ臭く、それでも隣に居るフィスラとの話は尽きなかった。

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