第3話 治らない目

 私はそのまま彼に引かれるままに、どこかへ歩いていく。

 そっと触れられる手は暖かく、歩調はゆっくりだ。


 ふわふわの、多分とても豪華な絨毯の上をしばらく歩くと、目的地についたようで彼は立ち止まった。そして、扉を開ける。


「ここが、しばらくの君の部屋になるだろう」


「ありがとうございます……」


 どんな部屋に案内されるか戦々恐々していたが、ぼんやり見える内装は豪華そうで広い。

 どうやら客人としては扱われるようだ。


 ばれないように、ほっと息をつく。


「ここに座れ」


 そのまま彼は私の肩に手を置いて、部屋にあるソファらしきところに座らさせた。

 ふかふかのソファはとても気持ちいい。

 一旦座ると疲れがどっと押し寄せてくる。


 案内してくれた師団長は、なぜかそのまま私の隣に座った。

 ソファは広いのに、とても距離が近い。

 足と足が触れそうだ。


「ええと、どうしました?」


「君の目を治してやる」


 冷静な声は、どうやら約束を早速守ってくれるようだ。有難い。


「ありがとうございます。凄い助かります」


「お礼は後でにしてくれ。こっちを見てじっとしろ」


 強い力でぐいっと顔を掴まれて師団長の方を向かされる。乱暴な仕草に驚いたが、さっきもそうだったな、と思い出す。


 顔を掴んだまま彼は私の目をじっと覗き込むように見た。

 とたんに心臓がどきどきしだす。視界が悪くて顔が見えなくてまだ良かった。


 今までこんな近くに男の人が居る経験なんて全くなかった。そのせいでちょっとしたことで動揺してしまう自分が恥ずかしい。

 加えて眼鏡を失う前に見た師団長の顔は、ちょっと見た事ないぐらいに整っていたから。


 赤くなりそうな頬を押さえて、じっとする。

 私の瞼に師団長の手が触れる。


「……今回召喚の儀を執り行ったのは、私だ。この件に関してはすべて私の責任だ。君を悪いようにはしない」


 低く響くような声で、ため息のように謝られる。


 なんて返していいかわからなくて黙っていると、頭をすっと撫でられた。その気遣うような温かさに、涙が出てしまう。


 誰も私の事なんて気にしていないと思っていた。

 あの聖女召喚というイベントの中で、私だけが部外者だった。


「必要なものがあれば、私に言うといい」


「だ、大丈夫です。とりあえずは、目が治れば、嬉しいですし」


 思ったよりもずっとやさしい仕草に、動揺してしまう。私は慌てて涙をぬぐった。

 彼は私が泣いたことには言及しないでくれた。それでも優しい仕草で、ハンカチで私の涙をぬぐう。


 そのまま確認する様に、彼のひんやりとした指が瞼に触れた。


「そうか。……さあ、目をつむれ」


 柔らかな声に言われるまま目をつむると、再び瞼にひんやりとした手が乗せられる。その瞬間、目の前がパッと明るくなった。


「目を開けてみるんだ」


 まさか、今のが魔法なのだろうか? 幼少より目が悪かったから、期待感でどきどきしながらそっと目を開ける。


 ……変わってない。


 ぼやけたままのその視界になんだか気が抜けて、私は軽口をたたいた。


「期待させといて、変わってないじゃないですか!」


「……なんだと?」


「全然、いつもと同じでぼんやりです。って、今ので治そうとしたんですよね?」


 戸惑うような彼の声に自信がなくなってくる。魔法じゃなくてただの診察とかだったら恥ずかしい。


「そうだが……おい、治ってないと言ったか?」


 信じられないと言ったように、師団長が呟く。その驚きで、彼が本気で私の事を治そうとしてくれていたことが分かった。


 私は不満を引っ込めて、慰めるように言った。


「そうです。なかなか難しいんですね。ずっとこれだったので、仕方ないです」


「そんなはずはない。その辺の魔術師ならそう言うこともあり得るだろうが……」


 心底信じられないように言っているが、なかなかの自慢を挟んできている。

 私は可笑しくなって、吹き出してしまう。


「ふふっ。なかなかの実力なんですね師団長様は」


「……なんだその馬鹿にしたような言い方は」


 拗ねたような言い方がなんだかかわいい。


「馬鹿になんてしていませんよ。でも、治そうとしてくれてありがとうございます。あの、眼鏡ってすぐに買えますか?」


「めがね? ああ、先ほどの物か。……貴族は魔術師がなおすから必要としていないし、庶民の暮らしには詳しくないから、あるかどうかはわからないな」


 これは幸先悪い。

 眼鏡が売っていないかもしれないとは。とりあえず急ぎで買ってきてもらえれば一番よかったんだけど。


「そうなんですね……」


 流石に気落ちしてしまいそう言うと、師団長は私の肩を軽く叩いて立ち上がった。


「……本当に治っていないんだな。異世界から来たからだろうか。でも大丈夫だ。明日には何とかしてやる。それまで大人しくしておいてくれ。後でメイドが来るので、彼女に従うように」


 憮然とした声でそう言い残し、師団長は去っていった。


 ……意外と義理堅そう。彼の残した言葉は、約束のようだった。じわりと胸が温かくなる。


 大丈夫。

 彼の言った言葉を私は繰り返した。

 大丈夫。


 私は彼が触れた瞼に指を這わせた。彼の指先とは違い、自分の指は暖かかった。


 ……それにしても、疲れたな。

 ぼんやりとした視界のまま、私はソファに倒れこんだ。色々な事がありすぎて、頭が全く追いついていない。


 そして、そのままメイドに声をかけられるまで、私はぼんやりとぼやけた視界を見ていた。

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