モンスター&アンブレラ
花澤あああ
前編
私はすぐに傘を忘れる。
コンビニに入る度に、通勤のバスの中に、仕事帰りのジムに。
見かねた友達が誕生日プレゼントに買ってくれたちょっといい傘も一月でなくして、しばらくLINEが既読無視になったのは辛い思い出だ。彼女は反省させるために心を鬼にして無視したのよと言ってたけど、本当に嫌われたと思ったので毎日泣いていた。
それでも次の傘を一週間でなくすんだから、私の失くしもの癖はどうなっているのだろう……。
「いよいよ、ハイブランドの傘を買うしかないんじゃない? Diorだと20万の傘とかあるよ。自分の一ヶ月分の給料と思いながら使えばどうよ? 怖くて手放せないんじゃないの? 」
仲直りしてすぐに友達に言われて、初めて買ったハイブランドの商品。給料一ヶ月分の傘を持って歩く、初めての帰り道。
私はなぜかその傘で、ゴブリンを撲殺した。
★
その日は台風が近づいていると天気予報で言っていたが、秋らしい穏やかな夕暮れであった。赤トンボ舞う神社前のバス停は人も少なく、しっかり傘を握りしめ私はバスから降りた。
ここから自宅まで、ゆっくり徒歩5分の道ではさすがに傘は失くさないはずである。
すこし強めに握っていた傘の柄への指の力を抜いた時、後ろから聞いたことない音がした。
振り向くと、見たことない造形の、何かが動いていた。自分の影なのか、黒いなかに大きいカマキリみたいなものが両手を挙げて私の方に向かってくる。
「…ギャキ、ギャキ! 」
大半の女性は虫は苦手だ。私も例に漏れず苦手だが、さらにそれが自分と同じ大きさだったら。考えてみて欲しい。漏らさなかったのは奇跡だと思う。
「………ギャアアアアアア!! 」
叫んでいるのは自分なのか、よく分からないカマキリみたいなものなのか。
とにかく手に持っていたハイブランドの傘を振り回したことしか、記憶にない。
『ポーン! ゴブリン・一匹・撃破! 』
頭のなかで機械のような声がして、我に返ると目の前のカマキリみたいななにかが、黒い煙とともに消えるところであった。
『経験値・3・取得! 初めての撃破・おめでとう・ございます! おめでとう・ございます・武器に銘が・つきます! 』
「……武器? って、この傘? 」
手元のハイブランドの傘は、ハイブランド故か傷ひとつなく、曲がってもいなかった。
目でよく見ようとすると、文字が浮かび上がる。
"武器:中田和葉のアンブレラ 銘:失くしちゃ駄目な傘 攻撃力+50 防御力+20,5000 "
「武器なのに防御力? ってかもしかして、この傘の値段だったりして……。」
まじまじと傘を見つめるが、文字以外はさっきと何ら代わりもないお洒落な傘だ。確かに税抜き20万5千円であったが。カードを出す手が震えるくらいに緊張したのだ。値段を忘れるわけがない。
なんとなく、開いてみる。うん、とくに変わったところはない。
閉じようと傘の中心部にある中棒に手を伸ばしたとき、また、あの声がした。
「ギャキ、ギャキ、ギャキ! 」
傘を閉じる余裕はなかった。両手を挙げて突進してくる"ゴブリン"を傘で受け止める。
ボスっと鈍い音はするが、傘はびくともしない。
中から見ると、腕らしきものが飛び出て見えるのが気持ち悪いが、破れそうにない。
「っ、あ、さ、さすが防御力20万越えっ! 」
難なく弾き返し、私はそのまま突いた。傘の先の石突きと呼ばれる部分をゴブリンの胸の辺りに。
「……ァァァァアアアアア! 」
傘を閉じるころには、黒い煙が上がってゴブリンが消えていくところであった。
ころり、と石が地面にころがり、静寂が訪れる。
カラスが鳴きながら飛び立つ声だけが、遠くに聞こえた。さっきまでたくさんいた赤トンボはもう飛んでいなかった。
『ポーン! ゴブリン・一匹・撃破! 経験値・3・取得! 』
すこし遅れて聞こえてきた機械的な声に、私は途方に暮れるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます