カウンターとその裏にある棚によって店表と区切られた奥は工房になっているようだった。棚横の通路に足を踏み入れたメリッサは、目の前に広がった工房の風景に目を丸くしたまま固まる。


「散らかっててごめんなさいねぇ~。どぉ~にも片付けは苦手なのよぉ~」


 工房は、色の洪水だった。


 赤、白、黄色、青、紫、紺。


 明るい色から暗い色まで、落ち着いた色から華やかな色まで。


 生地も素材も様々な布が、中心に置かれた大きな作業台から四方八方にあふれ出ていた。その間から裁縫に使う道具や型紙、作りかけの衣装を掛けられたトルソーが顔を出している。


 このにぎやかさは、あれだ。


「ノーヴィス様のお屋敷に、似てる……」

「あら、やっぱりぃ? 魔法の才能はサッパリ受け継がなかったのに、そんな所ばっかり師匠に似ちゃったのかしらぁ?」

「えっ!?」


 思わぬ言葉にメリッサは考えるよりも早く弾かれたようにエレノアを見上げていた。一方エレノアはカラカラと笑いながら工房の奥へ分け入っていく。


「そんな発言が出るなんて、アナタ、ちゃんとアイツのお屋敷で働けてるのね。『メイドさん』って聞いた瞬間『嘘でしょっ!?』って思ったんだけど」

「えっ、あ……っ」

「アイツのお屋敷、危険なんてモンじゃないでしょ~? アタシなんてたった数時間で何回死にかけたことか!」

「あ、え……っ」


 情報が多すぎる。疑問点が多すぎて理解が追いつかない。


 ──師匠? エレノアさんは、ノーヴィス様のお弟子さんだった? お屋敷の中を知っている? 死にかけたってそれはどういうこと?


「ちょっとぉ~? 今の所はすかさず喰い付くべきトコでしょ~?」


 言葉尻から拾い上げた情報を整理しようと必死に思考を巡らせる。


 そんなメリッサに、エレノアの不満そうな声が飛んだ。


「っ……申し訳……っ」


 反射的に謝罪が口をつく。


 だが視線を跳ね上げた先にいたエレノアは、口調に反してなぜか楽しそうに笑っていた。


「ほらほら! 今のアタシの言葉を聞いて、きたいことがわんさか出てきたでしょ~?」

「え?」

「アタシ、質問されたくてウズウズしてるの。話したくって仕方がないから、質問したいこと、片っ端から全部言っちゃって!」


 メリッサが喰い付くようにわざとああいう言い方をしたのか、と疑問が湧いたが、その答えは言葉に出さずともワクワクしているエレノアの様子を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


 ──質問の練習だと、ノーヴィス様もおっしゃっていましたが……


「アイツ、言ったでしょ。『エレは僕のことにも詳しいし』って。あれ、アイツのこと、アタシに何でもたずねていいっていう、アイツなりのアピールなのよ」


 色の洪水の中から巻き尺を取り上げたエレノアは、ワクワクした笑みの中にわずかに何か違う感情を溶かした。


 その感情が何なのかは、メリッサには分からない。ただメリッサを見つめるエレノアの瞳が、何だか温かさを増したような気がした。


「アタシのことは、勝手に何でもしゃべるちょっとデカすぎるトルソーだとでも思えばいいわ。上手に喋ろうとしなくてもいいし、難しいことも考えなくていいの」


 さとすようなエレノアの声は柔らかかった。学院の同級生が妹に何かを言い含めていた時の声に雰囲気が似ている。


「アタシはただの仕立て屋の店主で、アナタはただのお客様だもの。もし今日気まずい思いをしても、もう二度と店に来なければいいだけよ。毎日顔を会わせるアイツには聞けないことだって、失礼なことだって、何でも口にしちゃえばいいの」

「トルソー……」

「そう、こいつよ、こいつ」


 思わず呟くメリッサに向けて、エレノアはかたわらにあったトルソーを軽く叩いてみせた。肩口から腰辺りまでしか形がないトルソーは、そんなことをされても文句を言うどころか迷惑そうな視線さえエレノアに向けることはない。何せ感情が宿る部位がどこにもないから。


「アタシもね。昔はお喋りが苦手だったの。いつも怒られてばっかりで、何を言っても傷付くことしかなかったから」


 不意にエレノアがそんなことを口にした。思わぬ言葉にメリッサは息を詰める。


「アタシね。本当の名前はアンドリューっていうのよ。アンドリュー・トゥエイン・ハンスメイカー」


 さらに続いた言葉に、メリッサは思わず驚愕を声に出していた。


「ハンスメイカー……ハンスメイカーって、あの」

「アナタ、『カサブランカ』っていったものね。そりゃあ知ってるか。そうよ、あの『ハンスメイカー』」


 エレノアはバチンッとウインクを投げる。だがメリッサは息を詰めたままでうまく反応することができなかった。


 ハンスメイカー。その名が負う爵位は公爵。


 王家と始祖を同じくし、古くから幾度も王家と婚姻を交わしてきた血筋。いくつかある公爵家の中でも指折りの名門。


 万が一王が次代を残さず世を去った場合、公爵家の中から適切な人間を新たな王に立てることが王室典範によって定められている。


 ハンスメイカーはその中でも筆頭に名が挙がる家だ。


「アタシはその家の、先代……あぁ、最近代が変わったから、先々代になるわね。とりあえず当時の当主の三男坊。今の当主は、あたしの一番上の兄貴の息子よ」


 おまけにエレノアはその直系に当たる出自であったらしい。


「ど、どうして」


 胸に湧いた、疑問があった。


 メリッサはその形のない感情を言葉にしようと必死に口を開く。慣れないことに声が震えたが、エレノアは変わらず温かい視線でうながすようにメリッサを見守ってくれていた。


「そんなエレノアさんが、仕立て屋さんを……して、いらっしゃる、の、です、か?」

「うん」


 メリッサの言葉が終わるまで待ってくれたエレノアは、メリッサの言葉に嬉しそうに笑った。質問の内容に微笑んだというよりも、メリッサが問いを口にできたことを喜んでくれている表情だと分かる。


 顔の造形もまとう雰囲気も違うのに、なぜかその笑みを見たメリッサはノーヴィスの笑みを思い出した。


「アタシはね、捨てられたのよ」

「え?」


 だがそんな柔らかい感情は、一切トーンが変わらないエレノアの声に切り裂かれる。


「アタシね、物心ついた時からだったのよ。外見はゴッツイ男なのに、心は女だったの。生まれつきね。それが異常なことだってことも分からなかったものだから、子供の頃はどこへ行ってもそりゃあもうヘンなモノを見る目で見られたわぁ」


 巻き尺を片手にメリッサのかたわらに戻ってきたエレノアは、変わることなく穏やかな笑みを浮かべている。


 その表情や口調と語る内容が一致しなくて、メリッサはとっさにエレノアの言葉を理解することができなかった。


「由緒ある貴族ってのは、頭が固いってどこでも相場が決まってるのよね。アタシの親族は、御爺様から兄弟達まで、みぃ~んなそうだったわ」


 言葉を紡ぎながら、エレノアは巻き尺を伸ばす。その手の動きは、口がどのような話を語っていても一切よどみがなかった。


「アタシは家の恥だってそしられ続けた。それでもどうしたらいいのか、アタシには全然分からなかったのよ。『男に生まれたのならば男らしくあれ』とか『公爵家の男児たるもの』とか言われたって、全然分からなかった。だってアタシは、外見を間違えて生まれてきちゃっただけの、女の子だったんだもの」


 エレノアは変わらず笑みを浮かべたまま語り続ける。その表情からこれがエレノアの中で『終わったこと』とされていることは分かった。


 それでも、メリッサはどんな表情でエレノアの話を聞いたらいいのか分からない。


 だって、どれだけ時が経っても、当時のエレノアが酷く辛い思いをしてきたのだという事実は、変わらないのだから。


「だから、アタシは捨てられたのよ。『地図にあるお屋敷まで遣いに行ってこい』って家を出されたんだけどね。それが実質、放逐だったってわけ」


 同時に、理解してしまった。


 自分も、エレノアと同じ境遇に立たされているのだと。


「サンジェルマン伯爵邸の別名、アナタ、知ってる?」

「……はい」


 首に力が入らなかった。項垂うなだれたまま声を上げれば、声のトーンは自然に下がる。


「『幽鬼の屋敷ヴェルヴェオン』『地獄の入口ランダ・ウィンダ』……屋敷の門をくぐった人間は、もう二度と生きては出てこられない。……いらなくなった人間や魔法道具が行き着く、最終処分場だと……」


 ノーヴィスには『屋敷の場所は調べれば分かった』というようなことを言ったメリッサだが、実は『ノーヴィス・サンジェルマン』という名前だけではどうしても調べる取っ掛かりが見つけられず、最初のヒントだけは父にもらった。『ノーヴィス・サンジェルマン』という存在は、貴族名鑑に名前の記載がなく、メリッサの情報網をしても噂の欠片かけらひろい上げられない人物だったから。


 最後の挨拶と称して寝室まで顔を出したメリッサが素直にそのことを口にすると、父はあのうれいを含んだ目をメリッサに向けて言ったのだ。


『この都で一番有名な幽霊屋敷の主だよ』と。


 ──……信じたく、なかった。


 それだけの情報がもらえれば、メリッサには十分だった。『ノーヴィス・サンジェルマン』の名前は聞かなくても、『幽鬼の屋敷ヴェルヴェオン』の噂は魔法学院の生徒の間でも有名だったから。


 足を運んだ人間がことごとく屋敷に喰われているらしい。いや、喰っているのは屋敷ではなく屋敷の主である伯爵だ。いらなくなった道具や厄介な魔導書が最終的に投げ込まれる寄せ場であるらしい。いやいや、投げ込まれるのは道具だけではない。


 不都合なことを知ってしまった人間や、育てられなくなった子供や赤子を、人々はあの屋敷に捨てに行くのだと。


 最終処分場。


 いらなくなったモノ達の、墓場。


 そんな屋敷の主との結婚話。……そんなの嘘っぱちで、本当は自分は、自分自身をその処分場に投げ込みに行くのだと、メリッサは父の話を聞いた瞬間からさとっていた。


 それでも。


 それでも、そんな事実に必死に気付かないフリをしていたのは。


 ──だって、信じてしまったら、私は……


 自分を愛してくれていると信じていた父にまで捨てられてしまったのだと、認めてしまうことになるから。


 下ろした両手が、ギュッとプリーツスカートを握りしめる。


 この制服はメリッサの誇りで、同時に父からの愛情のあかしだった。父が確かにメリッサを思ってくれているのだと分かりやすく形になった物が、この制服だった。


 ──私は、お父様にとっても……


「アラァ? 何って顔しちゃってるの?」


 ジワリと目のきわに熱がこもる。


 だがその熱がこぼれ落ちるよりも、左右から頬を挟まれて無理やり顔を上げさせられる方が早かった。予期せぬ力に首の骨がゴキュッと変な音を立てる。


「もきゅっ!?」

「アナタ、あのお屋敷のメイドさんなんでしょ? あのお屋敷の中、実際に知ってるんでしょ?」


 大きくて、皮が分厚くて、だがきちんと手入れされていることも分かる、男性の手の形をした、女性の手だった。


 その手によって強制的に仰向あおむかされた視界の中に、真剣な表情を浮かべたエレノアの顔がドアップで迫る。


「アナタ自身はどう感じたの? 本当に処分場だった? 『幽鬼の屋敷ヴェルヴェオン』だった? 喰われそうとか、処分されそうだとか思ったの?」


 その言葉に、メリッサは屋敷の中の光景を思い浮かべた。


 外観に対して明らかに中が広すぎる屋敷。奥に深い構造になっているのに、屋敷の中は不思議とどこにいても自然の光が降り注いでくる。ファミリアが風をまとうモノ達であるせいか、屋敷の中はどこにいても風が抜けて心地良い。


 確かに厄介な魔法道具が無秩序に放置されていて危険ではあるが、なぜかそれさえもが居心地の良さに繋がっている。それは恐らく魔法道具達が各々おのおの自分達の好きな場所で眠りについていると本能的に分かったからだろう。


 怠惰たいだな主とにぎやかなファミリア。そんな住人達にいつくしまれた魔法道具と屋敷。


 そこにあるのはただただ穏やかで、温かくて、……人生で初めてほっと息をけたような、そんな柔らかい空気だった。


「処分場、では、なくて……」


 エレノアの手に頬を挟まれたまま、メリッサは必死に言葉を探す。


 あの温かくて心地良い場所を表すための言葉を。


「ゆりかごのようだと、思いました」

「あら、ステキな表現ね」


 そんなメリッサが見つけた言葉に、エレノアは笑って同意を示してくれた。どうやらメリッサが伝えたかったニュアンスは、しっかりエレノアに届いたらしい。


 だがなぜかエレノアはメリッサの両頬から手を離さなかった。


「アタシはね。あの屋敷に放逐してくれた実家に感謝までしてるわ。だってアタシに『エレノア』って名前を付けて、アタシを『アンドリュー』から『エレノア』に生まれ変わらせてくれたのは、他でもないアイツなんだもの」


 再び柔らかい笑みを浮かべたエレノアは、メリッサの瞳をのぞき込むようにして視線を合わせた。髪と同じ栗茶色の瞳は、強い意志を宿してキラキラと輝いている。


「アタシに名を授けたのはアイツ。だからアタシはアイツの弟子なの。魔法を直接教わったこともなければ、屋敷に置いてもらった時間もわずかなものだけれども。それでもアタシの師匠はアイツなのよ」


 その瞳を、メリッサは美しいと思う。


 同時に。


「……うらやましい」


 本音が、ポロリと勝手にこぼれ落ちていた。


 そんなメリッサにエレノアは目をしばたたかせる。


「どうして?」


 問われてから初めて、メリッサは自分の内心が声に出てしまっていたのだと気付いた。


「あ……私、……私、は」

「うん」


 ワタワタと焦りながらも、メリッサは必死に言葉を探す。そんなメリッサを、相変わらずエレノアはきちんと待ってくれていた。


「その。……ノーヴィス様に、まだ、名前を呼んでもらったことが、なくて」

「あー、そんな雰囲気だったわね」

「ふ、雰囲気で、分かるものなのですか?」

「そうね。アタシはアイツと付き合いが長いから」


 必死に探し出した言葉に、エレノアは眉を寄せながら同意してくれた。そんな風に返ってくると思っていなかったメリッサは思わず無防備に目を見開く。


「多分、まだ探してるのよ」


 メリッサの頬から手をどけたエレノアは、ジャケットとブーツを脱ぐようにメリッサに指示を出した。ワンピースになった制服まで脱がなくていいのかと問えば、さすがにそこまではいいと答えが返ってくる。


「何を、ですか?」

「アナタにふさわしい名前を、よ」


 メリッサの足元に絨毯じゅうたんを広げ、そこに立つようにエレノアは続けて指示を出す。その通りに立つと、エレノアはまずメリッサの背丈を測り始めた。


「名前は、とても大切なものよ。あいつはなまじっか力が強すぎるから、大抵の相手の本名を口にできない。下手に呼んでしまうと、アイツの魔法で縛ってしまうから。アイツが意図していないのにね」


 エレノアの言葉を聞いたメリッサは、ふと古いおとぎ話を思い出した。


「まるで『白と黒の賢者』みたいですね」

「そうね。アイツはまさに『白と黒の賢者』に出てくる『黒の賢者ルノワール』みたいなヤツなのよ」


 この国の子供ならば、誰でも知っている古い古いおとぎ話だ。


 昔々、この世界は白髪の魔法使いと黒髪の魔法使いによって形作られた。黒髪の魔法使いはあらゆる物に名前を付けて祝福し、白髪の魔法使いはあらゆる物に秩序を与えた。


 これを魔法使いとしての見地に立って解釈すると、『黒の賢者ルノアール』が片っ端から物に名前を付けて存在を定義し、『白の賢者ルミエール』が定義付けられた存在の中身を定めて存在を確立させたということになる。


 簡単に言うと『黒の賢者』が本を見て『これを「本」と呼ぼう』と決め、『白の賢者』が『「本」とは紙にインクで文章をつづった物。知識や物語を綴った物である』と決めるということを片っ端からやったことでこの世界は創られた、という話だ。


 ──これが本当であったら、とてつもなく大変な作業だったと思うのですが……


 その疲労のせいなのかどうかは知らないが、白と黒の二人の賢者はこの国を創り上げると王を選んで国をたくし、自分達は王宮の奥深くで眠りにつくことを選んだのだという。二人の賢者は国の危機には目を覚まし、その偉大なる魔法で国を守ってくれるのだ、という所でお話は終わる。


 ちなみに二人は国を創って王を選んだ後そろって眠りについたというのに、国より明らかに歴史が浅い魔法学院はそんな二人が後進の魔法使い達を育てるために作ったなまだとうたっている。


 ──そういえば、なぜここに出てくる賢者の一人が黒髪なのに『色素が薄い人間ほど優秀な魔法使いに育つ』などという認識になったのでしょうか?


「だからね。アイツは、願いを込めて、自分が相手を呼ぶための名前を付けるのよ。時々魔法道具とかにも付けてるわね。それがそのまま魔法道具の封印にもなるのよ」


 エレノアの言葉に、メリッサは一瞬脳裏をぎった疑問を押しやって口を開いた。


「封印、ですか?」

「そう。アイツ、魔法封印士マギカ・テイカーだから」


 エレノアの言葉に目を丸くしたメリッサは、そのまま小さくうなずく。


「……通りで」


 魔法封印士マギカ・テイカーというのは、厄介な魔法道具や人の手に負えなくなったモノ、魔力によって汚染されてしまった土地や狂暴化した魔物を封印することを生業なりわいとしている魔法使いのことだ。職業柄危険な目にうことも多いから、自然と魔法封印士マギカ・テイカーには優れた魔法使いが多くなる。


 ──つまり、屋敷内のいたる所にある魔法道具は仕事で引き受けた物品で、普段ソファーで魔法道具とたわむれていたのは、立派にお仕事だったのですね。


 深く納得したメリッサはさらに続けて小さく頷く。そんなメリッサに小さく笑みをこぼしたエレノアは、今度は両腕を広げて立つように指示を出した。


「アタシ、魔法使いとしてはヘッポコすぎて、あの屋敷には置いてもらえなかったのよ。でも、アタシ、一目であの屋敷のとりこになっちゃったの」


 素直に両腕を広げたメリッサの肩から指先に向かって巻き尺が伸びる。そういえばこんな風に採寸してもらうのは久しぶりだな、とメリッサはその動きを追った。


「まず落とし穴に落ちたわ。何とかい上がって呼び鈴を鳴らした所までは記憶があるんだけど、仕込み針にやられて一瞬で陥落かんらく。次に目を覚ました時には、屋敷のどこかにあったベッドに寝かされていたわ」


 どうやら過去のエレノアは罠のフルコースを片っ端から堪能したらしい。同時に『あの仕込は以前から行われていたのか』とメリッサは小さく納得する。


「ちなみにアタシを拾ってくれたのは。アイツじゃなくてアイツの助手ね。アタシの世話をしてくれたのも、その助手さんだったわ」


 だがその納得は、続いた言葉に対する疑問に押し流された。


「助手、ですか? ファミリアではなくて?」

「今はもういないわ。20年ちょっと前に、いなくなってしまったらしいから」

「20年ちょっと前……?」


 小さく呟いたメリッサははたと目をしばたたかせると慌てて口をつぐんだ。


 ──その『20年ちょっと前』の出来事以前に、エレノアさんは御実家を放逐された。


 その当時エレノアが何歳だったのまでは分からない。だがエレノアが見た目以上に年かさであることは分かる。


 ──若く見積もっても四十路、下手をすると50を過ぎているかもしれないってこと?


 そんなことを思うメリッサに、エレノアは意地悪そうな笑みを向けた。


「なぁに? 言いたいことがあるなら、言っちゃっていいって言ってるでしょ?」

「いえ」


 そんなエレノアにメリッサはフルフルと首を横に振る。


「これは言いたくないこと、ですから」

「あら」

「淑女に年齢の話をするのは、野暮の極みです」

「アラヤダ、発言がイケメンだわぁ~!」


 実際問題、エレノアはどこからどう見ても三十路手前の妙齢な『女性』だ。


 ──魔力が強い人間は、長命で見た目も変わりにくいという話を聞いたことはありましたが……


『美魔女』という言葉は、エレノアのような人間を表すためにあるのかもしれない。


「玄関で倒れてたアタシを、たまたま外に出ようとしたリヒトさん……助手の人が見つけて、屋敷の中に入れてくれたんですって。ラッキーだったわぁ! あたしが放逐されたのって、真冬だったのよ」


 肩から腕までの長さを測ったエレノアはカラカラと明るく笑った。笑い事ではないことを笑って話せるエレノアは強いな、とメリッサは思わずまじまじとエレノアを見つめる。


「アタシ、あのお屋敷の空気を一目で好きになったわぁ。感覚で分かったんでしょうね。『ここでならありのままのアタシでいても許される』って」


 ごめんなさいねぇ、と一言断ったエレノアは、メリッサの前に膝をつくと胸周りに巻き尺を添えた。


「でもあたしの魔法特性は、一般分野にはサッパリ向いてなくて。リヒトさんが付き添ってくれてたのに、アタシ、屋敷の中を移動してるちょっとの距離で何回も死にかけちゃったのよ」


 さらに笑い事ではない話をエレノアは笑って続ける。


「リヒトさんもアイツも、アタシはあのお屋敷では生きていけないって考えたらしいわ。その時点でアタシも二人もアタシは実家に捨てられたって分かってたから、さてどうするかってなったわけ」


 胸囲を測った巻き尺は次いで腰回りを測り始める。だがメリッサがエレノアの手に不快感を覚えることはなかった。無駄がないのに優雅でもある手つきが、己の職務に向き合う誠実な手だと分かったからかもしれない。


「実家にも帰れない。屋敷にも置いておけない。……そもそも、勝手にやってきて行き倒れてた人間の面倒なんて、アイツには見る必要性なんてなかったはずなんだけどね」


 腰周りまで測り終わったエレノアは、立ち上がると作業台の上からメモ用紙とペンを取り上げた。ペンが紙の上を走るサラサラという音はエレノアの声と混じると柔らかく工房の中を流れていく。


「アタシ、ものすっごく駄々をこねたの。『この屋敷に置いてほしい!』って。アイツ、今はあんなにニコニコしてるけど、昔は愛想なんてカケラもなかったから、内心すっごく怖かったわぁ!」


 エレノアの言葉にメリッサは当時の状況を想像してみた。だが『愛想が欠片かけらもないノーヴィス』も『駄々をこねるエレノア』も想像がつかない。


「そんなアタシ達を、リヒトさんが取り成してくれたの。リヒトさんは、相手の魔法が何に向いているかを判断できる能力があったみたいね。それで、ここの先代店主に、アタシを住み込みの弟子として置いてやってほしいって頼み込んでくれたってわけ」

「ここは、エレノアさんが始めたお店ではなかったのですね」

「そうよぉ、元はアタシの師匠のお店。ダンクワースの姓も師匠から譲り受けたものなの」


 ちなみに店の外観を可愛くアレンジしたのも、ドレスの制作を始めたのもエレノアが店を継いでからであるらしい。


『師匠は紳士服が専門だったんだけど、アタシはどうしても可愛いドレスが作りたくて、途中で修行に出してもらったのよねぇ~』と語ったエレノアは、採寸結果のメモにザッと視線を走らせると今度は工房の端から椅子を引いてきた。足のサイズも測らせてほしいというエレノアの求めに応じ、メリッサは椅子に腰を下ろすと片足を浮かせる。


「エレノアさんの、お師匠様は……このお店の、先代店主さん、なんです、よね?」

「そうよぉ」

「でも先程、ノーヴィス様のことも『師匠』だと、おっしゃっていませんでしたか?」

「どうしても、つながりが欲しかったのよね」


 浮かせたメリッサの足は、ひざまづいたエレノアの太腿と手に柔らかく受け止められる。エレノアの太腿を踏む形になったことに驚いたメリッサは慌ててさらに足を浮かせようとしたが、エレノアの手はそんなメリッサの動きをやんわりと止めた。


「なぜだかは、アタシにも分からない。いて言うならば本能ね」

「本能……」

「忘れられたくなったのよ、アイツに。だから、アタシからねだったの。『アタシに名前をつけてくれ』って。『これから本当のアタシとして生きるアタシを、アンタの力で生まれ変わらせてくれ』って」


 魔法使いの間では、時折師が弟子に名前を授ける。魔法使いに本名以外の名前を授けられるのは、魔法の師だけだ。逆に言えば魔法使いが魔法使いに名を授けたならば、実際に教えを授けたか否かに関わらず、そこには師と弟子という関係が生まれる。


「だから、アタシ、仕立屋としては先代の弟子なんだけど、魔法使いとしてはアイツの弟子なのよ」


 メリッサの両足を測り終えたエレノアは、丁寧にメリッサの足を絨毯じゅうたんの上に下ろすと立ち上がった。そのままメリッサを見つめてパンッと手を打ち鳴らしたエレノアは、バチンッと器用にウインクを投げる。


「新しくあの屋敷の住人になったラッキーガール。アイツの新しい弟子になる、カワイイ魔法使いちゃん。アナタの新しい門出を、姉弟子として祝わせてちょうだい」


 軽やかに言い放ったエレノアは、柔らかな笑みとともに小首をかしげる。その仕草はやっぱりノーヴィスにそっくりだった。


「アタシの魔法は、服を作ることにしか役に立たない。だけどその代わり、アタシは最高の服を作れるわ」

「最高の、服……」

「服は、誰にでもあつかえる魔法なの。男も女も、老いも若きも関係ないわ。なりたい自分になれる、とっても簡単で、最強の魔法なのよ」


 エレノアは大きな両手をメリッサに差し出しながら不敵に笑った。その顔は自信に満ちていて、自分の言葉を微塵みじんも疑っていない。


「さぁ、アタシに教えて。心を広げて、想像するの。アナタがあのお屋敷で着たい服は、どんな服?」

「私が、着たい服……」


 今まで、己がまとう服をそんな目で見たことはなかった。


 制服以外の服はほとんどがマリアンヌのお下がりで、着られればもはやそれで良かった。誰も自分を見ることなんてないと思っていたから、着飾る楽しみも、服を選ぶ楽しみも、随分前に忘れてしまった。


 だけど、今は。


 ──私が、まといたいモノは……


 柔らかに降り注ぐ光と、その下に広がる夜の色。しっとりと光を吸い込む黒と、ラピスラズリのような瞳。


 暗い色はみんな陰気な色だと思っていたのに、あの屋敷で出会った色は、どれも驚嘆するくらいに美しくて。


 ──私の、望みは……


 メリッサは考えがまとまらないまま、差し出されたエレノアの手に己の両手を預ける。その手をエレノアがしっかりと握りしめ、軽く引いてメリッサを椅子から立ち上がらせた。


 フワリと、まるで体が羽か何かにでもなったかのように、信じられないくらい軽やかにメリッサの体が動く。


 その瞬間、こぼれた光がメリッサの視界を奪った。

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