焼きそばパンとコーヒー牛乳と僕

横山佳美

焼きそばパンとコーヒー牛乳と僕

6:30 a.m.

ピピピピ....ピピピピ....。


月曜日から金曜日は、毎日同じ時間にスマホのアラームが鳴るようにセットしてある。

僕の朝のルーティンを邪魔をする者がいてはならない。

掛け布団でさえも、ブリトーのように壁際に小さく丸まって邪魔をしない。

唯一の邪魔者は、今握りしめているこのスマホだ。

こいつと目を合わせてしまったら僕の負けだ。

「いかん、いかん」邪念を捨て、勢いよくベットから起き上がる。


狭いユニットバスでトイレ、歯磨き、髭剃り、シャワーを一気に済ませる。

湿度の高い洗面所からタオル一枚で脱出し、体の水気が引くまで、

パンツも履かずに狭いワンルームの部屋を徘徊する。


ここまでの所要時間20分。いい滑り出しだ。


この間に冷蔵庫に入っていたスポーツドリンクを飲みつつ、今日の着るスーツ一式を選ぶ。白いシャツと、特にこだわりのない普通のネクタイ。僕のこだわりは、靴下だ。今日は目玉焼き柄にしよう。靴下は、意外にも人に見られていて、

会社の若い女の子達が陰で僕の靴下の話をしている事だって知っているんだ。


髪を整え、スーツに着替え、腕時計をつけ、スマホと財布をポケットに入れ、

カバンを持って出かける準備は完璧に整った。


手首を返してパッと腕時計を確認すると7:15 a.m.。全て時間通りに進んでいる。僕のアパートから地下鉄の駅まで徒歩10分。


7時に開店して、既に数人の先客がいる地下鉄駅横のパン屋に入る。

ここで買うものは、いつもの焼きそばパンとコーヒー牛乳。

目を瞑っていても置き場所がわかってしまう程の常連客になった。

秒で商品を握りしめレジへ直行する。

パートのおばちゃんも僕がレジに到着する前に値段をすでに打ち入れている。

金額を聞く前に、僕は250円を釣り銭トレーにさっと入れ、

おばちゃんも間髪入れずにお釣りの13円を僕に渡す。

もう3年間も毎日同じ商品を同じ時間に購入していれば、

パン屋のおばちゃんとだって阿吽の呼吸の動きができる。


釣り銭を財布にしまい、焼きそばパンとコーヒー牛乳を鞄に入れながら、

余裕を持って地下鉄駅の階段を一段一段優雅に降りていく。


7:42 a.m.にくる地下鉄に乗ると決めているのは、

この前後の地下鉄は混んでいるのに、なぜかこの時間だけ混んでいない事を発見したから。席を譲る譲らないのストレスが要らず、安心して座ることができる。この狙い目に気づいているのは僕だけではなく、

僕の正面に座っている女子高校生もだし、斜め前に座っているサラリーマンも同様だ。いつもの顔染みが同じ車両にいつも通り乗っている。


会社の最寄り駅で降り、会社に到着したのは8:22 a.m.。


「今日は2分押しているが、許容範囲内だ。」


大きなオフィスに数人しかいないこの時間の優越感がたまらない。

いつも通り、デスクのパソコンを起動させ、

その間に焼きそばパンを数口で食べ終え、コーヒー牛乳も一気に飲みほした。


そんな、何も考えずとも勝手に体がロボットのように動く

大好きだったルーティン化生活が些細なことをきっかけに破壊した。


その原因は、パン屋のおばちゃんがパートを辞めた事。


その日、いつも通り同じ時間にパン屋に行くといつものおばちゃんがいない。

この時点で僕は少しパニックになったが、いつも通り、焼きそばパンとコーヒー牛乳を手に取った。レジの列を見て唖然とした。小さなパン屋の店先まで列が続いているじゃないか。ここで、商品を戻してパン屋を後にすることもできたのに、

絶対にルーティンを壊したくない意地で、列に並ぶことにした。

チラチラと新人の若い女の子の働きを確認するが、とにかく仕事が遅い。

ベテランのおばちゃんは、客をレジで待たせないようにテキパキと仕事をこなしていたのに、この若い女は何なんだ!しっかり研修を受けてこの店を任されているのだろうか?商品名も値段も覚えておらずダラダラして、お前は亀かと突っ込みたくなるほどの遅さだ。もう、10分も会計の列に並んで待っている。

ここに来るまでは完璧なルーティンをこなし、完璧な時間にここに来たというのに、

自分が作り上げた完璧を他の誰かの手によって壊されていくことに怒りがピークに達していた。

やっと買えた焼きそばパンとコーヒー牛乳を右手に、釣り銭を左手に握りしめたまま、地下鉄駅の階段を焦る気持ちを追いかけるように猛スピードで駆け降りていった。


急げばいつもと同じ時間の地下鉄に乗れると信じて、

時間の遅れをカバーすべく2段飛ばしでウサギのようにピョンピョンと降りていく。


「やばい」と思った瞬間、着地した足を階段の角で滑らせて体が宙に浮いた。

10円玉1枚と1円玉3枚は頭上にゆっくりと飛び散っていくが、

焼きそばパンとコーヒー牛乳は、地面に付かないようにしっかりとに握りしめる。


『ドンッ!!』右腕がありえない角度のまま地面に打ち付けられた。


「全治3ヶ月です。」


利き腕が使えなくなった僕は、全ての動きがとにかく遅い。

馬鹿にしていた亀に僕がなってしまった。

周りに「ご覧の通り、利き腕が使えせんので、勘弁して下さい。」とへり下る日々。

腕が痛いからじゃなくて、こんなに情けない自分の姿に泣けてくる。


しかし、この怪我で完璧主義が破壊されたのは悪い事ばかりじゃやなかった。

自分ができる事だけを、時間を気にせず自分のペースでやることは、

意外にも気楽だし、なぜか時間にも心にも余裕ができた。


時間に追われ、キリキリしたルーティンの鬼化していた頃よりも

生活に満足度が増していることに気づき始めていたが認めたくはなかった。


今日なんて、会社の女の子に「片手でも食べやすいかなぁと思ったんで、

ブリトー買ってきましたよ。」とお昼ご飯を渡されて驚いた。


近頃の俺は感傷的なんだ。少し涙ぐんだ目を見せないように俯いたまま小声でささやく。


「あ、ありがとう。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焼きそばパンとコーヒー牛乳と僕 横山佳美 @yoshimi11

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ