第624話 結界の中へ

 交戦からどれだけ時間が経過しただろうか。

 蚊の羽音で耳がおかしくなりそうだ。

 普段なら煩わしい程度ですむはずの音が、数が集まるだけでここまで凶悪になるとは。

 嫌悪感で鳥肌が止まらない。


 そんな中で、アレクシアの魔法技術は素人目に見ても優れているのが分かる。

 彼女の火は次々と迫りくる相手をせん滅し続けていた。

 だが、アレクシアの魔力は無限ではない。


 そしてどれだけ効率よく魔法を扱えても、消費がゼロになったわけではない。

 途切れることのない蚊の魔物を相手に、魔法を唱え続けたアレクシアは見て分かるほど消耗し始めていた。


「一旦途切れたわ」

「今ので七つ目ですね……」


 七つの巨大な塊を焼き尽くし、蚊の魔物が見えなくなった。

 アレクシアはそれを確認すると座り込む。

 滝のような汗をかき、呼吸が荒い。

 今のうちにアズやエルザがアレクシアの汗をぬぐい、飲み物を渡す。

 それから魔力ポーションを飲ませた。


「これ、苦いわ」

「我慢して飲んでください。完全に魔力切れを起こしたら辛いですからね」

「分かってるわよ」


 口元を拭ってアレクシアは再び立ち上がる。

 我慢強さは健在だ。まだ彼女の闘志は萎えていない。


 一方でエヴァリンは表情一つ変えていない。

 アレクシアと同じ程度の魔力は消費したはずなのだが。

 彼女からすればたいした消費ではないのか。


「疲れたのならずっと座って待っていてもいいのよ」

「心配しなくてもまだいけるわ」

「別に心配はしていないんだけど……」

「なら構わないでしょ」


 対抗意識もあるのだろう。アレクシアにとって火の魔法は得意分野だし、少し張り合っているのかもしれない。

 火の魔法を使い続けた影響で周囲の気温はかなり上がっている。

 エルザ曰く、周辺の火の属性が強くなっているらしい。

 これはこっちに有利な状況ではある。


「また追加が来たわよ。いつまで続くのかしら」

「ちゃんと総数は減ってる。前ほど空を覆う黒い影が大きくないし」


 やがて奥から蚊の魔物が押し寄せてきた。

 アレクシアの限界を迎える前に一度撤退も考えるべきだろうか。

 それともエヴァリンを頼りに倒しきるか。

 どっちが正解かはまだ判断できない。

 少なくとも今のところエヴァリンの魔力が尽きることはなさそうだ。


 アレクシアとエヴァリンが引き続き魔法を結界に向けて放つ。

 それを見ながらこっちでできることはしておこう。


「これでいいのか?」

「はい。上出来です」

「あっちは終わりました」


 エルザの指示に従って、手持ち無沙汰になった全員でちょっとした魔法陣を描く。

 この魔法陣の効果は使用者の魔力を消費して中にいる人物の魔力を回復する。

 それと火の属性強化のものを用意した。

 魔導士が作成する本格的なものではないが、それでも少しは二人の力になるはずだ。

 持久戦に効果を発揮する。


 更に時間が過ぎ、ついに空を覆っていた黒い塊が全て消え去った。

 奥から増援も来ない。

 どうやらついにまとまった数を退治できたらしい。


「手前にいたのは処理できたわ。人間もやるわね」

「当然よ……」


 アレクシアの顔色はかなり悪いが、意識はハッキリしていた。

 顔色が悪いのは魔力欠乏の症状だ。

 口元に魔力ポーションを持っていき、強引に飲ませる。


「よくやった。一旦休め」

「まだ終わってないでしょ。あくまでも増えた連中を焼いただけで全滅させたわけじゃない。ちゃんと一匹残さず倒さないと終わりじゃないわ」

「その通りよ。数日放っておけば元通りになるんじゃないかな」

「たった数日で……」


 もう一度同じことをやらせたらアレクシアはもたない。

 疲れているところに悪いが、ここまできたらやりきるしかなさそうだ。


「危険になったら撤退する。エヴァリンさんもそれでいいですね。これは確実に守ってください」

「分かったわ。中がどうなっているか気になるし、人間の指示に従ってあげる」

「それで構いません」


 エルフからすれば人間はどうしても格下扱いになるのだろう。

 だがそれでも指示に従ってくれるのは助かる。


 結界内に侵入する。

 入ってきた穴は全て塞いだ。

 火の魔法を浴びせ続けたからか周辺の空気は乾いており、腐った地面も完全に焦げている。

 焦げ臭さはあったものの、醜悪な匂いは嗅がずにすんだようだ。


「この結界、範囲を縮めたりできないの? 倒す度に小さくしていったら処理も楽そうだけど」

「できない。結界は一部を開け閉めすることはできても、大きくしたり小さくはできないの。一度解除してもう一回結界を張ることになるわ」

「それだと獲物が外に出る可能性が排除できない、か」


 フィンの提案は却下された。

 結界は便利だが、そこまで応用はきかないらしい。

 ところどころから生き残っていた蚊の魔物が襲ってくるが、数は大したことがなく対処も容易だ。


 やはり数が揃ってこその脅威だ。

 少数ならば魔物であってもそれほど恐ろしくない。


 腕にチクリとした痒みがする。

 大きな蚊の魔物が血を吸っていた。

 咄嗟に手で叩くが避けられる。

 図体は大きいのに普通の蚊と同じ俊敏さだ。


 次の瞬間アズが剣を振る。

 すると蚊の魔物が真っ二つになって地面に落ちていった。


「噛まれた場所の血が止まらないですね。包帯を巻きましょう」

「ああ、頼む」


 薬を塗り、アズが包帯を巻いてくれる。

 薬が効いたのか包帯に血が滲むことはなかった。


「一匹で結構吸われたわね。しかも一度吸われたらすぐには血が止まらないってのも厄介だわ」

「しかも血の匂いで仲間を呼ぶみたいですよ」


 周囲にまた羽音が響く。

 エヴァリンはそれを確認すると、杖を掲げる。

 高温の熱風が周囲に吹き荒れ、蚊の魔物たちは吹き飛んだ。


「足を止めないで。早く奥に行きたいわ」

「……そうしましょう」


 長居するとなにが起きるか分からない。

 発生源の場所へ急いだ。


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