第565話 血にまみれた大司教

「これは……驚いたな」


 フィンが帰宅して二日後。

 長い睡眠から起きたフィンが関わった事件の報告書を書いてまとめてくれたので読んだのだが頭を抱えている。

 ティアニス王女の警備体制の不備に、メイドによる暗殺未遂。

 首謀者は貴族で、しかも子供ながら暗殺者ギルドを立ち上げていたという。

 戦闘中に相手がボヤを起こし、その貴族の家は全焼してしまったようだ。


 流行りの小説だってこんな荒唐無稽な設定はやらない。

 事実は小説より奇なりというが、フィンから聞いた話でなければとても信じられなかった。


「どこまで書くか迷ったけど、変に隠してもしょうがないし事実だけを書いたわ」

「そうか……改めてお疲れ様」

「久しぶりにやったけど、もうああいう仕事は引退ね。身体が持たないわ」

「いいんじゃないか。フィンなら普通に働いたってやっていけるよ」

「ま、あんたっていう雇い主もいるしね」


 なんにせよ解決したようでよかった。

 報告書を見る限り死んで当然の相手ではあるが、それでもフィンには重荷だったに違いない。

 うちにいる限りはもうそういうことはやらなくて済むだろう。


「これがその貴族の家にあったっていうロザリオか? ずいぶん古臭いな」

「銀で造られてるけど変色してるし、年代物よね。形はともかく、意匠はみたことないし」

「そうだな。まあこういうのは専門家を呼ぶのが早いだろう」


 そういうわけでエルザを呼んでくる。

 はーい、といつも通りの明るさで部屋に入ってきたエルザだったが、このロザリオを見た瞬間明らかに顔色が変わった。


「これをどこで……?」

「王女を暗殺しようとしてた変態貴族の家にあったわ。その持ち主が色々と技術を変態貴族に教えてたみたい。ロザリオを持ってたってことは聖職者だっていうのにとんでもないやつよね」

「創世王教にはありませんでしたが、他の教会の中にはそういったことを専門にする組織もあったそうですよ。おそらくその名残でしょう」

「教会って結構えげつないわね。まあでもあいつらなら確かにやりそう」


 エルザはロザリオを手にとると、そっと右手をかざす。

 すると古びたロザリオの汚れが消え落ち、銀の輝きが戻った。


「やはりグレゴリオ大司教のもの……」

「誰よ、そのグレゴリオって」

「太陽神教の大司教にして異端審問官を束ねる人物です。そしてこの大陸でもっとも多く異教徒を手にかけた人物でしょう」

「うげっ、異端審問官ってあれでしょ? 教会に都合が悪い相手に罪をでっち上げて死刑にする連中」

「……本来の異端審問はそういうものではありませんけどね。教会内で問題が起きた時の裁判所のようなものです。誰かを死刑にするものではなくて、最も重くても破門で終わりという程度のものなんですが」


 太陽神教の異端審問は一時期有名になったことがある。

 今のように太陽神教そのものが問題視される以前のことだが、教会内で盗みを働いた子供がいた。

 子供が捕まった時、太陽神教とは別の神を信じていたことが発覚し異端審問にかけられたのだ。

 その結果鞭打ちの後、神の許しが出るまで教会に奉仕すること。

 子供は親がいなく身内もいなかったのだが、いくらなんでも子供にやることではないと批判が起きた。


 今思えば、あの子供は恐らく生贄にされたのだろう。

 その証拠にあれからあの子供を見かけたことはない。


「しかしおかしいですね。グレゴリオ大司教はかなり昔の人物のはずなんですが……。生きていたとしたら年齢は百歳を超えます」

「誰かが名前を偽って渡したとか?」

「どうでしょう? なんにせよこれはあまり持っていない方がいいと思います。清めたにもかかわらず怨念めいたものが残ってますし、処分しましょう」

「まぁ、エルザがそう言うなら構わないが。いいよな?」

「私はどうでもいいわ。銀とはいえたいしたお金にならないでしょうし」

「では……」


 エルザが何やらぶつぶつと唱えている。

 どうやら祈りと共に唱える聖句のようだ。

 すると汚れ一つなかった銀のロザリオに少しずつ黒い染みが浮かびあがってくる。

 まるで汚染されているかのようだ。


 エルザの力が強まると共にロザリオにひびが入り、ついに砕けた。

 しかし砕けた瞬間黒い染みが骸骨の形へと姿を変えて浮かび上がる。


「死こそ最も恐れるべき恐怖である」

「なにこいつ、喋ったわよ。魔物じゃないでしょうね?」


 フィンがヨハネを後ろへと引っ張り、武器を構えて対峙する。


「ロザリオに込められていたグレゴリオ大司教の意志でしょうね。見る限り怨念のようなものみたいですが」

「我が神よ。私は貴方のために屍を積み上げた。どうか、私から死を遠ざけて下さい。私を不死にしてください」

「聞くに堪えない」


 エルザの顔から笑みが消えていた。

 骸骨を侮蔑するかのような眼つきだ。


「信仰のためですらなく、多くの人を犠牲にして願ったことが自らの不死とは……」


 エルザが聖句を唱え終わった瞬間に骸骨もその姿を消失させた。

 そしてロザリオも完全に消えてなくなる。


「ろくでもないやつだっていうのは分かったわ。あの変態貴族も影響を受けたでしょうね」

「恐らく何らかの方法で不死になって、大司教という身分で王国内で何かをしていたのかも。注意しておいた方がいいかもしれませんね」

「王女暗殺にも関わっているかもしれない、か。王国の実情って結構ガタガタなのかもしれないな。こんな時こそ王様にしっかりして欲しいと思うけど、ティアニス王女殿下がそうなるんだよな。他人任せにするよりは自分で支えた方がマシか」


 イザード王がいればなと思ったが、口に出すのはティアニス王女にも失礼だ。

 とにかく今は彼女の身の安全に気を配らなければならないだろう。

 しかしどう伝えたものか。

 アナティア嬢に先に相談した方がいいかもしれないな。


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