第549話 のんびり

 ちゃぷちゃぷと大きな湖の水面に浮かぶ浮きをボーっと眺めながら、時間の流れに身を任せている。

 たまに魚が浮きをつついて揺れるが、浮きに食いつく素振りはなかった。


「ご主人様、なんで私たち釣りをしているんでしょうか?」

「俺が聞きたいくらいだ」

「あはは……でも私は嫌いじゃないですよ。ご主人様とゆっくり過ごせるので」

「こうしてゆっくり二人で過ごすのは久しぶりだな」

「ですねー」


 隣ではヨハネと同じようにアズが木の椅子に腰かけて釣竿を握っている。

 日よけのために被っている麦わら帽子がよく似合っていた。

 湖で釣りをしているのはアズとヨハネの二人だ。

 他の皆はそれぞれ適当に手伝いをして過ごしている。


 どうしてこうなったのかというと、夕食の食材を調達するためなのだがその経緯がなんとも急だった。

 ルーイドに訪れたものの、住人たちはいつもと変わらない日常を過ごしており影響と言えば精々家畜が少し騒がしかったくらいだという。

 代表とも話したが、王都の事件すら知らなかった。

 彼らにとっては日々の暮らし……畑や家畜の世話と手元にどれだけお金があるかが大切なのでありそれ以外はたいして興味がない。


 娯楽としてゴシップは好まれるようだが、その内容は家畜が子供を産んだとか今年の作物の出来はよかったとか牧歌的な内容のものだ。

 そんな中わざわざ不安を煽るようなことを知らせるのもどうかと思い、王都に寄ったついでに顔を出したと説明した。

 差し入れとして持ってきたエールと魔物の肉は大変喜ばれ、ちょっとした祭りをしようという話になった。


 エルザとアレクシアは土の精霊石の様子を見に行くついでにあの甘い芋の収穫へ。

 たくさん収穫できているといいのだが。

 フィンとオルレアンはルーイドのおばさま方に連れられて料理の手伝いに。

 子供だからかもみくちゃにされて可愛がられていた。二人とも困ったようにしていたが嫌そうにはしていなかった。


 そしてアズとヨハネは魚の調達を半ば押し付けられてここにいる。

 一応とりまとめ役なのだが……身内として受け入れられていると思うべきだろうか。


「よっと」


 ぼうずのヨハネとは違い、アズのバケツには魚が何匹も泳いでいた。

 釣り竿が動いた瞬間に反応し、見事に釣り上げている。

 たまに浮きに反応があるものの、反応が遅れて逃がすヨハネとは大違いだった。


「任せて下さい。私がご主人様の分まで釣りますので」

「俺もなるべく頑張るよ」


 男としての、もしくは主人として意地を発揮させてなんとか一匹は釣りたいところだ。

 鳥の鳴き声が聞こえてきて、太陽の温かい日差しの中で風が吹いて涼しい。

 自然を感じるという言葉がピッタリだった。

 最初は色んなことが頭の中に思い浮かんできたが、やがて雲の動きを見ながら何も考えずに過ごすようになった。

 頭が暇に慣れたのだろう。こんな時くらいのんびりしてもいいじゃないか。

 隣にいるアズと会話するのも心地よい。


 太陽が移動し、もうそろそろ夕方になる頃。

 一匹も釣ることなくそろそろ切り上げるかと思った瞬間。

 浮きが消える。


「あれ」

「どうしました?」

「いや、浮きが……」


 喋っている途中ですさまじい力が釣竿を引き寄せる。

 口を閉じて慌てて両手に力を入れて持っていかれないように踏ん張る。

 凄い力だ。思わず立ち上がってしまった。

 釣竿を持っていかれないようにするのが手一杯で、とても吊り上げられそうにない。


「アズ、手を貸してくれ」

「分かりました!」


 アズが自分の釣竿を置いて懐に入ってくる。

 そして釣竿を握ってくれる。石鹸の香りが鼻孔をくすぐった。


「凄い力ですね!」

「ああ。大物だろうな」


 獲物が引っ張る力を緩めるタイミングでアズと力を合わせて引き寄せる。

 アズの力には抗えないのか、その度にぐぐっとこっちに引き寄せることができた。


「よいしょー!」


 ある程度近くまで来たら、アズは強引に獲物を引き上げる。

 釣り竿が折れるのではと思うほど大きく曲がりながらもその姿を現した。

 丸々と太った魚だ。

 とても普通の魚とは思えない。


「これ……魔物ですかね? そんな感じがします」

「冒険者のアズがそう言うならそうなんだろう。魚の魔物か、このデカさはたしかに普通じゃないよな」


 地面に吊り上げても全身を動かして跳ねる。

 水が跳ねてくる。なんて元気な魚だ。


「えい」


 アズが石で頭を殴りつけてようやく大人しくなった。

 口を開くと、奥に魔石がある。

 やはり魔物だったようだ。

 ルーイドの人たちはここでよく釣りをしているとのことだが大丈夫なのだろうか?


 魚を持ち帰ると、祭りの準備は進んでいた。

 おばさま方たちに魚が大変喜ばれる。

 結局アズのお陰だが面目が立ってよかった。

 魚は全て串を刺して焚き火で調理するらしい。

 あのでかい魚もだ。


「あの魚は魔物みたいですけど、大丈夫なんですか?」

「ああ、あれは湖の主みたいなもので。なんとか釣ってもしばらくすると現れるんですが、まあ無害ですよ。湖の魚を食べ尽くすこともしませんし、人間を襲いません。無理に釣ろうとして湖に落っこちるやつはいますが、勝ち誇った顔で無視されますな」


 代表にあの魚のことを聞いてみると、そんな返事が返ってきた。

 魔物はすべからく危険ときいたのだが、まさか魔物もルーイドの空気に平和ボケでもしたのだろうか。

 ここにいると普段セカセカしているのが馬鹿らしく思えてくる。


 エルザとアレクシアが戻ってきた。

 土の精霊石は順調なようだ。


「見て下さい。たくさん採れましたよ」

「立派な畑になってたわ。育つのも早くていいわね」


 北の地方で分けてもらった甘い芋もよく実っている。

 この芋は巨大な鍋で芋煮にしてしまうようだ。

 なるほど、これならティアニス王女から課せられたノルマも満たせそうだ。


「あんたたちも暇なら手伝ってよ」

「旦那様、お願いします」


 エプロンを身に着けたフィンとオルレアンがひたすら野菜の皮を剝いている。


「あんたたち包丁の扱いが上手くて助かるわぁ」

「当然よ。楽勝だわ」

「うちの息子の嫁に欲しいくらい。まだ四歳だけど」

「それは遠慮しておく……」

「私は旦那様のものですので」


 フィンも上手く馴染んでいるじゃないか。

 オルレアン、その言い方は誤解を生むと思う。


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