第540話 商会長に圧し掛かる責任
エルザを部屋から出し、大きく伸びをした。
一つ肩の荷が下りた気がするな。
エルザもきっと同じ気分だろう。
立場ゆえに言えないことも多いのは最近身に染みているところだ。
明日からまた忙しない日々が始まることを考えると、もう寝て体力を温存しておいた方がいい気がする。
風呂はアズたちがまだ入っているだろうか?
ドアが誰かにノックされた。
「入っていいぞ」
身内の誰かだろうということで許可を出す。
ドアを開けて中に入ってきたのはオルレアンだった。
色白の肌が少し赤みを帯びており、体中から湯気が立ち上っている。
髪はまだ少し濡れており、首元にタオルをかけていて風呂上りなのは明白だった。
青い薄手のパジャマが少し身体に張り付いている。
「旦那様、お風呂が空きました」
「わざわざ言いにきてくれたのか。ありがとう、あと髪がまだ乾いてないぞ」
オルレアンに近づき、首元のタオルをとってまだ濡れている青い髪に被せてゴシゴシと水気を拭き取る。
タオルを動かしたことで長い髪が動く。
しっかりした子だが、こうやって接するとまだ子供だなと感じる。
「暖かくなってきたとはいえ、まだ夜は冷える。風邪でもひいたら大変だからな」
「も、もう大丈夫です。だいぶ乾きましたから後は自分で」
「そうか」
オルレアンが少し身動ぎし、恥ずかしがる素振りをしてタオルを両手で抑えた。
本人が言うのならそうなのだろう。
「それでは部屋に戻ります」
「あまり夜更かししないように」
「もちろんです。旦那様にご迷惑はおかけしません。他の皆様も同じだと思います」
「その気持ちは嬉しいけど、寝不足はともかく迷惑はいくらでもかけていいんだぞ。お前はまだ子供だし、俺は大人として責任を持って預かっているんだ。迷惑をかけられたからって、嫌いになったりはしないよ」
オルレアンの敬語が抜けないのは、その立場ゆえだろう。
特殊な環境と経歴から親が健在にもかかわらず、一人生まれも違う国で働いている。
それも目を見張るほど一生懸命に、手抜きすることなく。
同じ年頃の頃はヨハネも親の手伝いをしていたが、頭の中は遊ぶことばかりだった気がする。
こっちは助かるが、健全とは言い難い。
なので、せめてここもオルレアンにとって安心できる場所なんだときちんと伝えることが大事なんだと思う。
その気持ちが伝わったのか、オルレアンは深々と頭を下げてきた。
「ありがとうございます。旦那様には出会った時から本当によくしてもらってると思ってます」
それから頭を上げると、逃げるように立ち去っていった。
オルレアンのおかげで、大きくなった商会の規模と共に増大した事務作業を無理せずこなせている。
むしろわがままの一つくらいは言ってもらった方が気が楽だがその機会はなさそうだ。
それから一風呂浴びる。
出しておいた新作の石鹸の感想をアズたちに聞いておかないとな。
若い女性という想定顧客とピッタリ合っているので、意見を聞く先としてはベストだ。
その意見の積み重ねが帝国でも人気の石鹸へと繋がっていった。
こういう小さな積み重ねはバカにならない。
人気商品はこういうところから出てくるのだ。
次の商売も考えて種をまいておきたいのだが、今は抱えている事業で手一杯だ。
巨大な商会はどうやって山ほどある事業を抱えているのだろうか。
不思議でならない。人間の手は二本しかないし、頭で考えられることには限界がある。
カズサに宿屋を任せ、カイモルに商店を任せたように信頼できる人間を見つけたり育てて預けるしかないと思う。
ただ、ルーイドの管理や他の都市との交易は他人に任せられない類の仕事だ。
ティアニス王女の相談役もそうだ。
下手すると数年は今のままになるだろう。
新しい事業をするなら、いい仕事だが金に困っているところを買収するとかになるだろうか。
うーん、買収が視野に入ってくるとは。
店一つを切り盛りしていた時からは考えられない規模になってきたな。
アズを奴隷商人から買い取った日から運命が変わった気がする。
彼女たちが幸運を運んできてくれたのかもしれないな。
だが、こういう時に浮かれて調子に乗ると痛い目にあう。
唸るほど金を持ち絶頂を誇った商人が、その日の食べ物に困るほどの貧困に陥ることは決して珍しい話ではない。
地に足がついてこその商売だ。
商会の規模が大きくなると何か起きた時の反動も大きくなる。
大切なのは財務の健全性である。
定期的に帳簿を確認し、手元に金をきちんと持っておかねばならない。
少し浮かれて危うく資金がなくなりかけたことを反省し、改めてしっかり運営していこうと心に決めた。
もう失敗して路頭に迷うのはヨハネ一人ではない。
商会に関わる多くの人たちの人生を背負っているのだ。
ゾクっと背筋が震える。
口元に手をやると、口角が上がっていた。
恐ろしいという感情と共に、金を稼ぐ規模が大きくなったのを楽しんでいる自分がいるのも確かだった。
次の日、山盛りになったパンケーキで朝食を済ませて馬車に乗り込む。
アズとオルレアンは少しばかり夜更かししてしまったようで、眠そうにしていた。
だが出かける前にはしゃんとしているのはさすがだ。
アナティア嬢からバロバ公爵に何か伝えておくことはないだろうか。
魔道具を使って尋ねてみると、手紙を渡したいとのことだった。
アーサルムにポータルで移動する際に王都に立ち寄るのでそのタイミングで回収することにした。
「よし皆、行くぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます