第518話 流れ弾

 どれだけ疲れていたとしても、しっかり食べて休めば人間は元気になるものだ。

 あれからアズたちの看病のお陰もあり完全に元気になった。


 大怪我をしなかったことが幸いだっただろう。


 ……目が覚めてからはアズがずっと引っ付いて世話をしてくれたのは助かったが、さすがにやりすぎてアレクシアに怒られていた。

 着替えから食事の介助まで全部やろうとしたからな。


 こういう光景を見れるのも命あってこそだ。


 こっちの回復を待ってケルベス皇太子への謁見が組まれた。

 向こうも一刻も早く状況を知りたかったと思うが、譲歩してくれたらしい。


「そもそも帝国は既に失態を犯してるわけだし、ここは寛大な態度で接するのが最良って考えたのかしら。巻き込まれるのはこれで二度目ってのもあると思うわ」

「そうですよ。ご主人様の命を何だと思ってるんでしょうか? 思い出しただけでゾッとします」

「今回はわざとじゃないからそう言ってやるな。それに責任を負わせることは事実上不可能だから、こっちも最後には大目に見るしかない」


 帝国と王国の力関係、そしてヨハネの立場。

 決して無下には扱われないものの、それ以上を望むのは難しい。


「なんにせよ何らかの譲歩をしてくれるだろうから、それが今回の詫びって形に落ち着くだろうな。むしろ原因の究明に当たってほしいよ」


 残虐な神の残滓に取り込まれた今回の事件。

 帝城神隠しと呼ばれているようだが、なぜ起きたのかは取り込まれた側のヨハネには分からない。


 イザード王、そしてイエフーダたちの協力もあり無事解決はしたものの経緯は謎に包まれたままだ。

 帝国側で捜査は行われているだろう。その内容を聞きたい。


 身嗜みを整える。

 事件の際に着ていた服は完全にダメになっており、帝国で新調することになった。

 代金はもちろんケルベス皇太子持ちだ。

 帝国の服は暑い土地柄のためか風通しがよく、これはこれで良いものだ。


「アズ、これを持っていてくれ。俺よりもアズの方が安心できる」

「分かりました。……これって何なんですか?」

「バロバ公爵とアナティア嬢へのお土産さ。きっと喜んでくれる」


 アズへ王冠の破片を渡す。

 持ち主を失ったからか輝くような黄金は鳴りを潜め、くすんでしまっている。

 これをバロバ公爵に渡すことがイザード王へのせめてもの礼になるだろう。


「行くか」


 ケルベス皇太子の元へ移動する。

 王の間ではなく、執務室に通された。


 あそこは色々とあったからか、まだ記憶が鮮明に思い出せるのでこっちとしても助かった。


 部屋の中にはケルベス皇太子と護衛のグローリアがいて、それから数人の男性が仕事をしていた。


「おおヨハネ、よく来てくれたな。話は聞いていたがよく無事に帰ってきたな」


 座っていたケルベス皇太子は立ち上がり、こっちの右手をとって強く握手してきた。


「ご心配ありがとうございます。生きた心地がしませんでしたが色々ありまして」

「その話をずっと聞きたかったんだ。さあ座ってくれ。関連部署の人間も呼んである」


 数人の男性についてケルベス皇太子が紹介してくれた。

 捜査を指揮する人たちとのことだった。


 椅子に座ると、ミルクをたっぷりと入れた紅茶を用意してくれる。

 甘い味が染みる気がした。


 紅茶で喉を潤し、事件のことを最初から説明し始める。

 思い出しただけでも本当に身の毛のよだつ出来事ばかりだった。

 それにはっきり言って荒唐無稽な内容なのだが、ヨハネ以外にも被害者が出ているのもあって法螺だとは思われないようだ。


「内部ではそんなことになっていたのか。赤い月に関しては噂話が時折流れることはあったのだがいくら調べてもハッキリとしなくてな。まさか古くから帝国、そして王国の行方不明者に関わっていたとは……」


 ちなみに神が関わっている部分は強力な魔物ということにした。

 ある意味間違ってはいないし、頭がおかしくなったと思われては困る。


「感謝するぞヨハネ。そんな凶悪な魔物を退治してくれるとは。お前には助けられてばかりだな」

「いえ。私も助けられただけですから」


 イザード王に関しては内部に潜伏していた王国の生存者と説明している。

 最後に魔物と相打ちになったという筋書だ。

 王族に関することなのでティアニス王女との相談なしに全てを伝えることはできない。


「内部でのことは分かった。次はこっちの状況を説明しよう。今回のことはほぼ間違いなく俺やダンターグ公爵を狙ったものだと結論付けた。要は暗殺だな。ヨハネの話を聞く限り、もし巻き込まれていたら命を落としていたかもしれん」

「あそこは危険な場所でしたから。御身が無事で何よりです」

「うん。お前だから話すが、以前強襲された経験から寝る時は城から離れているのだ。爺……おっと、ダンターグ公爵夫妻にもそうしてもらった。用心のし過ぎかと思ったが、功を奏したな」


 やはりか。

 帝城を標的にしたものだとは思っていた。

 いくらなんでも偶然狙われたとは考えられない。


 あんな恐ろしい怪物を誘導できるのかという疑問はあるが、その方が筋が通る。


「俺は継承権を放棄した者を除いて血のつながった兄弟や親族を全て粛清した。そうしなければ争いの火種が消えぬからだ。その代わり降伏した貴族に関しては処分は軽くした。領地の運営や維持をするのは彼らだからな。そこまで刈り取っては国が成り立たん」

「……大変なお立場だとは思います」


 支配者の立場というものは難しい。

 帝国という巨大な国ともなれば、その権力を欲するものも多い。

 ケルベス皇太子が戴冠したとしても、継承権を持つ者が残っていれば本人にその気がなくても周りがそそのかしいつ反旗を翻さないとも限らない。


 血に濡れた道といえよう。


「カルロスを倒し、まだ子供の甥をこの手にかけたときに終わったと思ったのだがな……」


 ケルベス皇太子が疲れた顔をして紅茶を飲み干す。

 気丈に振る舞ってはいるが心労は相当なものだろう。


「お前以外にも巻き込まれた犠牲者がいたと言っただろう。ほとんどは無残な死体となっていたが一人だけ別だった。調べたらそいつは怪しげな宝玉と風の精霊石を使って儀式をしている最中にミイラ化していたのだ」

「ミイラ化、ですか」

「うん。うちの魔導士に調べさせたが、その儀式で赤い月の魔物を誘導していた可能性が高い」

「誰なんですか、そいつは」

「アリウス侯爵だ。元老院入りを切望していた男で、俺に取り入るのを失敗するやいなやカルロスと組んだ食わせ物だ。降伏してきたので命は助けたが、領地も権力も失って落ち目になったのを恨めしく思ったのだろう」


 帝国の内輪もめにまた巻き込まれて死にそうになったのか。


「大丈夫ですか?」


 後ろで立っていたエルザがアレクシアに声をかけている。

 アレクシアの方を見ると顔面蒼白になっており、手が震えていた。


「あいつが……父さんの仇がもう死んでたの?」

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