第508話 神に祈れ

 豚が大きく口を開けると、大きな二本の牙が見える。

 あれに貫かれたらひとたまりもないだろう。


 豚はこっちの姿を見た瞬間に冷静さを失い、唸り声をあげ獰猛な様子になる。

 サイズが大きなことと、人の顔が縫い付けられていること以外は一般的な豚に見える。

 豚の足元にはいくつも骨が落ちていた。

 骸骨兵にならなかったのは噛み砕かれてボロボロになっているからだろう。

 蝙蝠人間の死体も見える。


 どうやら仲間だろうとお構いなしに襲って食欲を満たす化け物のようだ。

 その鈍重そうな見た目とは裏腹に、走り出すとかなり速い。

 ヨハネたちは左右に分かれて回避する。


 豚は壁に頭から衝突し、壁を半壊させてようやく止まった。

 ダメージは……なさそうだ。


「チッ、やっぱりデカい体で突撃して来るのが一番厄介だな。対策の立てようが無い」

「突進は回避できそうだが、あのスピードで追いかけられたら逃げ切れないな」

「倒せば解決」


 ジルが大剣を肩に担いで構えた。

 これまで頼もしい活躍をしてくれたジルではあるが、豚との体格差を考えるとかなり不利に見える。


 立ちふさがったジルを見て、涎を垂らしながら再び豚が突撃してくる。

 ジルはタイミングを合わせて上へと跳び、回転しながら大剣を振る。

 大剣は見事に豚の背中を切り裂いた。


「ぎゃああ!!」


 思わず耳を塞いでしまった。

 どう聞いても人の悲鳴が豚から聞こえてきたのだ。

 また吐き気がして思わず口を押える。


「悪趣味だねぇ〜。禁忌に手を出した錬金術師だってやらないぞこんなこと。さすがは闇落ちした神様ってところか」


 イエフーダは煙草を加えながら面白そうに笑っている。

 ……理解できない。いや、したくない。

 笑って話せるような話ではないはずだ。


 やはりこの男はどこかおかしい。話は通じるものの、まともじゃない。

 それはジルも同じだった。


 ヨハネが吐き気を覚えた悲鳴に一切動じることなく切り刻んでいく。

 それどころか噴き出す血に興奮してきたのか笑みすら浮かべるほどだ。


 ジルが優勢に思えたものの、どれだけ斬っても豚の勢いは衰えが見えない。

 突進で壁に激突する度に小屋が壊れていく。


 下手すると小屋が崩れそうだ。

 そうなると蝙蝠人間にまた攻撃されることになる。


「これなら」


 ジルは突進してきた豚の顔を踏みつけ、宙に跳ぶ。

 そして大剣を両手で握りしめ体を反らせる。

 ジルのしなやかな筋肉が引き絞られていく。


 力を溜め、大剣が円を描くようにして動いた。


「あ、バカ」


 イエフーダの呆れたような声が聞こえた。

 誤算があったとすれば、ここは室内でジルは空中にいたということだ。


 大剣は天井へと突き刺さり、半場ほど進んだあたりでピタっと止まってしまった。


 ぶらんとジルがぶら下がっている。


「あれ~?」

「武器がデカいんだから考えて振れって言っただろ。たく考え無しめ」

「抜けない……」


 力が込めにくいのかジルが大剣を引っ張ってもビクともしない。

 豚は届かない場所にいるジルを眺めた後、こっちに狙いを定めた。


「あー。そうなるよなぁ」

「言ってる場合か!」


 松明もとうに使ってしまい、武器といえるのはペンとナイフくらいのものだ。

 こんなものであんな巨体に立ち向かえるわけがない。

 一応ナイフを構えたが、恐怖で腕が震える。


 ……ああ、この精神がヨハネには冒険者に向いていない最大の理由だ。

 もしアズやアレクシアなら。

 あるいはフィンやエルザなら。


 たとえ素手でもこの状態で諦めたりせず最後まで戦うだろう。


「こんなところで死んでたまるかよ」


 それでも口だけは虚勢を張ろう。

 そう思って豚を睨む。


 雄叫びと共に豚が突進してきた。

 瞬く間に距離が詰められていく。


 イエフーダはスリングショットを取り出すと、それを豚へ向けて放つ。

 装填した弾には爆薬が仕込んであるのか当たった瞬間爆発するが、悲鳴を上げながらも勢いは止まらない。

 爆発が小さすぎて効果が薄いのだ。


 突進を左右に避けて回避する。

 そしてすぐさまヨハネへと向きなおした。

 イエフーダよりもヨハネの方が弱いと判断したのだろう。


 動物とは残酷なものだ。

 横に避けようにも壁が崩れているせいで袋小路になっている。

 まずい。


 豚が直進してきた。

 巨体で視界が埋まる。

 イエフーダが何か言っているようだが、もう聞こえない。


 死ぬ。そう思った。


 目の前まで接近した豚が口を開き、牙をへと向ける。

 簡単に噛み砕けるだろう。

 痛みすらないのが救いか。


 …………?


 だがいつまで経ってもその時は訪れなかった。

 何かに守られているように豚の牙が止まっている。


 <――えますか? ――人様!>


 頭の中に途切れ途切れではあるが声が響く。これはエルザの声だ。

 少し前まで常に聞いていた声に涙がこぼれそうになる。


「聞こえるぞエルザ!」


 大きな声で返事をする。

 上手く伝わっただろうか?


 <届いた! アレクシアちゃん、届いたよ! ご主人様、聞いてください>

「ああ、今死ぬ寸前だったんだが何かしてくれたのか?」

 <守護の奇跡を使いました。干渉が酷くて一時的なものですが……>


 豚の攻撃をエルザが止めてくれたらしい。


 <今なんとか救出しようとしてますが……なんとか耐えて下さい。祝福で一先ず援護します。近くに誰かいるんですか?>

「ああ。腕っぷしは頼りになる仲間がいる」

 <――また干渉が強くなってきました。もうすぐこの通話も途切れます >

「分かった。ありがとな」


 エルザの声が聞こえなくなった。

 だが同時に身体に力が漲る。

 祝福の力で強化されたのだ。


 それはイエフーダたちも同じらしい。

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