第407話 お前が欲しい
「私が旦那様の元に、ですか?」
「そうだ。今ちょうど経営の規模が拡大して人手が欲しくてな。特にお前みたいに計算が得意だとなおよい」
オルレアンは即答せず、少し考えこんでいた。
公爵からの恩と、助けてもらったこっちの恩で悩んでいるのかもしれない。
「旦那様には助けて頂きましたし、私としては恩に報いたいと思います。しかし公爵閣下からせっかく引き立てて頂いたのにそうしてしまうのは……」
「もちろんお前からやめろなんて言わない。荘園の立場もあるだろうしな。ただ、お前にとって決して楽な場所でもないんだろう」
「それは……」
即答できないのが答えだ。
優秀なだけでは世の中を渡っていけない。
出自というものをどうしても人は気にする。
少数の身内ならともかく、公爵家という巨大な組織の中ではそれを失くすのは不可能だ。
「ダンターグ公爵には今回の報告ついでに聞いてみるつもりだ。無茶を引き受けたんだから言うくらいは許してもらえるだろう。だがいやだというなら無理にとは言わない」
本当は喉から手が出るほど欲しい。
オルレアンが滞在した数日だけで山のようにたまった仕事が片付くほど優秀なのだ。
人員ならいくらでも替えがきく公爵家よりうちに来てほしい。
だが、オルレアンは奴隷ではない。もう農奴という立場でもない。
自分の意志で決めて欲しいし、それを尊重するつもりだ。
「考えさせていただけませんか? 少し時間が欲しいです」
「ああ。構わない。もし公爵に言うまでに返事が聞けなかったら、断られたと思うことにする」
「分かりました。必ず返事はお伝えします」
伝えたいことは伝えた。
オルレアンを一人残し甲板から立ち去る。
こういう時は男が気を利かせる場面だ。
先に部屋に戻ると、アズたちがゆっくりくつろいでいた。
「お帰りなさい。オルレアンちゃんは?」
「もう少し風を浴びたいそうだ」
「そうですか。体を冷やさないといいけど」
「その心配はないと思うわよ」
アズの言葉に返事をし、ベッドに腰かける。
塩水で奇麗に洗濯されたシーツは手で触ると少しだけべたつく。
今回のことは危ないこともあったがいい気晴らしになった。
店に戻ったらまた激務の日々だ。
鉄鉱石や燃える石の輸送に食い込めたりしないかなとぼんやり思った。
なんせ期間限定とはいえアルサームの関税をパスする権利を貰っているのだ。
酒類と鉱石に限るとはいえ、その効果は絶大。
今は酒を買い集めてカイモルをたまに送っているだけだが、それでも大きな利益になっていた。
これで鉄鉱石にも噛めれば、かなり大きな商売になる。
ケルベス皇太子から預かった手紙はダンターグ公爵によろしくと言っていた。
これはつまり世話になったし便宜を図ってくれということだ。
だからこそオルレアンの引き抜きを思いついた。
もし引き抜きができなかったらこれから出回るであろう鉄鉱石の買い付けをさせてもらうとしよう。
今積んでいる荷だけでもそれなりに稼げるが、定期的な商売にしたい。
王国内でも鉄鉱石は手に入るが、どうしても流通に別の商家が入るので高くなってしまう。
鉱山に直接買い付けてもすぐには売ってくれないだろう。
ティアニス王女に頼めば行けるかもしれないが、あまり借りを作りたくない。
あの少女の目には底知れぬ何かを感じる。
仕事上付き合いは必要だが、なるべく距離をもって付き合いたい。
従者のカノンも口うるさいので苦手だ。
しばらくしてオルレアンも部屋に戻ってきた。
食事に魚のフライを食べる。
それをパンに挟み、バジルのソースで食べるとこれが中々美味しかった。
それから世話になった船員たちと挨拶をかわす。
嵐のことは内緒にしてくれることになった。
彼らとしても海の行き来がしやすくなり、漁や海運業もはかどってメリットが大きい。
そもそも接している海で海軍と呼べるものを持っているのはダンターグ公爵家だけだ。
結果新たな海路は独占され、ますます経済力が強化されるだろう。
……公爵であり、帝国の中枢である元老院の一員であり、海運王か。
これはいくらなんでも力を持ちすぎて敵視されるのではないかと思った。
だからこそ帝国の正統な後継者であるケルベスを支持し、後見人になっているのか。
皇帝の権力とダンターグ公爵家の力が合わされば今は揉めて揺らいでいる帝国もすぐに立て直し強固な体制へと移行するに違いない。
その勝ち馬に上手く乗れた……か。
もちろんこっちは弱小の商人。直接支援しているような大商家に比べれば貰える恩恵も限られるが、それでも十分だ。
アレクシアやアズは食事が終わるとすぐに横になった。
夜通し気を張って疲れたのだろう。
エルザは持ち込んでいた聖書らしき本を読んでおり、フィンは道具の手入れを熱心にしていた。
オルレアンはベッドに腰かけじっと考えている。
明日の朝にはアテイルの港に到着するだろう。
よい答えが得られるといいなと思う。
やがてみんな眠りに就き、波の音だけが聞こえるようになった。
そんななか、まだ陽が開けない時間に誰かに起こされた。
目をこすりながら体を起こすと、周囲が明るくなる。
起こしたのはオルレアンだった。
「旦那様。少し、付き合って貰えますか?」
「分かった、行こう」
他の皆を起こさないようにそっと部屋を抜け出す。
夜明けの海は蒼く、暗い。
海は透き通っており、引き込まれるような感じがした。
蒼海の由来はきっとこの時間帯の景色のせいだろう。
「旦那様。私を助けて頂いた時のことは覚えていますか?」
「もちろん」
……荘園から抜け出したオルレアンが山賊に誘拐された時のことだ。
オルレアンはショックからか忘れているが、乱暴もされていた。
山賊退治のついでにそんな状態のオルレアンを保護し、家に連れ帰ったのが始まりだった。
「……気を使って頂いたのは分かっています。何があったのかも」
「知ってたのか」
「体の傷は消えませんよ」
そう言ってオルレアンはローブを脱ぐ。
薄着になった身体は月光で輝いていた。
エルザの治療でほとんど目立たないが、うっすらと傷痕がある。
鏡か何かで見たのか。それなら覚えてなくても推測はできる、か。
「このような汚い私を欲しいですか?」
「汚くなんてない。お前が欲しい」
それは本音だった。
悪いのはオルレアンではない。もうこの世にいない山賊たちだ。
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