第386話 一歩前進

 咳払いをし、改めて交渉相手の二人を見る。

 ティアニス王女が何を考えているのかはやはり分からない。


「30tですか。確かにその量となるとお好きにどうぞ、とはいきませんね」

「でしょう」

「お話の前に。そちらの方の紹介をまだ受けておりませんので、紹介してくださる?」


 部屋に入って初めてティアニス王女はオルレアンを見た。

 顔こそ笑っているものの、何者かを観察するような冷たい眼差しだ。

 ようやく興味を示したといったところか。


「彼女はオルレアンといいまして。元々の知り合いで、非公式ながら公爵家からの使者です。その縁で話が来ました」

「なるほどなるほど」

「あ、あの。申し遅れました。オルレアンと申します。よろしくお願いします」

「ええ。よろしくね」


 ややぎこちないながらも挨拶を済ませた。

 ようやく第一歩というところだろうか。


「では詳しいお話を聞かせて下さいな」

「分かりました。では私からなるべく要点を纏めて端的にお伝えします」

「それで構わないわ」


 ことの顛末を話す。

 帝国の帝位争いに端を発した食料の奪い合い、そしてそれによる小麦を始めとした主食の高騰。

 餓死者を出さないためにも早めの蓄えを必要としていること。

 そのために小麦の輸入を要望していることをティアニス王女に伝えた。


 王族の情報網なら、恐らくこれくらいは知っているのではないだろうか。


「まぁ、大変なのね。不作も起きていないのに飢餓の心配だなんて」

「はい。そのため是非ともお力添えを頂きたいのです」


 オルレアンはそう言って深く頭を下げる。

 向こうの気持ち一つである以上、こっちは頭を下げることしかできない。

 同じく頭を下げ言葉を待つ。


「姫様。多少ならともかくそれだけの量を帝国に売れば今度は王都の食料に問題が出る可能性も」

「今年は豊作よ? それでも決して余裕があるとは言えないけれど」

「公爵家の顔を立てる程度でよいのです。それにそもそも本当に公爵家からの使者かどうかも怪しい」


 オルレアンの手が強く握りしめられたのを見た。

 これは聞き流すわけにはいかない。


 顔を上げると、ティアニス王女に視線で制された。


「カノン、それは失礼よ。ただ話をスムーズに進めるためにも公爵家であることを証明してくれると助かるのだけど」

「もちろんです」


 オルレアンも顔を上げ、懐から証文と封筒を取り出す。


「必要であればこれを見せるようにと許可を頂いております」


 蝋封された封筒を開封し、中身を取り出すと一枚の布が出てきた。


 広げると模様が編まれているのが見える。

 これはグラバール公爵家の紋章の編まれた布だ。

 特殊な製法で、高級な糸を使って編まれたもので、複製は難しい。

 これ自体が高級な美術品といってもよい。


 グラバール家の判が押された証文と合わせれば、身元の確認としては十分だろう。


「たしかに確認しました。私の部下が疑ってごめんなさいね」

「いえ。必要なことです」


 布を綺麗に折りたたみ、封筒に戻す。

 カノンは渋々ながら頭を下げていた。


 ……もしかするとこの側近は、こういう時に便利に使われているのかもしれないなと思った。


「帝国のことは私も聞き及んでいます。内乱も起こりえると。他国のこととはいえ、民を飢えさせるなんていずれ君主になる者たちのすることではない」

「まったくです」

「結論を出す前にあなたに聞きたいわ」

「なんでしょうか?」


 ティアニス王女に問われ姿勢を正す。

 ヨハネに比べたらまだ子供といってもよい相手なのに、緊張が抜けない。


「増やした分も含めてノルマは達成できそうなのよね?」

「はい。間違いなく」

「そう。ならいいわ。王都の食糧庫は私がお任せしたんだもの、そのあなたが私に話を持ってくるのなら、目処はついているんだもの」

「ルーイドの生産分をそのまま割り当てれば、王国内の小麦の値段も上がらないかと」


 遠回しに、王国の国益にならないならお前が断っているはずだよなと釘を刺された。

 確かに明らかに断られる前提の話ならここまで会いに来る必要はない。一報で十分だ。


「恩を売るいい機会だわ。国境に隣接こそしていないものの、王国にとって脅威であるグラバール公爵家とは仲良くしておいて損はないわね」

「はい。かの公爵は決して恩を仇で返す人ではありません」


 オルレアンはハッキリと断言する。

 貴族ではあるが、公明正大な人だったのは会っているのでわかる。


 しばし沈黙が続く。


 ティアニス王女は様々なことを考えているのだろう。

 何が一番国益につながるかを。


 喉が渇き、つばを飲み込むとその音が部屋に響き渡るような錯覚を覚えた。

 オルレアンは冷や汗をかきつつティアニス王女を見つめている。


 この食糧問題がもし解決しなかった場合、荘園が対立している飢えた別勢力に狙われる可能性だってある。

 国家の問題とはいえ、これはオルレアンも無関係ではないのだ。


「そういえば」


 誰に向かっていうでもなく、まるで独り言のようにティアニス王女は口を開く。


「グラバール公爵家は、皇太子であるサム・アンビッシュルの後見人と思っているのだけど」

「……いえ、そこまでは私には。そういう話があるとは聞いていますが」


 心臓が跳ねた。

 そこまで知っているのか。

 オルレアンから直接そうらしいという程度の話を聞いただけなので、肯定も否定もしない。


 迂闊にそうですよといって、後々違いましたでは困るからだ。


「ひ、姫様。それはこのような場で話して」

「私だって何も知らない相手にこんなことは言わないわよ。やっぱり噂程度にはしっていたじゃない」


 取り乱したカノンに、落ち着きなさいと言いながらティアニス王女は右手を使い、耳に髪をかける。


「王族の中にも色々と意見はあるのだけれど、基本的に内乱が起こって欲しいとは思ってないわ。王国に火の粉が飛んで来たら嫌だもの。それに多少の渡りをつけて恩を売るのも悪いことではないかな」

「では」


 オルレアンの声が色めき立つ。


「……そうね。今回は私がその取引を認めるわ。来年はその分色々と頑張ってもらうけれどね。許可は出したのだから、後はそっちでやってくれる?」

「分かりました。ありがとうございます」

「感謝いたします。ティアニス王女殿下」


 欠片とはいえ、土の精霊石の効果があれば来年も豊作を見込める。

 これは別に大したリスクではない。


 オルレアン共々頭を下げ、今回の話はまとめることができた。

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