第272話 トラブルは呼んでもいないのにやってくる

 昼食を食べ終え、いくつか作業の手伝いをした後はやるべき作業がなくなり開拓現場の仕事は無事に終了した。

 昨日来た時は見る限り荒れ果てた土地だったが、今は遊休農地といっても通用するぐらいにはそれらしくなった。

 すぐにでも作物を植えることが出来る状態だ。

 明日には種をまき始めるらしい。


 実際にはここから魔物や動物対策に柵などを作る必要があるのだが、畑としては十分だ。

 ゆくゆくはさらに広げていく予定なのだとか。

 現時点でも結構な量の収穫は期待できそうだ。


「ここまで進めば進捗を聞かれても問題ない。助かったよ」

「それを聞いてほっとしたよ」


 肉体労働になるかと思ったものの、殆どアレクシアの魔法で解決したので楽な依頼だった。

 クワドから依頼料と任務の達成証明書を貰う。

 これを冒険者組合に提出すれば依頼完了となる。


 依頼料は金貨十枚。四人で二日間働いたと考えれば十分な金額だ。

 魔導士に対する報酬としては決して多くないのだが、色々と変則的な形になってしまったのでその辺りは仕方ない。


 土の精霊石は静かに佇んでいる。


「あれがある限り、この辺りの土地は豊作になるでしょうね。飢える人が減るのは喜ばしい事です」

「たまには聖職者らしい事も言うんだな」

「……普段はどう思っていらっしゃるんですか?」


 エルザの笑顔が怖い。

 適当に聞き流し、開拓現場から移動する。

 説教のスイッチが入ってしまったのか、エルザからありがたいお話を聞かされてしまった。

 信仰するなら神よりも金の方がいい。触れるし、役に立つ。


 しばし歩いて、アルサームに戻ってきた。

 物々しい雰囲気は変わっていない。

 中に入るための手続きも普段より厳重にチェックされた。


 街の人通りも以前見た時より半分ほどに減っている。


 ヒソヒソと話す人達の姿も目立った。

 この雰囲気は覚えがある。

 カサッドの石像事件が起きる直前によく似ている。


 都市全体の雰囲気が暗くなり、活気がなくなっていく。


 公爵の館が襲撃されてからわずか数日でこうなるのは、恐らくカサッドよりも情報が出回るのが早いせいだろう。


 人から人への噂話だけならもっと時間が掛かる筈だ。

 何かしらの情報媒体があるのかもしれない。


 このまま何もない、というのは考えにくい。

 早いところアルサームから出た方がいいだろう。


 冒険者組合に行き、依頼を完了させる。

 手紙の依頼は無事に受理されたようだ。


 ポータルはまだ封鎖されている。

 残念ながら開く見込みはなさそうだ。


 地図を買って確認したが、一番近いポータルのある都市まで徒歩で行くと十日以上はかかる。

 食料などの補給は間にある村や町でなんとかできるだろうか。


 馬車があればそれぐらいの日程はどうとでも対処できるのだが。

 後はアズ達三人の道具袋に食料を詰め込むか。


 一度宿に戻った後、日持ちする食料を買い込む。

 この辺りは道具屋として慣れたものだ。

 寝袋はあるがテントはないのでそれも入手する。

 その所為で積載量が圧迫されてしまった。


 四人で持てるだけの食料を買い集めた結果、五日分はなんとかなる量を確保した。

 道中で魔物や獣を狩れればいいのだが。


 水はアレクシアに用意してもらえばいい。

 本来は重量の半分を占める水を用意しなくていいのは助かる。

 水を含めると三日分の食料も携帯できない。


「私はさしずめ蛇口ですの?」

「ひねると水が出てくる。素晴らしいじゃないか」


 そう言うとアレクシアに無言で蹴られた。

 奴隷にあるまじき行為だ。


 だが生命線の水を用意してくれるので大目に見る。

 そもそも、一般人であるヨハネをアレクシアが本気で蹴れば骨まで折れる。

 だが、蹴られた足は少し痛む程度でダメージが抑えられていた。


 少し不器用だがこれもコミュニケーションのようなものだ。


 宿の代金は今日の分まではもう支払っている。

 今日はしっかり休んで、明日出発することにした。


 再び宿に戻り、後はトラブルに巻き込まれないように外に出ないように指示した。

 だが、残念ながらトラブルというものは向こうからやってくることもある。


 公爵令嬢のアナティアが護衛を伴って宿に尋ねてきた。

 宿の支配人が部屋に来て事態を説明してくれた。


 来訪を断ることもできると支配人は言ったが、その心意気だけ受け取る。

 敬意を表し、アーサルムに来た時は必ずこの宿に泊まることにしよう。


 部屋に護衛と共にアナティア嬢が入ってくる。

 事件があってまだ日が浅いのにこうして出歩くとは、まったく肝が太い。


 クッションを置いた椅子に優雅に腰かけると、宿の部屋なのに場が華やいだ気がする。


「ヨハネさん、あの場ではしっかりとしてお礼が出来ていませんでしたね」

「いえ、あれは商談のついででしたので。サービスのようなものです」


 間違ってはいない。

 あくまで顧客の安全を守っただけだ。


「あら、ご謙遜を。少し調べさせていただきました。そちらの方々は冒険者としてずいぶんと活躍されているみたいですね」

「ええ、自慢のパーティーですよ」

「なるほどなるほど。商人のヨハネさんが中心となって、ですか。少し変わった事をされているんですね。でも嫌いではありませんよ」


 これはアズ達が奴隷であることも調査済みと思っていいな。

 だからどうしたという話なのだが。


「それで今日はどのようなご用件で? お礼という話なら、今ので十分ですよ。公爵令嬢であるアナティア様から直接お礼を頂けるのは私のような立場の人間からすれば光栄至極に存じます」

「あら、お上手ですね。それとも本題に入ってくれということかしら」


 やはり何かしらの用事があったようだ。

 貴重な縁ではあるが、少なくとも今はあまり関わり合いになりたくない。


「素晴らしい実力を見込んでお願いがあるの」


 可憐な女性からのお願いである。

 ここで嫌ですと言えたらどれだけ気が楽なのだろうか。

 命の恩人であっても商人では断れる立場にないということは嫌でも分かる。


 貴族、それも公爵家に連なる人間の持つ権力はそれほどまでに強い。

 以前ならそれでも断っただろうが、権力の力は嫌でも目にしてきた。


「なるほど。まずはお話を聞かせてください」

「ありがとう。この時点で断られたらどうしようと思っていたわ」

「あなたのお願いを無下に出来る男はいませんよ」


 いたら会ってみたいものである。

 それに、アナティア嬢も自分の立場は理解しているはずだ。



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