第154話 ようやくの休息

 火竜の去った山は静かだった。

 絶対者が居なくなった事で生命の気配が戻っているように感じる。

 公爵の馬車と共に都市アイテルに向かう。

 道中は兵士の護衛もあり、大人しく座っていた。


 というよりは暑さによる発汗の消耗で動くことも出来ず、ぐったりしている。


 先日の火竜の事も忘れたかのように都市の中は賑わっている。

 馬車から降ろされ、市場に取り残された。


 どうやらここで一度終わりらしい。


「また明日に来るように」


 兵士からはそれだけ伝えられ、公爵の馬車は去っていく。

 ただひたすら疲れた。


「ご主人様、これを」


 アズが気を利かせて市場の露店から飲み物を購入してきた。

 果汁の多い果実を潰し、塩を混ぜて氷水で薄めたものだ。


 汗をかいた身にはありがたい。

 ヨハネはそう思って受け取ろうとしたが、ひょいっと腕が伸びてくる。


 エルザの腕だった。


「私にもくれますよね?」

「あの……」


 奴隷としてはあるまじき行為だ。

 普通なら鞭で打たれてもおかしくない。


 アズは困惑する。どうしたものかと判断に困っているようだ。

 ヨハネはため息をついた。


 エルザの行為は罰されない事が分かっていての行為だと理解している。

 見るからに美味しそうな飲み物だが、先にエルザに渡した。


「はぁ。構わんよ。アズ、すまないがこれで全員分買ってきてくれ」

「分かりました」


 アズに金を渡し、買ってきてもらうことにした。

 ついでに先ほどの飲み物の分も払う。

 自分も疲れているだろうに優先してきたのは嬉しい。


「オルレアン、手伝いに行ってやれ」

「はい」


 ヨハネの言葉にオルレアンは頷き、アズを追いかける。

 アレクシアは風の魔法で汗を乾燥させていたので、エルザもそれをねだる。


「あー涼しい。美味しいー」

「これが司祭だとは思えませんわ」

「全くだ。格好以外は司祭に見えない」


 すると、風の魔法と突風が重なりエルザの司祭服がおおきくめくれる。


「わっ。……見えました?」

「ああ」

「反応が薄いですね。女としてはショックなんですが」

「お前の下着を買い揃えたのは誰だと思ってるんだ。目の保養にはなったぞ」

「アレクシアちゃんのも見せましょうか?」


 そう言ってアレクシアの服の裾を持ち上げる。

 白い太腿が露わになる。

 アレクシアはエルザの手を振り払い、肘でエルザの脇腹をつつく。


 力が入ってないのは見て分かる。

 ヨハネを出汁にしたじゃれあいみたいなものだ。


「はぁ。やれやれですわ」


 そうしているうちにアズとオルレアンが飲み物を買って持ってくた。

 オルレアンは両手に抱えており、アズも抱えられるだけ持ち抱えている。


「あの、取ってください」


 アズは完全に手が塞がっていて、目線で訴えかける。

 困ったような表情を見るのは久しぶりだった。


 銅像事件辺りからはあまり見る事は少なくなっていた表情だ。


 ヨハネを信頼出来るようになったからこそ、無意味に怯える必要がなくなったのだろう。

 主人と奴隷との関係性である以上、何時捨てられてもおかしくなかったのだが、ヨハネが命よりも大切にしていると伝えたことが大きかった。


 アズの心の溝を埋めるほどに。


 ヨハネはアズからの好意に気付いている。

 だが、それがどういう意味での好意なのかまでは分からなかった。



「ああ、ありがとう」

「はい!」

「冷たくて美味いな。生き返る」

「ですねー」


 アズはヨハネが口をつけたのを見てから自分の分を飲む。

 甘く、そして酸味があるジュースは瞬く間に消えていった。


 容器を店に返す。

 本来は容器を持ち込む必要があるが、生憎移動して帰ってきたところなのでそんなものはない。


 少し余分にお金がかかるが、これは必要経費だ。


「宿に戻るか……」

「疲れましたね」

「ああ、水浴びしたいですね。でもとにかく横になりたいですわ」

「私は水浴びをしたいです。ご主人様も洗ってあげますよ」

「別にいいよ」

「あ、あの。私も手伝いますよ」


 恥ずかしそうに言うアズの頭を撫でる。

 以前と同じ宿に泊まる。

 宿の主人はこちらの顔を覚えていたようで、声を掛けてきた。


「お疲れさん、領主様との話は上手くいったのか?」

「大忙しだったが、なんとかなったよ」

「それは良かったな。忙しいのが一番だよ」

「確かに。暇な商人なんてやってられないな」


 宿で大部屋をとり、大きな桶を借りる。


 水は自前で何とかなるからだ。


「ええ、ここまで来て扱き使われますの?」

「ああ。なんせ奴隷だからな」

「分かりましたわよ。ええ。奴隷ですからね」


 大きなため息をついて、アレクシアは右手の指先から桶へ向かって水を打ち込む。


 アレクシアのやる気と同じくチョロチョロとした勢いだった。


 暫くして水が溜まると、全員が肌着になり布を浸して体を拭く。


 汗が乾いて気持ちの悪かった部分が綺麗になるにつれて、ようやく不快感が無くなってきた。

 冷たさが体に沁みる。

 本当は桶に体をつけたい位だが、流石に狭い。

 ヨハネ1人ですら入れない。


 アズならなんとかなるだろうが、流石に1人で入るのはと遠慮した。

 部屋の中で一人裸で桶に入るのは、もはや罰みたいなものだ。

 

 誰であっても恥ずかしいだろう。

 エルザなら気にしないかもしれないが。


「私でもちょっと恥ずかしいですよ……」

 


 風呂に入るのは明日だ。明日にしよう。

 全員の共通認識となり、すぐに横になった。

 食事を食べる余力すらない。

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