第52話 貧乏貴族とは

 アレクシアは俺の視線に気づくと、仕方なさそうに口を開く。


「何か用事でもありまして?」

「いや……そうだな。今の暮らしには慣れたか?」


 アレクシアはこちらへ顔は向けず、視線だけこちらに向ける。

 焚き火に枝を足してから、少しだけ時間が経った後にようやく口を開いた。


「最悪ですわね。と言いたいけど思ったよりは快適よ。奴隷としてはね」

「そうか。まぁ衣食住の用意は俺の仕事でもある。ただ貴族の暮らしとは比べてくれるなよ」


 そう言うとアレクシアはふっと笑った。

 何がおかしいのか主人が訝しげな表情をすると、アレクシアは木のコップに口をつける。

 中身はリンゴで作った酢と蜂蜜をお湯で割ったものだ。

 疲労回復と水分補給に優れたドリンクとして用意している。

 王国では一般的な飲み物で、アレクシアも最初は面食らっていたが今では普通に飲んでいる。


「ねぇ貴方。貴族と言っても下にいる貴族の暮らしを知ってる? 二代目とはいっても商人なのだから察しは付くのではなくて?」

「それは……」


 主人は口ごもった。

 アレクシアは帝国から見捨てられた貴族だ。

 つまり帝国にとっては切り捨てても問題のない貴族であり、アレクシアの言う下にいる貴族そのものだ。


「遠慮しなくていいわ」

「悪かったよ」

「いえ、言いなさい」


 睨むような眼に、主人は降参した。

 言わねばそれこそアレクシアの怒りを買うだろう。

 プライドの高い女だ。


「貧乏暇なし、だな。俺の印象からすると」

「もっと酷いわよ。帝国にいた頃より今の方がよほどいい暮らしをしているの」


 それはもはや自嘲と言ってもいい声色だった。


 貴族。尊き青き血。特別な存在と扱われるその実情は様々だ。


 貴族とは言ってみれば土地と権限がその力の源だ。

 大貴族であるほどその力が巨大であり、その力を使ってより大きくなる。


 金はそれに付随するものだ。

 大貴族ともなれば商人から頭を下げて金を借りてくださいと言う。

 お零れがいただければ容易に回収できるからだ。


 では弱小貴族はどうなるか。

 貧しい土地、あってないような、あるいは損しか生まない利権。それでも貴族としての体面で見栄えは悪くできない。必死に金を借りて、しかし返せず結果借金漬けの貴族も多い。


 前線の貴族などそれに加えて軍備も必要だ。よほどの収益が無ければ破綻するのが当たり前。

 王国も帝国も貴族の内情はそう変わらない。


 金が無いのは首が無いのと同じと商人たちは冗談で笑うが、貴族であること以外何もない貴族は本当に金がなく、故にアレクシアの様に使い捨てられる。首がいつでも斬られるのだ。


 アレクシアの父親は、帝国からの侘びという形で家ごと消えた。

 アレクシアは主人が買わねばただの慰み者として表舞台から消えていただろう。


「私の家は……200年ほど前かしら。魔物から国境を守った功績で貴族として家を興したの。その頃は武勇もあって、魔物の資源でそれなりに裕福だったらしいわ。お父様は先祖を見習えとよく言っていた」


 焚き火の音がアレクシアの言葉の相槌となる。

 アレクシアは顔を下に向ける。

 髪が垂れてアレクシアの横顔を隠し、主人からは表情が見えない。


 かろうじて見えた口は泣いたような、或いは笑ったような形をしていた。


「笑っちゃうわよね。今の家には粗末な武器、たいして集まられない兵。碌にエサも食べてない馬。それでもお父様は帝国の為だと言って真っ先に駆けていったわ。私は結果は見えていたけど、止めなかった。止められる筈もないわ。私が出来たのは一緒に行くことだけ」

「そうか」


 アレクシアは再びコップに口をつけたが、中身は空だった。

 主人は焚き火で沸かしていた湯をアレクシアのコップに入れ、リンゴ酢と蜂蜜を入れて混ぜる。


 アレクシアは小さくありがとうとだけ言った。


「偉そうに貴族だなんだと言っても、こんなものよ」

「だが、お前は俺を助けてくれたじゃないか。あれはお前が貴族だったから出来た事だ」

「あんなの……、ちょっと帝国内で見たことを思い出しただけ。寄親が太陽神教の枢機卿と親しかったのよ」


 主人は何も言わない。

 主人は自分のコップに白湯だけを入れて、それをちびちびと飲んだ。


「どうすれば良かったんだろう」

「さあな。聞く限り、手を打つにはもう遅すぎるように思ったが」

「援軍に来ると言っていた寄親の伯爵は最後まで来なかったわ。挙句私の父が争いの元凶だって。帝国の方針に従ってただけなのに」


 主人は静かに話を聞く。

 恐らくアレクシアの父親は立派な人物だったのだろう。

 アレクシアがプライドはあれど悪意や嫌味のない人物なのがその証拠だ。

 気高いと言ってもいいほどに。


 只の商人にとって、貧乏でも気高さを選ぶ貴族は時として理解できない存在として映る。

 商人はあの手この手で国を出し抜くが、気高い貴族は体面が全てであるためそれが出来ない。


 挙句ノブレス・オブリージュという不文律が行動を縛る。


 私利私欲に走る貴族の方が主人からすればよほど分かりやすい。

 金の力を知っているからだ。


 金があれば領地を発展させられる。それは貴族の力を強め、より金を集められる。

 今栄えている土地は、立地もあるがそういう流れもあったのは間違いない。


 そしてその逆となれば……。


「まぁ、済んだことですわ」


 そう言ってアレクシアは顔を上げる。

 声に力が戻っていた。

 その表情はいつも通り、気品と気の強さを感じられる奇麗な顔だ。


 それからは会話もなく、時間が過ぎていった。



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