隣の席のカレンさんは、自分が病んでるということをまだ知らない

明石龍之介

プロローグ カレンさんは気づいていない

 糸島カレンという名を聞いて、ピンとこない人間はこの私立聖星学園高校内には誰もいないと断言できる。


 学校創立以来の美女。

 日本が生んだ奇跡。

 S級の更に上位互換。


 そんな代名詞が次々と与えられるこの学校一番の美女。


 そして、どう評されたところで実物を見ると軽く想像を超えてくる、それが糸島カレンという女だ。


 地毛だという茜色の髪は艶やかに腰まで伸び、琥珀色の大きな瞳は切れ長で大きく整っており、肌の色は透き通るように白く、背は高めで手足は長く細い。

 少し控えめなように見える胸も、ファンに言わせてみればプラスの要素なんだとか。

 まあ、とにかく絶世の美女であることは紛れもない事実。

 

 高校入学と同時に一躍有名人となった彼女だが、その人気と知名度を不動のものにしたのは、入学して数日経った時のことだった。


 この学校はサッカーの強豪校とあって、サッカー部のレギュラーがとにかくモテる。

 特にエースストライカーやキャプテンなんて、ちょっとしたファンクラブができてしまうほどだ。


 だから女子は皆が皆、まずサッカー部の男子に憧れるというのが常。

 可愛い子から順番にサッカー部の連中と付き合い始めるという謎のルーティンが毎年続いていたそうなんだけど。


 そんな誰が決めたのかもわからない不文律を簡単にぶち壊したのが、糸島カレンだった。


「君、糸島さんだよね? 俺、二年の浅木っていうんだけどさ。俺と付き合わないか?」


 まだ入学してから数日しか経っていないのに既に全校生徒にその存在が知れた糸島の元にやってきたのは、二年にしてサッカー部のエースだという浅木って先輩だった。


 男から見てもイケメンだし、細身に見えて腕とかは筋肉がすごいし、背も高いし爽やか。

 ちなみに彼女はいないそうだがその理由が、「誰か一人を選ぶなんて罪なことはできないだろ」だそう。ポリシーなんだって。

 とんだナルシストだが、それでも彼の立ち位置ならなぜか許されるらしく、現在でもサッカー部の練習するグラウンドには毎日のように彼のファンが詰めかけていた。


 で、そんな彼が目をつけたのが糸島カレン。

 ナルシストらしく、放課後の正門前という一番人が多く目立つ場所でわざわざ糸島に声をかけたのだった。

 よほど自信もあったのだろう。

 ていうか一人を選べないというポリシーどこいったと盛大にツッコみたいところだがそれはひとまず置いておいて。

 

 そんな彼の告白を、彼女はツンと冷たい態度で一蹴した。

 相手がサッカー部だけに。いや、上手くないか。


「あ、すみません私、先輩の顔の系統好きじゃないんです」


 その一言は今となれば語り草。

 そしてそのあと凍りついてしばらくその場を動かなくなった挙句、サッカーなのにイップスになってボールがしばらくまっすぐ蹴れなくなった先輩の哀れな姿もまた、今となればちょっとしたネタである。


 糸島のその態度に、当然ファンも憤慨すると思いきや案外そうでもなく。

 実は遊ばれて何又もかけられていた女子たちが何人もいたそうで、彼女たちは浅木先輩をコテンパンにしてくれた糸島に感謝すらしていたとか。

 で、女の敵を駆逐した英雄として、女子たちからも崇められるようになり。


 糸島カレンの存在はこの学校で絶対のものとなったのであった。

 

 誰にも媚びない彼女だが、それでもお近づきになってせめて友達くらいにはなりたいなと考える人間はもちろん多く、同じクラスになれて鼻高々な連中とそうでないやつとですぐに明暗が分かれた。


 他クラスになってしまった連中は唇を噛んで『糸島と同じクラスになれたなんて、もう一生分の運気を使い込んだに違いないだろ』と、妬み節を吐きまくっていた。   


 同じクラスになれた幸運な男子たちの中でも、更に彼女の隣の席というポジションを獲得できた人間に対して、『その幸運と引き換えに寿命を十年は使い込んだ』なんて暴論を吐きながら苦虫を噛んでいた。


 つまり俺は一生分の運を使い切った上で寿命が十年は縮まったそうだ。

 そんなバカな話があってたまるか。


 糸島カレンがいくら美人で気品高く純血の日本人なのに日本人離れした髪や目の色をしていて奇跡の存在などと評されようとも。


 俺にとってはこいつの隣なんて不幸以外の何者でもない。


「ちょっと住之江君、またさっきの授業中寝てたでしょ」


 休み時間の度に、隣の席でぐっすり眠る俺の睡眠を妨害してくるのだから、俺は穏やかではない。

 最も、そんなことくらいで不幸だとは言わないが。


「ん。突っ伏して先生の話を聞くことに集中してただけだよ」

「またそんな屁理屈ばっかり! 板書もしてないじゃない」

「俺の頭の中にしっかりと刻まれてるからノープロブレムだ」

「もう、ほんとあー言えばこう言うわね。昨日は休みだったんだから早く寝たらいいのに」

「いやいや、夜遅くに電話してきたのはどこのどいつ……んぐっ!」

「もうっ、今はそういう話しないで! いいからシャキッとしなさい」

「ごほごほっ……はいはい、わかったわかった」


 何事にもやる気なく、だらしのない俺、住之江時也すみのえときやと、入学当初から優等生キャラ全開で、曲がったことは許さない糸島とのこんなやりとりは日常茶飯事である。


 高校入学から一ヶ月、毎日こんな光景を見させられているクラスメイトからすればもはやお約束ともいえる感じ。


 誰も彼もが「まーたやってるよあの二人」と揶揄する。

 糸島は優等生気質なだけでなく、実際にかなりの秀才でもある。

 受験生の中でトップの点数を取った彼女は新入生代表挨拶にも抜擢されたし、クラスの委員長にだって満場一致で推薦されたほど。


 そんな彼女が、入学一ヶ月にも満たないうちに落第者の烙印を押された俺に毎日説教する流れは、誰の目にも自然なことのように見えているようだ。


 その裏側を知らなければ誰だってそう思う。

 

「はあ……今日は絶対電話でないからな」

「なんでそうなるのよ? あなたが真面目に授業受けないこととそれとは関係ないでしょ」

「ある、大いにある。俺が誰のせいで連日寝不足なのかをクラスのみんなに発表してやろうか?」

「そ、それは……ほんと昔っから意地が悪いんだから」

「知ってるなら俺になんか構うなよ」

「なによ、構ってあげてるのに」

「はいはい、ありがとうございます。んじゃ、おやすみ」

「もう、ちゃんとしなさいよ!」


 俺と糸島はいわゆる幼馴染というやつだ。

 腐れ縁と言った方が俺的にはしっくりくるが、彼女曰く「腐れ縁とかなんか嫌」だそうなので一応幼馴染と紹介しておく。


 ありきたりな、家が隣同士で親同士が仲良くて生まれてからずっと一緒、というのがまさに俺と糸島。 

 ただ、俺と糸島は昔から正反対の人間だ。


「ふあー、眠い。よくみんな真面目に授業なんか受けるよな」

「ほんとそういう余裕がムカつく。勉強しなくても余裕って言いたいんでしょ」

「まあね。でも、さすがにこう不真面目だとには勝てないって」

「わかってるならちゃんとしなさいよ。あと、そんな呼び方やめて」

「なんで? 自分こそよそよそしい呼び方するじゃんか」

「そ、それは……わ、わかってよね」

「はいはい、わかってるって。そう怒るなよカレン」

「ふんっ、意地悪」


 俺は昔っからこんな感じで何事にもやる気がない。

 勉強はしなくてもそこそこ出来るし、運動だって多分やればそれなりに沙汰なくこなせると思ってるが、とにかくめんどくさいが勝つ。

 だから高校でもすぐに怠け者のイメージがついてしまったが、それすら別に気にならないほど。


 そんな俺とは対照的に、カレンはいつも何事にも全力で真面目で、自立もしている。

 誰からも頼られ、誰もに愛される。

 そんな彼女がどうして俺なんかと今でもこうして関係を続けているのかについては本当に理解しがたいのだけど。


 とにかくカレンは俺に構う。

 頼んでもいないのに毎朝家まで迎えにくるし、これまた頼んでもいないのにいつも下校の時には正門の陰で俺を待っている。

 そしてこれももちろん頼んでもいないのに、毎日帰りが遅い両親の代わりにご飯を作ってくれて。

 極めつけには、むしろやめてくれと頼んでいるのに毎晩のように電話をかけてきて。


「ねえ、今何してるの?」

「べ、勉強をちゃんとしてるか確認しただけよ。勘違いしないで」

「本当にちゃんと勉強してる? 部屋に誰か遊びに来たりしてない?」

「エッチな本、隠してないか今度部屋に掃除にいくから。か、勘違いしないでよ、勉強の支障になるから言ってるだけよ」

「今朝、教室でしゃべってた子、誰? 違うわよ、そんなことしてる暇があれば勉強しなさいってこと」


 ずっと、こんなくだらないことばかり聞いてきて、カレン自身が納得したところで電話が終わる。

 毎晩。

 毎晩だ。

 いい加減どうにかしてくれと言っても聞かないし。

 敢えて電話を無視しても鬼電してくるし。

 電源を切ったら夜中でも関係なく家にやってくる。


 本人は自身の行動について「ほんと私って面倒見がいいから苦労するわ」って言ってるけど。

 違う。

 そうじゃない。


 こいつは気づいていないんだ。


「こら、またぼーっとしてたでしょ。私、ちゃんと見てるからごまかせないわよ」

「はいはい」

「ちょっと聞いてる? ねえ、ちゃんと黒板見てる? ねえ、女の子に気をとられたりしてない?」

「してないからお前こそ前向けよ。先生に聞こえるぞ」

「ふんっ、ちゃんとしなさいよね」


 いつもツンツンしているように見える彼女のことを、周りのみんなはこぞって「糸島さんってツンデレだよなあ」と評するけど。

 本人も本人で、「私ってツンデレって言われるけど、そうなのかなあ。ま、病んでる子よりはましだよね」とか、まんざらでもない様子で言ってるけど。


 違う。

 全然違う。


 こいつは。

 糸島カレンは。

 

「ねえ、今日は帰ったらどこもいかない? ちゃんとお部屋で勉強してる? そういえば時也の好きな番組が昨日録画になってたけどどこか行くつもり? ダメよ、ちゃんと家にいないと。遊びに行く暇なんてないんだから。あと、夕食はカレーにしておいたから。それと週末なんだけどね、買い物の予定組んだから付き合って。予定はもちろんないよね?」


 物言いがちょっときつく、一見ツンツンしているように見えるけどそれは表面的な態度でしかない。


 俺のいちいちを監視して、スケジュールを把握して勝手に決めて、なんなら見るテレビの番組にまで口出ししてくる。

 

 今日もずっと、黒板のほうなんか見ずにずっと。

 

 じっと。


 俺のほうだけを見ている。


 隣の席のカレンは。


 自分が病んでいるということをまだ、知らない。

 

 


 

 

 

 

 

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