第7話「水神様へと希望を託して」
台所からは流れていく水の音と、ポカの機嫌良さそうな歌が聞こえる。
「しょっきぃっにっぐらすかっぷこっぷぅー」
部屋の中でもかぶっているフードの上から、ラリオンは耳当てを付けている。木目の壁と同調する優しい色をしていた。
しかし、ラリオンの顔は険しい。
「ぐらすかっぷこっぷぅー、ってコップは警察お巡りさぁん。ぷっぷくぷー」
音痴なのである。
片耳を椅子に押し付けて堪え、開いているだけの新聞に意識を運ぼうとする。だが新聞は、手に力の入ったラリオンによって破られた。
穴の空いた新聞紙を、虫と対峙する時のように丸めて構える。そして水音と音痴の不協和音の下へと歩んでいく。
「ぷっぷくぱんぷくぴーぽーぴーぽーいえろーぴーぽっ、ひゃぁぁ!?」
「ぬわあ! ヘヴィメタルか!」
ラリオンの耳当てが吹き飛ばされた。
「み、水がぁ!」
「なんじゃ……うおおっ!? 水害じゃあ!」
流しに目を向けると、そこは噴水広場になっていた。
ポカは動揺して走り出し、冷蔵庫の中へ飛び込む。
「えっと、フラシャアンじゃなくてニーズマイルじゃなくてマグネットマグネット……」
冷蔵庫に入っている瓶に向かって、ぶつぶつと話している。
ラリオンは丸めていた新聞紙を広げて、噴水にかぶせて水を押さえる。
「ぬおお強力じゃ! バカ! 手伝え!」
「ワタクシはポカ、それどころじゃありません! ま、町の水道屋さんはどこ……!」
「呼んでる暇があるか! あっという間に池になって、お前も水辺のカルガモになってしまうぞ!」
「カルガモ!? ワタクシはカカポモチーフです! 絶滅危惧種リスペクトなんです!」
「バカめ、リスペクトしているのは緑っぽい色と体重だけじゃ! フクロウオウムの風上にも置けないわ!」
「
「だあー! いいから早く来い! ニュースペーパーダムが決壊する…………って止まった」
激しい水音が止まり、ふたりは落ち着きを取り戻した。
冷蔵庫から瓶詰のチニージョウの塩辛を取り出して、ポカはラリオンがいる台所へ戻ってきた。
「いえね、お祝いに打ち上げでもと思いまして」
「ほお、悪くないことを言う。よし! 洗い物が済んだら打ち上げの準備じゃ!」
「かっしこまりました! ……ってぇあれ、ラリー様?」
「うっひょい! ん、なんじゃ?」
「水が、出ません」
「あらま」
噴水は止まったが、浄水も止まった。
濡れた服を脱いで、ポカにも見られぬよう素早く着替えてポンチョを羽織りフードをかぶる。一角獣が所狭しと印刷された淡色の1着である。
ふたりが宿の1階にある談話室へ向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
「儚く、清らかなる物には価値がある。美しく、綺麗なる物と同様だ。……さて、そこの君、これが何かわかるかい?」
「水じゃ」
「……ふうん…………」
幼さを残す中世的な顔立ちをしスペクトラムブルーの燕尾服に身を包んだ男は、下着だけを着た男たちを従えて、装飾のされた玉座に座っている。
男は目と口だけを動かし、ラリオンに問いかけていた。
「あのエナメルなんですか」
「ありゃどう見てもポリエステルじゃ。きっと歩いたら安っぽい音が鳴るわ」
ラリオンの肩に乗っていたポカと耳打ちする。
玉座の男は目線をラリオンから離さずに続けた。
「僕はヤキザカナテイ・ホウボウ。君は?」
「これはどうも、ポリエステル妖麗小童君。ラリオン・B・ズィーオじゃ」
「よろしく、ズィー君」
「ヤな呼び方ぁじゃ」
「ふふ。僕はここの地下にある賭博場の王をやっている者だよ。宿の水道は支配させてもらった」
手を振ってラリオンは言葉を止めさせる。
「待て待て話が早い! 水道管弄ったのはあぁたか! それに何、賭博場じゃと!? そんな物があったのか!」
「あーあーラリー様、地下への階段を探そうとしないでください!」
「おっと、取り乱した。それで、どうしてまた賭博場の主なんかが水道管を?」
そう言うと、賭博王のホウボウは燕尾服の内側から、埃をかぶった封の開いていない古びたトランプを取り出した。
「……お客が、来ないんだ」
「はぁ」
「宿に泊まる皆、地下へ行く方法がわからずに帰っていくんだ! それもそのはず、隠された階段の場所を知るのは宿の御主人だけ。僕ってば、暇で暇でね……」
「それどころか存在も知らなんだぞ」
「えぇ、そうなのかい!? 道理で来る気配すら感じないわけだ」
「すると手隙だから水道管弄ったのかい? ポリエステル妖麗小童君は」
ホウボウは大袈裟に両手を上げて、顔を伏せる。
「ああ、うん。そういうことだね」
「洗い物がまだ残っているんじゃ。早く直してくれ」
「ふん……そうはいかないよ」
「ぬわあぜじゃなぜじゃ!」
階段を駆け下りてホウボウの所へ近付くと、下着の男たちが立ちはだかる。
ホウボウは男たちに合図をして退かせる。玉座の前にはラリオンが立っていた。
「こちらの問題がまだ解決していないからね。僕はお客が欲しい」
「その前に知名度が必要じゃ」
「まったくだね。ズィー君、何か良い案はあるかい?」
「張り紙でもしたらどうじゃ」
「……それだ! 素晴らしい」
「そりゃあどうも」
ホウボウは大きく拍手をして、すぐさま張り紙を作るよう下着の男に命じた。
それを見ると玉座に背を向けてラリオンは、ポカを連れて階段を上ろうとする。
「ズィー君! 待っておくれ」
「なんじゃテンポの悪い。ほれバカ、先に戻って洗い物頼んだ」
ワタクシポカはかしこまりました、と言って鍵を受け取ってポカは、階段を使わず空を飛んでいった。
「せっかくの出会いだ、ズィー君。ポーカーのひと勝負でもどうだい?」
「それくらいなら、いいじゃろう」
「ありがとう」
下着の男が、玉座の前にテーブルを運んできた。
ホウボウは先程取り出した古びたトランプを開け、カードを切っていく。
入念にカードを切ってからラリオンに手渡そうとしたところで、再び手を振って止める。
「ちょっと待った。俺、椅子無し?」
「ふふっ」
「くすくす」
「こらタンクトップたちまで笑うんじゃない!」
玉座を置く為によけられていた談話室のソファが、テーブルを挟んだ玉座の対面に置かれる。
ソファに座ると腰は深く沈み、テーブルの天板は見えず、玉座のホウボウはラリオンを見下ろすような形になった。
「屈辱的じゃ」
「僕は賭博、王、だからね。ふふ」
「王とは気に食わない」
トランプを受け取り、ラリオンもカードを切る。最後には、下着の男がひとり胴元となってカードを切り、ふたりへ配っていった。
手元の5枚をすくい上げるホウボウ、頭上の位置にある5枚を手探りで掴むラリオン。互いにカードを確認する。
「さて、ズィー君。何を賭けるかい?」
「賭け? 記念勝負じゃなかったのか!」
「勝負には当然、賭けが付き物だよ。僕は水道を元に戻すことと……そうだね、玉座と賭博王の称号を賭けよう」
「ぬわにぃ! なんつう大賭けじゃ! よっぽど自信があると見える……」
「ズィー君の番だよ。何を賭けるかい?」
思わず立ち上がったラリオンは、再び腰を沈めて考える。
それから少しして、一角獣柄のポンチョのポケットから、小さなキーホルダーを取り出してテーブルへ置いた。
「これは?」
「マルゲリータご当地マスコットの『まるたん』じゃ! この前見かけて可愛かったから買ったのじゃよ」
「へえ、いいね! とても可愛い」
「それじゃあ勝負じゃ」
「始めよう」
ラリオンは改めて自分に配られた5枚のカードを見て、声にならないよう呟く。
「うん、多分勝ちじゃなぁ……」
確信をしたことで、ラリオンは妙な諦めを持つ。
ホウボウはカードを2枚捨て、交換した。
「あそーれ、せーの!」
ふたりが声を合わせて、手札を公開する。
カードが見えないラリオンは、ホウボウの表情を伺ったが読み取れずに結局立ち上がった。
「俺は絶妙、フルハウスじゃ……って、えっ」
「ふふ、絶妙だね?」
ホウボウには役がなかった。スペードの10からクイーンまでが揃い、後の2枚が無関係の物である。
あっさりと玉座を降りたホウボウは、ラリオンを導いて座らせる。
「おめでとう、ズィー君。君の物だよ」
捨てたカードが2枚であることに疑念を抱いたラリオンは、玉座の座り心地を複雑に思いながら尋ねる。
「さては、負ける気だったんじゃろう?」
「はてさて? …………王は勝者が受け継いでいく。それはソファのように深く沈みゆく事か、偽りの輝きを天と見立てるか」
宿の受付へと小走りで向かい、ホウボウはチェックアウトを済ませる。その顔は解放感に溢れていた。
「おめでとう、ズィー君。君が王だよ」
「理由付けて押し付ける気だったんじゃろう!? おい! タンクトップを置いていくな! おーい!」
あっという間にホウボウの姿は見えなくなった。
残されたのは、下着の男たちと玉座である。
「賭博場すら見たことないのに……」
「しかもあそこは違法だ」
「なにぃ!?」
受付から談話室へやってきた、宿の主人が言う。
マルゲリータのある宿の地下に賭博場がある。ラリオン・B・ズィーオは、そこの違法賭博王である。
◆
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