第9話 新たな役割

 あ、ここ、いつか来たことのある空間だ。私はゆっくりと辺りを見回す。

 

 とうとう戻ってきたんだと思うと感慨深い。

「約束より全然早いし、お話がめちゃくちゃになっちゃったし~~~!」

「なったものは、仕方ないでしょう」

 あっさり言い切ると私は顔を上げる。いつか出会ったあの女神がそこに居た。


「そんなんじゃ悪役失格!」


 キンキンと耳につく声で宣告される。

 そんなことを言われても、だって私が望んだ役ではないんだし。

「それは、女神様の配役ミスでは?」

 この発言が不興を買うなんて事はわかりきっていたけど、それでも一言文句を言わずにはいられなかった。


「だってちゃんとマニュアルも渡したし! たったの十年、マニュアル通りにあの子を虐めてくれればよかっただけなのに!」

 美術品のように整った顔を歪めて、女神は『コツコツ続けてしっかりヘイトを育てる! 悪役マニュアル』を振り回した。


「そう言うなら、女神様ならできたんですか? あの子に、ここに書いてあるような事を」

 私の言葉に、女神はぐっと言葉に詰まる。

「……そんな事できるわけないじゃない」

 尻窄みに小さくなる女神の声。言いながら、マニュアルに沿って『虐め』ている所を想像したのか涙目になる。

「でも、お願いしたのに~!」

 とうとう泣き出した女神に胸を貸し、私はため息をついた。

「仕方ないじゃないですか、私の勝手な望みより、あの子の方が大切だったんだから」

 泣きたいのはこっちなのになと思いながら、私はさらに女神の背を優しく『ぽんぽん』する。


「元の世界に戻る事より、あの子が幸せでいてくれるほうが大切だったんですよ」

 涙をいっぱいに湛えた目で女神が私を見上げる。にこりと笑いかけると、彼女はさらに泣き出した。


 涙でぐちゃぐちゃの、でも美しい顔で女神は私に言う。

「もう元の体には戻せないからね?」

「わかってますよ。覚悟はしました」

 アレクの背中を見送った時にちゃんと覚悟した。元の世界には戻れない、今までいた世界にも戻れない。


「これからアレクは『魔王』を倒して、私のことは忘れて、お姫様と幸せな結婚をする。そのためなら……」

「本当にそうなると思ってます?」

 じとっとした目でこちらを見て、女神が指を鳴らすと、空中に大きな鏡が姿を現した。


 映っていたのは、さっきまで居た世界。


 アレクが、くずれた氷の城に戻って来ていた。ジョンの制止も聞かず瓦礫の中に駆け込み、唯一形が残っていた部屋に横たわるユリアの前に跪いた。


 手にした布袋の中から輝く結晶を取り出し、ユリアの胸の上に置く。

 だけど、当然すでに体から切り離した魔力が元に戻ることはない。


「ユリア様、ユリア様……」


 虚な目をして名を繰り返すアレクの前で、『魔女の心臓』、輝く結晶が一瞬で黒く染まる。そして、その結晶を中心にして真っ黒な魔力がぶわりと膨れ上がった。どす黒いその魔力は大地を這い、空を埋め尽くしてゆく……。

 『魔王』が、新たに誕生した瞬間だった。



「はい! ここでストップです!」



 女神の声に合わせて画像がぴたりと止まり、前のめりになっていた私は思わずその場でたたらを踏む。

「え! え? アレク、なんで」

「なんでじゃないんですよ! アレク自身で止めを差しても、そうじゃなくても、アレクがあなたを慕っている限り、やっぱり世界が壊れちゃうんですよ~~~!」

「やっぱりって、どういう事ですか?」

「やっぱりは、やっぱりですよ。アレクは何度もああして世界を壊そうとしたんです」

 女神は眉根を揉みながらため息をつく。


「え? だってあの世界は神様達が小説の世界観を再現したくて作った世界だ、って」

「嘘ですよ、そんなの。あの世界は私が管理している世界のうちの一つです」

 あっさり言われて、私は言葉を失う。

「困ったことに、何度繰り返してもあの世界は壊れる流れに辿り着いてしまうんですよね」

 理解が追いつかない。私は、その言葉こそ嘘だって言ってほしくて、なんとか突破口を探す。


「じゃ、じゃあ、あの本『氷の騎士物語』は?」

「私がシミュレートした選択肢をもとにした、世界を壊さない様に進めるための指針です。あの流れでいけば、世界を守れるはずだったのに」

「え? でもあの時、本は回収しようとしてたのに」

 ネタバレになるからって、そう言って……。

「そうすれば、あなたはあの本に興味をひかれ、持っていこうとするでしょう? 人間は、自分が選んだ物を信じる傾向がありますからね。『自分で選んで持って行った、だから中身は信じるに値する』そう思ってもらいたかったんですよ」

 そこは、女神の誘導にまんまと乗ってしまった。でも、あの本は過去のページしか読むことができなかったけど?


 私はその疑問を投げかけようとする、でもその前に女神が口を開いた。


「ユリアの魔力をアレクシスが受け取らなければ聖剣は本来の力を発揮せず『魔王』を倒せないから世界は滅びる、かと言って、魔力をアレクシスが受け取ることでユリアが死んでしまえば、さっき見たようにアレクシスまでもが『魔王』になり世界を滅ぼすスピードはあっという間に倍速に」

「え?」

 とんでもないことを聞いた気がする。

「だからですね、アレクはあなたが死んじゃったら世界ごとまるっと否定しちゃうんですよ!」


 いつかみた夢で聞いた、アレクの声を思い出す。

 『……こんな事でしか守れない世界なら……いっそ俺が全部……』


「で、壊す直前でこうやってストップをかけて、戻してもう一度っていうのを何回もやってるんです」

「何回も?」

「そう。世界は戻る。でも、記憶は引き継がない。だからあなたも覚えていないでしょう? あなたは何回もアレクを育てて送り出してるんです」

「そんな……」


 予知夢だと思ったあの夢は、夢じゃなくて、戻る前の世界であった出来事だったとしたら。



「もう、無理矢理にでも新しい要素を加えるしかなかった。だから別の世界の神にお願いして、魂だけその世界の人間『笹塚 優里愛』に憑依させ、別人としての体験をさせたんです」


 ユリアの中に入って過ごすうちに記憶が曖昧になったと思ってた。でも違った。記憶が穴だらけで曖昧なのは当たり前、私は途中参加して、あの世界を擬似体験していただけだったんだ……。


「あなたはずっと、最初から氷の城の女主人、魔女ユリアだったんですよ」


 女神の言葉と共に、優里愛だったはずの自分の姿が変わるのを感じる。氷の城の女主人『ユリア・フィロワ』に。

 違和感を感じることが少ないと思ってた。だってこの体はずっと私自身のもの。


「元の世界に戻るため、という動機を作ってあげれば、あなたが立派な悪役になってくれて、今度こそちゃんと世界が滅びないルートに繋がるんじゃ無いかって思ってたのに……」


 私は返す言葉が見つからなかった。女神の狙いは分かったし、世界を守るために一生懸命だったのも理解はする。

 でも私にとっては、信じていた世界が足元からがらがらと崩れ落ちていく感じで、ずっと眩暈がする。


「もう、手詰まりです」

 据わった目で、女神が私をひた、と見つめる。


「なので、あなたを悪役にするのは諦めました」

 ため息と共にそう言われ、私は何度目かの覚悟をする。

 役に立たなかった私は、消滅させられるのかなとそう思って。


 でも、女神が提示したのは別の選択肢。

「しょうがないので、今度は別の役でどうですか?」

「別の役?」

 首を傾げる私に、女神は指を突きつけこう言い放った。

「今度は、魔王を倒すパーティの一員です!」

 良い事思いついた、という顔の女神。そして続ける。


「10年ちゃんと時間を稼いでくれてたら、また出会いまで時を戻す力が溜められたのに、今の私じゃちょっとだけしか時を戻せない。だからもう、最後の賭けです。聖剣とアレクシスの力不足を貴女の魔力でフォローして、共に魔王を倒してきてください!」

「世界の命運、丸投げじゃないですか!」

 私の非難の声を、女神を耳を塞いで受け流す。

「聞こえません~~!」


 『思っていることを読み取ることも出来る』って言ってたくせに、と私は強く強く念を送る。

 女神はふいっと横を向いた。


 絶対、心の声、伝わってる。


「わかりました、それしか方法がないなら、頑張ってきます」

「そう言ってくれると思ってました! 私もなけなしの力を使って貴女の魔力を底上げしておきますから、どーんと『魔王』とぶつかってきてください」

「それなら、女神様が『魔王』を倒してくれればいいのに」

「そういう直接的な干渉は出来ないんですよ」

 神の世界の線引きが良くわからない。


 私の不満なんてどこ吹く風、女神は機嫌よさそうに空中に指を滑らせ、アレクが映ったままの鏡の前で何かを描く。


 すると、映像が逆に流れ始め、アレクが結晶をユリア、私の胸の上に置いた所で止まった。

「さあ、体に戻ってください。後は頼みましたよ」

 厳かに告げる女神。私は仕方なく頷いた。

 途端に意識が薄れてゆく……。


 意識が途切れる寸前、私はミスミについて、聞きそびれたなと思っていた。



◇◇◇



 ユリアの魂を見送って、女神は鏡を消し去ると明るく言う。


「世界の時を戻す力は使い切ったし、また暫くゆっくり休まなきゃ……。まあ、後はなる様にしかならないよね!」

 そうして、女神はまた力を蓄えるために眠りにつく。

 世界の行く末を、思いながら。



◇◇◇




 目を覚ますと、アレクが手を取って私の名を繰り返し呼んでいた。

 いつもキラキラと輝いていたアイスブルーの瞳が、暗く虚ろに変わり始めている。

 ああ、泣くこともできないのね。

 そう思うと、切なくなった。


「そんなに呼ばれたら、のんびり寝てもいられないわ」

 私はゆっくりとアレクの頬に手を伸ばす。びくりと肩を震わせて、アレクが確かめる様に恐る恐る私の手に、手を重ねる。


「ユリア様……夢じゃありませんよね」

「夢じゃ無いわよ、ほら」

 ぎゅっとアレクの頬を摘むと、次の瞬間目一杯抱きしめられた。苦しいけれど、嫌ではなかった。


「人任せにしないで私自身も魔王と戦ってこいって、神様に返されちゃったのよ」

 そう言うと、アレクの後ろでジョンがほっとしたように一言。

「よろしゅうございました」


 私はアレクをそっと離すと、立ち上がる。

 手を一振りすると、瓦礫は繋がり、積み重なり、元の城の形を取り戻した。

 元々が私の魔力で維持していた城なので、私が無事なら簡単に元通りになる。

 『魔女の心臓』は砕けて、既に魔力は私の中に。

 女神に言われた通り、今までよりも魔力が増している。


 氷の聖剣はアレクを選んだので私が使っても力を発揮できないけど、剣に魔力供給しながらアレクをサポートすれば、なんとか『魔王』にも対抗できるかも。


 こうなったら、全力で『魔王』を倒して私の幸せを確保して、ついでに世界を守ってみせればいいんでしょう。


 私はぐずぐずと泣き始めたアレクの頬を指先で拭い、決意する。


「とりあえず、王城でソフィア殿下と合流してから、隣国へ向かいましょう。 ジョン、馬車を」

「それが……」

 ジョンが珍しく、狼狽えてアレクを見た。

「俺が、お城が崩れたのに驚いて、無理矢理馬車を止めたから……」

 アレクの言葉に、彼の視線の先を見る。


 馬車、大破してた。


「ごめんなさいユリア様、俺、本当にびっくりして……」

 オロオロとこちらを見るアレク。


 私は、アレクとジョンに手を差し伸べた。

「仕方ないわ、転移で向かいましょう」

「はい!」

「お手数おかけいたします」


 嬉々として手を取るアレク、そっと手を重ねるジョン。

 私は目を閉じて、向かう先と魔力を繋ぐ。


 息を吸って、おおきく空間を跳躍した。



◇◇◇



「っ!」

 部屋にいきなり姿を現した私達に、ソフィアは声にならない声を上げ立ち上がる。

 その拍子に取り落としたカップの割れる物音で、外から衛兵が飛び込んで来た。私達を不審者と判断し剣の柄に手を掛ける衛兵を手で制し、ソフィアは割れたカップの片付けと新たに人数分のお茶の用意を指示する。

 部屋の壁際から数人の侍女が歩み寄ると手早くソフィアの指示通りに動き、彼女の手の一振りで人払いと察して全員が部屋を出て行った。


 しばらく、沈黙が部屋に満ちた。


「やはり、貴女も来たのですね」

 ソフィアは突然現れたことには驚いたようだけど、私がいるということは当然のように受け止め、そう言う。

 『魔王』を倒すために急いでいると聞いていたが、旅装ではなくドレス姿で優雅に長椅子に腰を下ろし、私達に向いに座ることを促す。

 仕方なく私とアレクは横並びで腰を下ろし、ジョンは後方に控えた。


「やはり?」


 しかし、ソフィアの想定していたとでも言う様な物言いに、私は引っ掛かる。


「ええ、聞いていた通りです」

「聞いていたって、誰に?」

 私の問いに、ソフィアは後方に目をやった。こちらから書棚に隠れて死角になっていた場所から、誰かがスッと現れる。


 金の髪とアイスブルーの瞳、目の奥には暗い色が宿っているものの、人懐っこい笑みを浮かべている。

 アレクそっくりで、でもアレクとは違うどこか達観した表情の彼。


「ミスミくん……?」

「待っていました……ユリアさん」

 両手を広げてこちらに迫る彼を、素早く立ち上がったアレクが威嚇する。

「ユリア様、下がってください!」


 自分を睨みつけるアレクを、懐かしそうに見るミスミ。

「僕は君の主を傷つけないよ、大丈夫」

「信じられません」


 今にも飛びかかりそうなアレクの側にすっと近寄ると、ミスミは何かを耳打ちする。目を見開き、少し考えてからアレクがじりっと後ずさる。


「本当ですね?」

「約束するよ」


 そう答えるてから、ミスミはこちらに優しく笑いかける。

「え? なんでミスミくんとアレクが別々に?」

「その辺りは後で説明します。だから、今は……」

 一歩一歩、私に近づき、それから抱きしめられる。さっきのアレクとは違って、強いけれど優しい腕。


「泣いてるの?」

 肩口に暖かな滴が落ちて、私はそっと彼の背中に手を回す。

「ずっと、怖かった。でも、今度こそ貴女が居る」

 ミスミの声が耳をくすぐる。それを聞くと、熱い塊が胸に詰まった様に苦しくなって、それがじわじわと目の奥で涙になって、落ちた。

 なんで泣いているのかわからないのに、抱き合ったまま、しばらくそうして二人で涙を流していた。


「そうね、ちゃんといるわ、ここに」


 やっと辿り着いた。何故だかそんな気がした。

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