第7話 ユウリ・ロッキーウェイです

 真夜中のサインズ王城、王女私室。

 僅かな照明しか灯っていない部屋の中で、ファルシアとクラリスが小さな声でやり取りをしていた。


「クラリスさん……私、もう」


「駄目。まだ我慢しなさい」


「で、でももう……限界、です」


 ファルシアは机から立ち上がり、床に敷かれた布団へ潜り込んだ。

 それを見たクラリスは嘆息とともに、部屋を明るくした。


「もう、無理です。眠いです。寝かせてください」


「何言ってんのよ。まだ城のマナーとか暗黙の了解とか喋ってないから。ほら、起きなさい」


 布団をめくろうとするクラリス。

 ファルシアはそれに抵抗する。その姿はまるで首を引っ込めた亀のようだった。


「あんた、いま何時だと思ってんのよ」


「こ、こっちの台詞です。もっもう深夜ですよ?」


「まだ深夜じゃない。勉強していればすぐにこの時間になるでしょ」


「なりません……」


「そうなの? 普通はそんなもんなのかしらね」


「クラリスさんはその、勉強好きなんですか?」


「好きよ。知らないことを知るのは気持ちがいいの。だから私は勉強が好き」


 「それに」とクラリスは続ける。


「あんたはまだ分からないだろうけど、王族や王族関係者にとって『知らなくて良いこと』なんて一つもないの。だから私は可能な限り、知識を詰め込みたいのよ」


 布団から顔だけ出したファルシア。彼女はそのままクラリスを見上げた。

 クラリスの表情は楽しげで、その場の勢いで喋っていないことは明白だった。

 だからだろうか――ファルシアはいつの間にか布団から出ていた。


「私、もうちょっと頑張ってみます」


「……ふーん。少しは根性あるみたいね。よし、それなら今夜は徹夜よ」


「あ、でも」


「何?」


「私が寝不足だったらその、明日の試験にかなり影響してくるんじゃ……」


「……」


 クラリスはすぐにその意見を突っぱねなかった。

 不利な要素は少しでも潰しておきたい彼女。だからこそ、ファルシアに強者の情報を可能な限り伝えた。だからこそ、ファルシアの進言は検討に値した。

 形の良い顎に指を添え、黙考するクラリス。それを見守っていたファルシアのまぶたは重かった。


「ま、最低限押さえておかなきゃならないポイントは押さえたから、いっか」


「それじゃ……!」


「寝る。お休み」


 口が早いか行動が早いか。すでにクラリスは自分のベッドに入っていた。

 ファルシアの意識はもはや消失する寸前。だが、彼女はそんな中でも僅かに口を動かした。


「わた、し……クラリスさんが助けてくれた、から……今度は私が、クラリスさんを助け――」


 眠りに落ちたファルシアを見ながら、クラリスは小さく鼻を鳴らした。


「……私と喋っているんだから、少しは嫌そうな顔しなさいよ」



 ◆ ◆ ◆



 ファルシアにとって運命の朝。

 日が昇るよりも前に彼女は目を覚ましていた。短い睡眠で十分というわけではないが、いつもこの時間帯に起床していたため、自然と起きていた。

 体を温めるため、軽い体操をしていると、クラリスが目を覚ました。


「おはようございます、クラリスさん」


「……」


「どう、しましたか?」


「何でもないわ。……おはよ」


「はい、おはようございます」


 身支度を整えると、食事が運ばれてきた。それを見たファルシアは小さく驚いた。

 王女らしく豪勢な食事かと思えば、最低限の栄養を補給できるような簡素な内容だったからだ。

 「朝は手早く済ませたいのよ」と言い、クラリスはフルーツとパンを同時に口にした。あまり行儀が良い食べ方には見えないが、何故か上品な仕草に見えてしまった。


「あんたも食べなさいよ。今日は忙しいんだから」


「はっはい。頂きます」


 簡素な見た目とは裏腹に、質はやはり最上級。今まで食べたことのないパンの味に、ファルシアは震えた。

 食事中の会話はない。ファルシアは食べることに集中したく、クラリスは食事に会話を求めない。

 偶然にも食事に対する互いのスタンスが噛み合っていたのだ。



「そろそろ時間よ。準備は?」


「でっ出来ました」



 小休止をしていると、あっという間に試験の時間が迫っていた。

 試験場へ移動中、クラリスはファルシアへこう聞いた。


「ねえ、もしこの試験に受かったら、あんたは晴れて私の近衛騎士確定。……今ならまだ止めることが出来るわよ」


「何を……言いたいんですか?」


「だから。このままだと本当に私の近衛騎士になって、私に良いように使われる立場になっちゃうの。それで良いのかってこと」


 ファルシアは首を傾げた。


「な、何でそんなに悪いことのように言うんですか? 私、嫌じゃないですよ?」


「……そ」


 クラリスはファルシアに聞こえないくらいの声量で呟いた。



「――――なら、絶対落ちないでね」



 試験場にたどり着いた瞬間、ファルシアは強い気配を感じ取った。

 ファルシアの目は試験場の中心へ向いていた。

 そこには木剣を持った長い青髪の少女が立っていた。


「サインズ王国第一部隊所属、ユウリ・ロッキーウェイです。今日の適性試験の担当です。よろしくお願いします」


「さっサインズ王国第一部隊……!」


 誠実そうな発声とともに、ユウリは一礼する。そして、こう続けた。


「早速で申し訳ないですが、私は貴方を落とすことに全力を注ぎます。貴方は、近衛騎士にふさわしくない」


「ひ、ひぇ……」


 静かだが、その声に秘められた気迫は凄まじい。

 あの入団試験担当だったアラン・ローブレイすら上回っていた。

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