ドリームヒルストリートの悲劇
更に時は経ち、ジェイコブは12歳となった。
時が経つのは良い事でもあり、悪い事でもある。
ジェイコブの母であるハンナからすれば、息子であるジェイコブが育つのはとにかく嬉しかった。
それが例え、歳の割に小さかったとしてもだ。
ハンナもそうだが、ジェイコブも栄養不足であり、そうなると、どうしたって同年代の子に比べて成長が遅くなるのは仕方がない事である。
そしてそれは、悪い事の一部でもある。
やはり娼婦というのは、若い女の方が人気である。
ハンナも今年で40歳にもなるので、客足は遠くなってしまうのだ。
それに加えて、栄養不足でガリガリのハンナの体は、やはり男受けが悪く、ハンナの稼ぎは減る一方だった。
そして、ジェイコブは12歳になったとはいえ、体も小さく、見た目もみすぼらしいため、働くことはかなわなかった。
そのため、ジェイコブは未だに靴磨きで、毎日少ない銭を稼いでいた。
つまり、ジェイコブとハンナの親子は、ひたすら貧しくなり続ける負の連鎖にあり、暗い未来しか見えなかった。
それでも、この親子は幸せだったのだ。
しかし、現実問題として金はない。
それはつまり、その足元を見る客もいるということだ。
「なあ、そろそろ考えちゃあくれねえか?」
その客と言うのは、この2年間、ハンナの元へと通い続けているジェームズだった。
「すいませんが……」
ジェームズの要求を、ハンナは断る。
「なあ、いいだろ?」
その要求を、ジェイコブは知っていた。
ジェームズは、ハンナに結婚を迫っているのだ。
「やっぱり、こいつを捨てられないからか?」
ジェームズは、ジェイコブの方を睨みつけた。
ジェームズはハンナと結婚したいだけであり、ジェイコブの面倒を見る気など全くなかったのだ。
それはハンナにとって、容認できない事であり、それがなくとも、ハンナから見て、ジェームズという人間は信用に足りる人間ではなかった。
「ジェイクは大事な家族なの」
だから、はっきりとそう言ったのだった。
いつもなら、こんな感じで少し話し合えば、それで終わりなのだ。
しかし、その日は違かった。
「この糞女が!下手に出てればつけあがりやがって!」
ジェームズは急に激昂し、ハンナの頭を掴んだのだ。
そして、そのままハンナの頭をベッドの端へと叩きつけた。
「きゃあ!」
「っ!」
側で様子を見ていたジェイコブは、慌ててジェームズに掴みかかった。
「なんだあ!この野郎!」
しかし、ただでさえ栄養不足の子供が大人にかなうはずもなく、ジェームズはジェイコブを逆に掴み返すと投げ飛ばしたのだ。
狭い家の中で吹き飛ばされ、大きい音を出しながら、ジェイコブは壁へと激突した。
そして、ジェイコブがすぐにジェームズの方を見ると、ジェームズは明らかに尋常ではない様子で、目を血走らせ、ナイフを手に持ってジェイコブを見下ろしていたのだ。
偶然この日、ジェームズはドラッグでキマっていたのだ。
「この糞生意気なガキがよぉ!全然喋らねえし気味が悪いしよ!お前がいるから悪いんだよなあ?」
ジェームズは怒鳴り散らしながら、ナイフを振りかぶると、ジェイコブに向かって躊躇することなく振り下ろした。
ジェイコブはそれに対して、反射的に目を瞑って手で庇うような姿勢を取ってしまう。ナイフに対して、そんなことは無意味なのに。
だが、その来るべき衝撃は、ジェイコブの元には来なかったのだ。
ジェイコブが恐る恐る目を開けると、目に映ったのは母であるハンナの顔だった。
しかしその顔は、いつものような優しい笑顔ではなく、苦悶の表情に満ちていた。
母の背中には、ナイフが深々と刺さっていたのだ。
「ジェ……イク……」
そして、母はジェイコブの名前を呼ぶと、力なくジェイコブの体をズレ落ちてしまったのだ。
「ああああああ!」
そう叫んだのは、ジェイコブではなくジェームズだった。
叫びたいのは、ジェイコブの方だというのに。
「てめえ!何しやがる!」
当然ジェイコブは何もしていないし、悪いのはジェームズである。だが、ドラッグでいかれたジェームズの頭に、そんな知能は残されていなかった。
そして、ジェームズはナイフをハンナから抜き取ると、再びジェイコブへと振り下ろしてきたのだ。
だが今度は、ジェイコブは目を閉じたりはしなかった。
「うわあああ!」
必死にジェームズの足へと組み着いたのだ。
すると、ジェームズは勢い余って狭い家でこけたのだ。
それは、タイミングもあったし、ドラッグのせいで足元がおぼつかなかったのもあったのだろう。
とにかく、ジェームズはこけたのだ。
ジェイコブはすかさず、転がったジェームズの上に馬乗りになった。
そして、殴ろうとしたのだが、何故だかジェームズは動かない。
その代わりに、ひゅーひゅーと空気の音が聞こえてくるのだ。
ジェイコブは、うつ伏せになっているジェームズの頭を横から覗き込むと、ジェームズは転んだ弾みに、自分で持っていたナイフで自分の喉を掻き切ってしまったことがわかった。
だが、それを確認すると、もうそれはどうでもよくなったのだ。
ジェイコブは母を担いで、家を出た。
担ぐと言っても、子供のジェイコブでは引きずるような形になる。
もちろんそれは、母を助けるためである。
当てなどなかった。
だが、すぐに医者に見せないといけないのは、こどもであるジェイコブでもわかったのだった。
しかし、家を出てすぐに、ジェイコブの視界は足で埋め尽くされた。
ジェイコブが見上げると、いつものみかじめに来るギャングの二人組がいた。
「た……」
助けて、とジェイコブは言おうとしたが、こいつらがジェイコブ達を助けるわけがないのだから。
ジェイコブは、二人組を避けようとしたが、痩せた男がしゃがみ込んで、母に触れて来た。
「あーあ、なんか騒がしいからって来たけどよ。こいつ死んでるじゃねえかよ」
それは、ジェイコブにとっては衝撃的な言葉だった。
だが、それと同時に、不思議と受け入れてしまっていたのだ。
それは、自分達はいつ死んでもおかしくないと、ジェイコブが考えていたのもあるだろう。
だから、泣き喚いたりはしなかった。
「家の中にも死体があるよ」
太った男の方が、家の中から顔を出しながら言った。
「お前がやったのか?」
痩せた男がジェイコブに問うと、ジェイコブは頷いた。
「まあ、それはいいや。こういう事はたまにあるしな。とりあえずお前、出て行けよ」
痩せた男はジェイコブにそう言い放った。
だが、ジェイコブはそれも、やはりそうなると思っていたのだ。
そして、それに反論する事が出来ない事もわかっていた。
「金払えないだろ?なら、出て行くしかないよなあ?」
まるで急かすように、痩せた男は言うが、ジェイコブは別に出て行く気がないわけではない。
ただ、やはり、こんなところでも、母と住み続けた家から離れるのは、少し名残惜しかっただけだ。
だが、少しすると、ジェイコブは歩き出した。
当然、母を連れて。
ジェイコブは栄養不足で非力だったが、母であるハンナもまた、驚くほど軽かった。
だから、ジェイコブは力が続く限り、母と歩き続けた。
歩き続けていても、ジェイコブに絡んでくる者はいなかった。
金目の物を持っているようには見えなかったからだろう。
当てもなく歩き続け、それでも人通りの多いところは避け、気が付いたら見たこともないような場所までジェイコブは来ていた。
そして、ジェイコブは力尽きて倒れてしまったのだ。
「おい!」
しかし、そんなジェイコブに、声がかけられた。
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